日本で独自編集されたオカルト探偵サイモン・アークものの短編集。
シリーズ第一作「死者の村」が作者のデビュー作だったとのこと。作者の死まで五十四年間続いたシリーズであり、本書ではその全ての年代から数編ずつ収録してシリーズの全体像が明らかになるように編集しているという。
サイモン・アークは背が高く見る者に異様な印象を与える男。自称二千歳で、キリスト教黎明期は北アフリカでコプト教の僧侶だったという。
彼の目的は悪魔退治でそのために世界中を渡り歩く。
最初の事件「死者の村」で、彼は記者の「わたし」の目の前に初めて姿を現す。
寂れた金鉱があるギダズ村で全住民七十三人が飛び降りて死んだ怪事件にアークは聖アウグスチヌスが戦った邪教集団の復活を示唆する。
意外な犯人も指摘されて本格ミステリーにもなっている。それでもホックのデビュー作がこれだとはちょっとびっくりした。
第一作はいいのだが、それ以降はあまりいただけない話が多い。オカルト探偵ものというのはホジスン『幽霊狩人カーナッキ』などあるが、SFミステリーの一種であるべきだ。
超自然現象があるという前提のもとで、怪事が悪魔による場合も人為的なものの場合もあって複雑さが増す。また、この世の論理でない異形の論理展開もあると望ましい。
それなのにこのシリーズは怪異の正体が人為的な場合に大きく偏っている。折角探偵を不死人に据えて超自然現象がありうる世界観なのに。
アークを引っ張り出した「わたし」が無駄足を踏ませたと謝り、アークが犯罪を犯した者の心に悪魔がいたと答える場面があったりするが、私にとっては期待を外されて空々しい。
気を取り直して各編にコメントしておく。
「地獄の代理人」は、ヘンリー八世の友人で”地獄の代理人”と呼ばれたブライアン卿について書かれた幻の書物がロンドンの悪魔崇拝者の暗躍を呼ぶ。「わたし」が巻き込まれた現代の事件の解決はいいが、歴史の謎は肩透かし。
「魔術師の日」では、戦争末期に北アフリカに墜落した爆撃機を十七年経った今になって探し出す必要が生じて、「わたし」は当局よりこの地を熟知するサイモン・アークを呼び出すように依頼される。「わたし」はカイロの魔術師にアークに対する挑戦をさせて記事にするが、その小屋で殺人が起こる。飛行機に乗せられていたものの正体には驚いたが、これはオカルト探偵ものに求める味ではない。
「霧の中の埋葬」では、ダゴンという名の悪魔の力を持つ男に狙われているという男が「わたし」を通じてアークに依頼してくる。彼はダゴンが手も触れずに若い女を殺すところを目撃したという。トリックはいいのだがごちゃごちゃし過ぎ。
「狼男を撃った男」では、州知事候補が自宅の庭に侵入した狼を撃ち殺したが、それが若い男の死体に変わっていたという。窮地に立った候補は「わたし」を通じてアークの出馬を依頼する。随所に伏線も張られ本格短編としては悪い出来ではない。でもね。
「悪魔撲滅教団」では、そう名乗る団体が「わたし」の勤めるネプチューン・ブックス出版に三叉鉾の社章が悪魔のマークだから不買運動を起こすと通告してきた。「わたし」はアークに仲介を頼み、その団体は寄付金を要求してきた。要求に応じた振りをして警察に通報しようとするが、受け渡しの現場で寄付金の包みが爆発してしまう。
アークの絡ませ方として一工夫あったが、筋が破綻している。
「妖精コリヤダ」は、ロシア民話のクリスマスにプレゼントを配る妖精の乙女。大学構内のロシア人居住地に現れたコリアダは、老教授の頬に触れて凍死させた。
これを超自然現象とは誰も思わない。本格ものとしては及第点。
「傷痕同盟」では、将来のノーベル文学賞作家の版権を取りにイスタンブールへ行った「わたし」は、アークとともに美術館の絵が切り裂かれる事件に関わる。異国情緒の元でのエスピオナージでオカルト色はなし。
「奇蹟の教祖」では、アークと「わたし」はカリフォーニアの新興宗教ラスク教の内偵に行く。彼らを教団本部まで導いた女性は教祖の不興を買った。彼女の身の危険を心配して用心する二人の目前で、洗車機に車を乗り入れた彼女は愛車もろとも失踪してしまう。奇術趣味ではこの話が一番だった。
「キルトを縫わないキルター」では、「わたし」の妻シェリーが入っている神秘主義の集まりにアークを講師として招こうとする。その一員が引退した映画スターだと聞いてアークはそれを引き受ける。彼女の引退する原因になったファラウェイ・キルターズという集まりについてアークは異様に関心を抱いていた。ところが、もう一人の講演者だったミス死神が会の帰りに事故死してしまった。
ありったけ興味を引き付けられたが、この終わり方は梯子を外されたようなものである。
何やかや文句をつけても本格短編として優れた話は混じっているので、第二集が出たらやっぱり買ってしまうだろう。