『彗星との日々』

『彗星との日々』


 本多正一著・中井英夫写真集『彗星との日々 中井英夫との四年半』を入手。著者は中井英夫最晩年を助手としてともに過ごした人。

 まず最初の一枚はカラスウリの妖艶な花。羽根木の家から引っ越す直前。中井と本多の邂逅。
 銀髪に眼鏡の老人がたたずみ、散歩するのは野川近辺。このあたりの光景は<幻想文学>誌の口絵でよく見かけたものだった。
 ベッドで本読んだり、おどけて見せたり。散歩のスナップの右下には「90 11 6」と日付が入る。

 「90 11 27」。喀血の現場検証写真。血で汚れたごみ箱をひょいとカメラに掲げるその笑顔。ぎくりとするほどやつれが目立つ。

 日記からの引用が写真に添付される。
 「91 8 17」<でもどうしてわかってくんないのか正一は。己が今までダメのダメでやってきたと。そして68才まで生きてきたと。それを酒のむな、仕事しろ、とばかりいうお前、まちがっておーる。>
 「91 10 19」<夕映はなぜあんなに美しいのか、この世ならぬ美のあることを教えるためか。>
 「92 1 2」<物語を書きたい!かつて書けたいくつかのような妖かしの話を……。>

 「92 2 29」は何かの記念日か。『虚無への供物』の単行本と赤い薔薇の花束とを抱えポーズをとる英夫。背後には竹中英太郎画の色紙が見える。
 <でも「虚無 − 」は当然己が書くしかなかった。乱歩以前からのあらゆるミステリがこめられているから。乱歩の始まりと終わりを知っちょった。>

 池袋は江戸川乱歩邸門前での記念撮影。英夫と並んで初めて本多が姿を見せる。
 93年7月から肝硬変で入院。9月16日に日野市田中病院に転院。
 目をそむけたくなるような写真が続く。

 「93 12 10」。新宿駅の表示灯。
 <十時過ぎに病院から「病状が急変したのですぐに来て下さい」と云われたときから覚悟はしていた。
 『虚無への供物』の文庫本だけをバッグに入れ、豊田へ向かう中央線の中、茂吉の「みちのくの母のいのちを一目見ん一目見んとぞただにいそげる」がワンワンと頭の中から離れない。>
 <ちょうど今頃、冬、の物語だったな、と分厚い文庫本を繰りながら「何か」を探しはじめていた。
 冒頭二段落目「 − 一九五四年の十二月十日。」を見つけた瞬間、「これはダメだ」と雷に打たれたような気がした。
 間にあわない。>
 闇の中に浮かび上がる見慣れた田中病院の外壁。空のベッド。
 <「十一時五十分に亡くなりました」  − 結局 − 俺はいつも遅すぎる>

 翌朝の豊田駅近辺の光景。朝日新聞の死亡記事。法昌寺の須彌壇の遺影。

 腰巻きの言葉。
 <写真はついにセルフ・ポートレイトを免れることはできないのではないか。かねてより漠然と考えていたことが、今回『彗星との日々』を編んでみて、実感として思い知らされることとなった。
 現実の出逢いから永別まで、写真機という天体望遠鏡を用いて、中井英夫という孤独な大彗星を追いかけ続けていたつもりだったのだが、どうやらこの天体観測は失敗に終わったらしい。写っていたのは私。中井英夫の日々を撮影していたつもりでいたのだが、残されたプリントは二十代後半の私の日々のセルフ・ポートレイト以外の何ものでもなかったようなのである。>

   *光村印刷(株) 地方小出版流通センター扱い



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