「怪談入門」つながりということで、積ん読していた本書を手に取る。題名通り恐竜が登場する国産文学作品のアンソロジー。少年時代の江戸川乱歩に忘れがたい印象を与えたという「湖上の怪物」を収録しているのが売りのひとつ。
一番手の星新一「午後の恐竜」は、作者の一千編を越える作品の中でもとりわけ記憶に残るものの一つ。ある穏やかな日曜日、街角に現れた恐竜の群。恐竜たちは実体ではないながらも確固たる存在感を人間に見せつけた。恐竜の、自然の、生命の雄大さと人類の卑小さとを鮮やかに対比させた結末は哀切極まりない。
井上雅彦「危険水域」は、ホラー映画ファンで知られる作者が数多の銀幕上の恐竜とその製作者にささげたオマージュ。
豊田有恒「過去の翳」では、突発事故で白亜紀の東北いわきに飛ばされた男女がドロマエオサウルスから進化した恐竜人類と出会う。考証の綿密さにわくわくするものがある。これだけでは結末が唐突すぎるが、後の長編『ダイノサウルス作戦』につながったという。
小林恭二「大相撲の滅亡」と景山民夫「クラシック・パーク」は、打って変わって抱腹絶倒のパロディ。
前者は力士の大型化を恐竜に例えるが、全体としては日本人論。これも恐竜文学なのかい。
後者は村おこしのためにジュラシック・パークの向こうを張った妖怪ランドを開こうとした蔵敷町の騒動記。作者の『遠い海から来たCOO』は結構好きだった。
荒俣宏「恐竜レストラン」は、『図鑑の博物誌』からのエピソード。1851年のロンドン万博で評判を取った恐竜模型の製作者は恐竜を題材にしたショーを考案するが、悲惨な末路を辿る。
中谷宇吉郎「イグアノドンの唄」は、物理学者にして随筆家である著者の一編。終戦直後の冬の北海道の夜を子供たちにドイルの『ロスト・ワールド』を物語って過ごした思い出が、シーラカンスの発見記やヒマラヤの雪男の目撃談を挟んで語られる。外の寒さと一家の団欒と、そして古代への郷愁とが感じ取れる名文である。
種村季弘「水中生活者の夢*香山滋」は、元々は香山滋の作品集『海鰻荘奇談』(桃源社:1969)+の解説で、評論集『夢の舌』(北宗社:1979,1996)+に収録される。秘境と原始生物をこよなく愛するこの作家を的確に評価している。
香山滋は私にとって非常に好きな作家の一人であるが、まだきちんとした形で語ったことがない。
その魅力に取り憑かれたのは教養文庫の傑作選で。雑誌やアンソロジーで未読作を探し、たまに長編を古本屋で入手できると有頂天になった。国書刊行会での復刻本は高くてとても買えないので仙台市立図書館に入れてもらった。その後、三一書房の全集を購入するが、全十四巻中六巻しか読んでいない。
熱っぽい文章で独自の世界を作り上げる様とその旺盛な執筆量は、戦前では夢野久作、戦後では山田風太郎に匹敵する。その最良の作品は彼らと同様に天の高みに到達する。
だが、残念なことに両者との違いは作品の質のむらにある。久作や風太郎に駄作がないのに対し、香山滋には山ほどある。
全集を読み通すのが辛くなった。まさに玉石混交であり酷いものはかなり酷い。また同じような状況の話もやたらに多い。まとめて読むことにより、好きだけれど、二流作家でしかないのかと思わされてしまった。
種村の評論では、香山の作品の幅の狭さをある一人の女性を綿々とかき口説くラブレターに例える。その相手の女性を母またはそれに代わる近親者とし、香山作品の深層流としての母胎回帰衝動を指摘する。
さらに文章の細やかさを香山の得意とする動物変身譚の先達、泉鏡花と比較し、また作風の類似を述べる。卓見である。
私もいつか香山作品の魅力を思う存分語ってみたい。そう思わされた。
カーティス「湖上の怪物」は、乱歩が「怪談入門」の動物怪談の項目で取り挙げた怪作。黒姫山中の湖を調査する学者と友人は、それが広大な地底世界への入り口だということに気づく。ある嵐の次の日、湖畔に打ち上げられていたのは巨大な前世紀の怪物だった。その生命力に驚いた瀕死の友人は、自分の脳を怪物に移植することを願って自ら息絶える。そして……。
なるほど、こんなものを少年時代に読んだら、乱歩先生でなくても忘れはすまい。原本が英和対訳本で、英語の勉強のためのテキストに使われたというのが何とも凄い。
宮沢賢治「楢ノ木大学士の野宿」(抄)は、宝石の探索に出かけた鉱山師の見た夢三夜のうち、一夜分のみ収録。農学者、理学者であった作者の鉱物幻想、考古学幻想が楽しい。
吉田健一「沼」は、総理大臣吉田茂の長男にて作家・評論家、さらにチェスタトンの訳者としても知られる筆者の随筆。北支の草原の家の近くで群生している小さな草が椰子の木にそっくりなので、根元に瀬戸物の象の玩具を置いたらそこはアフリカの西海岸に変わった。小さな水溜りは巨大な沼となり、太古の奇怪な生物群が蠢き出す。人魚姫、騎士伝説から、アトランティス伝説、そして恐竜。筆者の随想は留まるところを知らない。
清岡卓行「恐竜展で」は、現代詩。中国恐竜展を訪れた父と子のひとこま。
河野典生「トリケラトプス」は、父と子がトリケラトプスを幻視する。彼らの棲む町にトリケラトプスの群生が重なり合ったのは次元の断層のためか。だが、ティラノサウルスの来襲により平和な日々は終る。都市生活者の日常を侵犯する非日常を描いた『街の博物誌』の一編。
山野浩一「恐竜」は、ラグビー部の合宿に取り組む青年たちがエネルギーの鬱屈と発散を恐竜の夢に重ね合わせる。SFというジャンル自体の青春とも一致し、結末には一抹の寂しさを覚える。
筒井康隆「ここに恐竜あり」は鬼才の問題作。恐竜と怪獣とは何が違うのか。突然出現したティラノサウルスはそれを訴えようとする。この作者らしい皮肉が強烈である。
井辻朱美「恐竜と道化」は短歌。エンディング・クレジットの役割を果たす。
珍しいもの懐かしいもの、いろいろと読めた。それはともかく、アンソロジーの書評は一編ずつにコメントつけなきゃならんので大変だ。