僕は今まで滅多に旅行などしたことないんだけど、今回ひとり旅に行ってきました。場所は紀伊半島。自分の根本を見る旅になるんじゃないかと思いつつ。
☆1日目 8月7日(土) 日野〜名古屋〜名張
名古屋より近鉄特急で1時間半ほど、三重県名張市は紀伊半島の付け根のかなり内陸部に位置する。奈良市とも結構近い。別に観光名所でも何でもない。なぜ今回の旅の最初の目的地となったかというと、実は江戸川乱歩先生の出生地なのである。
出生地ではあるが幼年時代に名古屋に転居した乱歩先生にそこで暮らした記憶は全くない。だが、出生の地に生誕記念碑(1955年61才のときに建立)があり、また市立図書館に乱歩コーナーがあるということは知っていた。
先ずは市立図書館。駅からちょっと離れた高台の上。真新しい建物。確かに乱歩コーナーは実在した。図書館の利用案内に曰く、《本市出身の探偵小説作家、江戸川乱歩に関するコーナーで、乱歩の直筆原稿をはじめ愛用の遺品も陳列してあります。また、江戸川乱歩賞の受賞作品をはじめ、多くの推理小説を用意しています。》また、毎月第2土曜日には乱歩読書会も催されているそうだ。今度SRの例会でこの案内書配ってこよ、っと。
遺品、写真等もだが、蔵書の珍しさにも目を奪われた。揃いどころか端本すらお目にかかったこともない昭和20〜30年代の全集とかも随分あった。涎が出る。こんな図書館身近に欲しい。(でも、あとで町中をいくら探しても新古を問わず本屋が見つからなかった。そんなところでは暮らせまい。)
92年には《ランラン乱歩祭》とかいうのが開かれたそうだ。生誕百年の来年にも何かやるんだろうな。観光資源のないところは大変だ。
宿にチェックイン後、雨振る夕闇の中を生誕碑探索に出立。場所がよくわからず、地図買ったら一発だった。名張市新町桝田医院の敷地内に立てられているとのことだったが、市街地図に医院が名前で乗っている。
生誕碑は雨の中瀟洒に佇んでいた。
☆2日目 8月8日(日) 名張〜伊賀上野〜鳥羽
午前中は雨も上がったので生誕碑で記念撮影したり、その側の名張川の川辺にて乱歩先生の短編読んだりして過ごす。
残念だったのは名張名物乱歩せんべいが既に売ってなかったこと。生誕碑建立当時は二銭銅貨の形をした瓦せんべいを発売していたそうなんだが。
午後より、伊賀上野。名張にはかなり近い。ここは松尾芭蕉と伊賀忍者で有名。芭蕉が実は忍者だったという説もある。
探偵小説とのゆかりもないことはない。乱歩先生のお言葉《探偵小説にひとりの芭蕉を》もだが、乱歩先生の御先祖は藤堂家に仕え、上野城につめていたんだそうだ。山田風太郎が、乱歩先生の先祖と芭蕉が同僚で、「それがしは、うつし世は夢、夜の夢こそまことと思いますが如何に」とかいう会話を交わす「伊賀の散歩者」なる短編を書いているそうだ。未読だが、一度読んでみたいものだ。
そしてさらに乱歩先生と芭蕉にはある共通の嗜好がある。やはりこの地方の出身者の南方熊楠を加えてもよい。この話もいずれしましょう。
芭蕉関連の記念物は大したものなし。でもジャリ向けの忍者科学館で意外な発見があった。
そもそも服部の氏は聖徳太子の部下に由来し諜報を司ったという。本地垂迹説の行基を国家権力は弾圧したが、それを守って立ったのが役行者らの修験者達である。その後、山岳仏教に日本兵法は流れ、平将門、源義経、楠木正成らを通じて、戦国・江戸時代の忍者につながる。
忍はこの国の成立とともに生まれ、霊峰高野山を抱えたこの地でずっと受け継がれてきたのだ。
午後遅く上野を出て、海岸部へ向かう。鳥羽に着いたのは6時頃。一日たたないと次にどうするか予定が決められず、予約を全くしていない。従って、宿探しに苦労する。結局、ツインの部屋にひとりで泊まることに。
☆3日目 8月9日(月) 鳥羽〜伊勢
3日目は終日鳥羽にいた。
さて、鳥羽というところも、乱歩先生に大いにゆかりのある土地である。
作品では『パノラマ島奇談』(1927)。パノラマ島は、元来は沖の島と呼ばれ、M県のI湾が太平洋へ出ようとする、S郡の南端に、ほかの島々から飛び離れて、・・・浮かんでいる、とある。これはそれぞれ三重県、伊勢湾、志摩郡のことに間違いない。とすると、パノラマ島は、神島に相当する。神島は三島由紀夫『潮騒』の舞台となったところだとガイドブックにある。私は『潮騒』は読んではいないが、三島も乱歩狂(たこい君のとこに埋もれている<デジャブ>3.6掲載予定の拙稿参照)だったので、そこがパノラマ島と知りつつ自作の舞台に取ったということは充分有り得ることだ。
人見広介と菰田千代子が汽車の終点のT駅から、モーター船で沖の島へ向かった、とあるが、そこが鳥羽。
そして鳥羽は乱歩先生が青春時代を過ごしたところ。
若き平井太郎は二十三から二十四才にかけての1年2ヶ月を鳥羽造船所で送っている。事務員として就職したが技師長に気に入られ、仕事らしい仕事はせず、雑誌の編集をしたり、押入の中で日がな一日寝て過ごしたりして暮らしていたという。
江戸川乱歩先生というと世に出る前に様々な職業を転々としたり、あるいは例の厭人癖など、一種の性格破綻者だったという印象が強い。でも、そればかりでもなかろうという気がする。随筆などに見られる態度は結構あからさまだが、その中にもある種のポーズ、あるいは虚構が混ざっているのではないか。さもなけば平井太郎が鳥羽造船所を辞職した際に5人も殉じて辞めるわけがない(二川至(島田荘司『網走発遥かなり』)こと二山久を含む)。
そしてこの地で一つのロマンスが生まれた。相手は坂手島の小学校教諭村山隆子。平井太郎青年は鳥羽お伽会なるものをつくり、近辺の小学校をまわっていた。そして鳥羽湾に浮かぶ坂手島の小学校で隆子に出会った。
この話は非常にほほえましい。自らを恋愛不能者だと言う乱歩先生を射止めたのは彼女にしかできなかったことだ。これについてはあまりにも面白かったので3年ほど前に原稿書いて、コピーも取らずに海野家に送ってしまってある。どうしても知りたい人は『わが夢と真実』所載の「妻のこと」、あるいは講談社版『貼雑年譜』を参照のこと。
さて、鳥羽は観光地でもあり、いろいろ見てまわると結構忙しい。おまけに当日と明日の宿の手配をしなくてはならなくて、輪をかけて無性に慌ただしかった。
その中で鳥羽水族館の本館及び新館と真珠島まで見た。
水族館、パノラマ島にも出てきたよな。
ミキモト真珠島。偶然ながら本年が養殖真珠百年に当たるそうな。真珠造りの夢殿とか地球儀とかがある。五重の塔もあった。確かこれは二十面相に狙われたことがあったんじゃないかな。
折角、観光地にいるのだからこうして名所も見てまわりはした。でも、僕は知らない町を歩いてまわったり、静かな場所を見つけて本読んだり考え事したりする方が好きなんだ、ということがわかった。
若き日の乱歩が歩いたはずの町並みを歩き回った。造船場なぞ敷地も残っていない。高台に立つ鳥羽小学校の校舎は当時からの建物か。
坂手島にも渡った。こちらの島は特に観光地でもなく昔ながらの風景だった。乱歩夫人の実家らしい雑貨屋があった。坂手小学校の校門にて佇み、六十年前のロマンスに思いを馳せた。
そしてその晩は伊勢泊り。鳥羽は完璧な観光地で全然宿が取れなかったが、伊勢まで戻ればまだ当日でも予約が取れた。
夜7時半着。ホテルを探して歩いていたら古本屋があり、ふらふらと入ったら、なんと<幻影城>が一冊350円で!売っていた。探偵小説の神様のお引き合わせ、とばかりに一冊買ったが、よく調べたら持っている号だった。残念。あと4冊なんだけどなかなか集まらない。持ってない号が見つかればもう最高だったんだけどなあ。
☆4日目 8月10日(火) 伊勢〜多気〜南紀1号〜くろしお24号〜串本
紀伊半島東岸を南下した日。台風にたたられる。特急南紀1号は尾鷲の次の小駅にて3時間以上ストップ。特急料金全額払い戻しの上、パンの配給まで受け一食分浮いた。
その間ひたすら南方熊楠を読み耽った。
それはともかく。乱歩先生の作品のうちで宝探しが絡むものは全て三重県から和歌山県に至るこの海岸を舞台に取っている。北から順に作品名と場所と暗号を記す。
『大金塊』(1940) 三重県長島 岩屋島(鬼ガ島)