溜りに溜まった本もようやく半年遅れくらいまで片付いてまいりました。まだまだ読み残しがあるけど、今回もいってみましょう。
まずSR1位の恩田陸『三月は深き紅の淵を』はリスト外からの浮上。リスト外の作品に投票する人はだいたい高い点を付けるものだが、確かに本好きの心をくすぐる仕掛けが満載であった。幻の本『三月は深き紅の淵を』を巡り、作中作の四部作と、本書中の四部作が微妙に重なり合って呼応していく。小説とは何か、物語は何かという根源的な問いかけをも含む。私のお気に入りは第二章「出雲夜想曲」。物語の成立はやはり神秘的なもの。登場人物の女性編集者が言うように、確かにどこかに<小説のなる木>があるのかもしれない。私もそれを見つけてみたい。
麻耶雄嵩がSRベスト10に2作も入っている。作者はかつて『翼ある闇』と『夏と冬の奏鳴曲』で毀誉褒貶の嵐を呼び、私にとってもどちらかというと苦手な作家である。
2位『メルカトルと美袋のための殺人』は、処女作『翼ある闇』で惨死したお抱え探偵メルカトル鮎の生前の事件簿。探偵役の悪辣さがすごい。作者がどこまで本気か冗談かがわからないのが不気味である。
8位『鴉』の方は作者の最高作になるかもしれない。弟を亡くした兄は、その弟が失踪中に暮らしていた地図にない村に潜入する。そこは外界から隔絶し、大鏡なる生き神の信仰に支配される異界だった。謎の解明とともに世界が反転するのが圧巻である。同時に起きた主人公のメンタルの崩壊の方は訳がわからないが、それはいつものことだから気にしない、っと。
SR3位、皆川博子『死の泉』は、ドイツ語で書かれた長編の翻訳という形を取る。この作者のものは初めて読んだが、なかなか読み応えがあった。第二次大戦下のナチの施設<レーベンスボルン>に身を置いたヒロインは、SSの医師の求婚を受け入れる。彼の目的は天賦の声を持った孤児たちを自分のものにすることだった。声楽を芸術を愛しかつまた奇怪な実験を行う彼を彼女は恐れながらも愛していく。だが、……。そして戦後十五年。なおも運命は人々を巻き込んで行く。絢爛たる物語の奔流。だが結末に謎が残るためか、私には釈然としないものがあった。
SR5位は、服部まゆみ『ハムレット狂詩曲』。演劇ミステリーという分野があるだろうか。『劇団薔薇』は新劇場の柿落し公演の演目にハムレットを選び、イギリスから世界的な演出家を招聘する。始めは渋っていた彼はある目的を秘めてそれを承知する。また、主役ハムレットに抜擢された若手俳優は大役の重荷に打ち震えていた。それぞれの思惑を抱えたまま劇場は完成へと近づき、舞台稽古も進行していく。多くの人々が公演に向かって懸命に動いているうちに何かより大きなものが動き出す。演出家や主役の思いをも超えて。ラストへの傾れ込みが高揚感を感じさせてくれて心地よい。
SR6位、貴志祐介『黒い家』は昨年の角川ホラー大賞受賞作。超自然現象は一切登場せず、圧倒的な恐怖で迫ってくるのは血と肉を持った人間。日本でサイコパスがこれほどの迫力で描写されたのはかつてなかった。殺人者の造型は極端でありながらもなぜか奇妙な実在感がある。だが、確実に日本の犯罪事情もアメリカを追いかける。本書を読み終えたあとにこそ真の恐怖が襲ってくる。
SR7位は、若竹七海『スクランブル』。連作短編集で結末に仕掛けがあるという趣向は、作者のデビュー作『ぼくのミステリな日常』以来の流行だが、本作の方が格段に巧妙だし、なおかつ衝撃が大きい。結婚披露宴へ招待された花嫁の高校時代の友人たち。文芸部に所属していた彼らはいつしか十五年前を回想していく。ひとりひとりにあった今の自分をつくる切っ掛けになった出来事。そしてその中で大きな重みを占めるのは、母校で起きた未解決の殺人事件であった。読後感には人生の苦さと爽やかさの両方を感じさせられる。
若竹はもう一冊、SR44位に『海神(ネプチューン)の晩餐』。タイタニック号事件でのジャック・フットレルをプロローグとし、それから二十年後の横濱から沙市(シアトル)へ向かう氷川丸を舞台に取る。フットレルの思考機械ものの原稿を始め、松本泰やらチャーリー張警部やら、探偵マニアの心をくすぐる仕掛けが満載。ドタバタ喜劇になりかけながらも時代状況がそれを許さない。
SR9位、加納朋子『ガラスの麒麟』も連作短編集で、表題作が1995年度の日本推理作家協会賞の短編部門受賞作品。ある日突然一人の少女があたしは殺されたと叫び出し、それ以来性格がすっかり変わってしまった。確かにそれと同じ時刻に少女の級友が通り魔に刺殺されていた。困惑した父親は養護教諭の神野菜生子と知り合う。神野先生は人の心を見据えていき、とある結論に到達する。
この短編だけでも絶品なのに、これ以降も周囲の人物に視点を交代しながら物語は紡がれていく。神野先生は哀しみとともに全てを見通す。そしてもう一人の主役は、既にない少女安藤麻衣子。人間の、若さの不安。生きる哀しみ。そして喜び。ミステリーでどうしてここまでやれるのだろうと感動すら覚えさせられる。傑作。
SR10位は山田正紀『螺旋』。この作者の長編を読んだのは、SF研の新歓読書会の『宝石泥棒』以来だから、なんと十六年振りである。本作は千葉房総半島を舞台にした壮大な長編であり、彼の土地を異界と化すために様々な仕掛けが凝らされる。旧約聖書の世界が今甦る。そして全長6.5キロメートルの地中水路の密室から消失した死体の謎。この解明はなんとも凄い。
だが、どうも据わりが悪い感じがする。やはり大仕掛けなトリックにはそれ相応の派手派手な舞台設定が欲しい。
山田正紀はもう一冊読んだSR23位『妖鳥』もやはり盛りだくさんの詰め込み気味。それをどうにかまとめてくれたのが作者の腕か。
SR11位に江戸川乱歩・横溝正史『覆面の佳人』。初の単行本化ということでリストに載ったが、これにはベスト10に入って欲しかった。近来これほどわくわくどきどきで読めた本はそうはなかったもの。
SR14位は泡坂妻夫『亜智一郎の恐慌』。あの愛すべき名探偵亜愛一郎の御先祖さまの活躍を記した短編集。亜智一郎のお役目は江戸城内でひがら一日空を眺めている雲見番。だが裏の役目は将軍直属の諜報員。数々の怪事件に三人の部下とともに挑んでいく。昔の切れ味は薄れても、突拍子もない味わいは健在。
森博嗣が今年は長編3冊に短編集1冊。去年からのSRでの順位と点数を示すと、
『すべてがFになる』 1996年 21位 6.60
『冷たい密室と博士たち』 38位 6.23
『笑わない数学者』 39位 6.14
『詩的私的ジャック』 1997年 36位 6.26
『封印再度』 43位 6.00
『まどろみ消去』(短編集) 4.70
『幻惑の死と使途』 15位 6.91
で、さらにSRでの採点基準は、
7点……まあ、面白かった。佳作。
*一応の満足を与えてくれた作品。
6点……腹が立たない。水準作。
*しばしば、作品の内容をよく思い出せないときに入れてしまう点数。
です。概ね妥当な評価が付いていると思う。私は、2作目から5作目まで古本屋で一挙に買ったが、おそらく前の持ち主が見限って1作目だけを残して放出したものだと思われる。私も五十嵐夫妻が誉めなかったらここまではつきあわなかったろうが、7作目『幻惑の死と使途』はなかなかよかった。今後もフォローするかどうかは考え中。
SR18位、竹本健治『闇に用いる力学 赤気篇』は、大長編の導入部。個人の狂気を追求し続けてきたこの作家が遂に社会の狂気を描き始めた。どう展開していくかまだまだ見えない。一刻も早くの完結を、そして我々を『匣の中の失楽』の涅槃の霧を超えた地点まで導いてくれることを切に願う。
SR29位、有栖川有栖『朱色の研究』は犯罪社会学者の火村英生もの。このシリーズの長編を読んだのはこれで3作目だが、どれもいまひとつ面白くない。東京創元社の江神先輩ものと同質の面白さを求めてはいけないのかも知れない。だが、だったらどう読めというのだろうか。
SR30位、山口雅也『續・日本殺人事件』は、推理作家協会賞の前作に引き続いて、不思議の国ニッポンの青い目のガイジン探偵東京茶夢の事件簿。依頼人として訪れるスモウ・レスラーやフクスケがまたしても茶夢をみょうちくりんな事件に巻き込む。第二話「実在の船」が凄絶。京極夏彦に捧げられたこの話は『鉄鼠の檻』のパロディーでありながら、なおも極限を目指す。果たして我々は愛すべき茶夢にもう一度まみえることができるのであろうか。
SR39位、北村薫『覆面作家の夢の家』はシリーズ3作目でおそらく完結編。それよりも前作『スキップ』が賛否両論を呼んだ<時の三部作>の第2作『ターン』が気に掛かるが、読み逃がし。
SR53位、清涼院流水『ジョーカー』については、ああまたこんなのにつきあってしまったという自己嫌悪。前作『コズミック』よりもひどいんじゃないか。
笠井潔『熾天使の夏』はミステリーじゃなかった。作者の小説実質第1作で矢吹駆シリーズ第ゼロ作。爆弾闘争に挫折した駆が日本を脱出した経緯。『バイバイ、エンジェル』の革命思想を理解するための補助線にはなる。
京極夏彦『嗤う伊右衛門』もリスト外。この作品にはまだ理解しがたいところがある。鶴屋南北『東海道四谷怪談』を読んでから、もう一度じっくり味わってみたい。
最後に門前典之『死の命題』(新風舎)について。第7回鮎川哲也賞候補作の改稿。ベスト投票直前に話題を呼んでいた本だったが、残念ながらの得票数不足。地味な題名で、マイナーな版元。だが中身はとっても凄かった。雪に閉ざされた別荘で六人の男女が次々と殺されていく。真相が明らかになったときの驚愕。こんなのありかよというトリック。一読の価値あり。なんで東京創元社で出してくれなかったんだろう。
さて、私のベストは、[次項参照]。
1997年は、女流作家と戦前作家の年だったのです。