猟書の果て

猟書の果て


 前回は原稿落としてしまって済みません。最近は某セミナーの雑事に追われてろくに本も読めなかったもんで。ということで話題(だけの)作続々の新刊の話はできません。
 仕方ないので秘蔵のネタを使います。題して”猟書の果て”。ちょうど紀田順一郎先生の本が出てタイムリーなとこですし。

 『魔術的な急斜面』(創)。神保町の古本屋の跡目争い。余命幾ばくもない当主はその解決として前代未聞の古本十番勝負を持ち出す。女婿二人のうちその十冊をより早くより安く仕入れたものに店を譲ろうというのだ。ところがそれが私大教授と塾長といった不倶戴天の愛書家をも巻き込み神保町を揺るがす大騒動に発展した。
 そのリストには海後十七『二十五時の音響浴』、迷夢酔生『銀髪童子』など探偵小説読者にはどっかで聞いたようなものもある。謎の愛書家洗足亭主人の蔵書目録が楽しい。

 でも紀田先生といったらやっぱり古本屋探偵須藤康平ものです。かつて『幻書辞典』(三一)に収められた短編ほか未収録短編一、及び長編一が『古本屋探偵の事件簿』(創)として一冊にまとまりました。須藤は神田神保町のビルの一角に”書肆・蔵書一代”を構える古本屋主人。本の探偵を任ずる彼のところに持ち込まれるのは愛書狂、蒐書狂が引き起こす一般人には想像することさえ叶わぬ恐るべき事件の数々。
 なんといっても第二話「書鬼」が絶品。そこに登場する愛書狂はステッキを持ち歩きその握りの下の目印の高さまで本を買わないと狂乱状態に陥る怪老人。なんか妙にリアリティーがあって怖い。神保町の古本屋でふと隣にいたりして。その老人の本拠地に乗り込んだ須藤は信じられないほど多量の本が詰め込まれた魔空間を体験する。本の山が崩れるとき世界が崩壊する。こわい、これはこわい。
 それにしても蔵書一代は名言です。人は誰も自分の蔵書をあの世まで持っていくことはできない。かの名編集長島崎博の日本最大と言われた島崎コレクションも”幻影城”休刊とともに借金の形として取り上げられました。エラリー・クイーンの世界最大のコレクションも散逸しかけていると聞きます。蔵書一代、人また一代、かくてみな共に死すべし。

 本と愛書狂に関わる話をいくつか探してみました。まずはなんといってもあのウンベルト・エーコ『薔薇の名前』(創)。黙示録連続殺人を引き起こした犯人の動機は一冊の本。犯人にとってそれは存在してはならぬ書だった。しかし自らそれを破壊することはどうしてもできなかった。彼はその本とともに滅んだ。そして大図書館の炎上、それは世界の焼失である。映画版でショーン・コネリー演ずるウィリアム修道士が燃える図書館から逃れたときに後生大事に本を抱き抱えていたのには思わず苦笑。でもあの気持ちはよーくわかる。
 大著ゴーメンガスト『タイタス・グローン』(創)のワンシーン。王位を狙う野心家スティアパイクはゴーメンガスト城当主抹殺をもくろみタイタスの父の図書館に放火する。猛火より身体はスティアパイクの手により救われた父王だったがその心は抜け殻になった。失われた蔵書を恋い嘆いてやがて狂死する。もう涙なしでは読めない。仇役に対してこれほど怒りを感じたことはない。
 中島敦『文字禍』。アッシリアの老博士は文字というものの恐るべき害悪に気付いた。文字の精霊は人間の目を喰い荒らす。文字は人間の頭脳を犯し精神を麻痺させる。文字として残されたことのみが真実の歴史となり書き洩らしは存在を失う。王に文字の廃止を進言した老博士は御不興をかった。自宅謹慎中の彼は折りからの地震で大量の粘土板の下敷きになり非業の最後を遂げる。文字の復讐を受けたのだ。古代メソポタミアに生まれなくて本当によかったと思います。
 そうそう忘れるとこでした。クイーン『レーン最後の事件』も愛書狂ミステリです。正義と真実のために尽くした名優が破滅したのはいかに稀覯とはいえ、いかに貴重とはいえ、たかが一編の手稿のためでした。文書は人を狂わせる魔力を持っているのです。

 再び紀田先生の話に戻り、角川文庫版『古本屋探偵登場』の解説で瀬戸川猛志が紀田先生の『現代人の読書』(三一)を引用しています。まずその定義。
 <愛書家とは自分の夢見る最上の生活が、書物との関係なくして考えられない人種のことをいう。自分の運命に書物が常にスーパーインポーズされているような人種をいうのである>
 その特徴。
★新聞を常に下から読む。書籍の広告欄からである。そこに面白い本がなければ、その日の世界にめぼしいニュースはなかったということになる。
★永遠の彼方にある憧憬の書物を想像するかのような眼つきをしている。
★天変地異の場合には、家族よりもまず書物の心配をする。
★貸した金は忘れても、貸した本は死ぬまで忘れない。
★幻想あるいは夢のうちに、書物状のものが出現する。
★書籍代に家計の80パーセント以上を費やし、ついには家庭生活を破壊せしむる。等々。

 なんというかそのー、怖い世界に足を踏み入れてしまったもんだ。かつて石川喬司や小林信彦といった読み達者がそれに例えたように、読書という趣味、蒐書という行為は”地獄の道楽”なのかも知れません。


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