『宝石推理小説傑作選1』

『宝石推理小説傑作選1』



 いんなあとりっぷ社から1974年に限定888部で売り出された『宝石推理小説傑作選』全三巻であるが、 猟奇の鉄人掲示板で今だ在庫があることが去年明らかになった。私もそのとき買った。だが、読み通したという人はあまり聞かない。因みに私のは365番。
 雑誌が歴史そのものだとしたら、本書は歴史の一部を切り取ったものである。特にこの第一巻は「序」に横溝正史の直筆サインが入っているのでなおさらである。
 収録された作品は、戦前から書いていた作家も一部あるが、多くは<宝石>でデビューし育っていった作家である。第一巻は<宝石>の1946年の創刊から1952年までの掲載作を収録する。
 <宝石>創刊号でなされた新人公募は編集部も驚く予想外の反響を呼び、以下七作当選という充実した結果になった。飛鳥高「犯罪の場」、鬼怒川浩「鸚鵡裁判」、独多甚九「網膜物語」、香山滋「オラン・ペンテグの復讐」、山田風太郎「達磨峠の事件」、岩田賛「砥石」、島田一男「殺人演出」。

 飛鳥高「犯罪の場」は、元祖理系ミステリー。土木工学科の実験室で学生が撲殺された事件。現場は密室。 タイトルの「場」はれっきとした物理学用語で仕掛けも正に力学的トリック。 その一方で犯人の心象には戦争の影がまだ色濃い。
 作者は東大工学部を卒業して清水建設に勤め、偉くなって忙しくなってしまったために執筆を絶った。初期は物理トリックの不可能犯罪物が多いが次第に作風が変わり、探偵作家クラブ賞受賞作の『細い赤い糸』(1961)のような人間心理を絡め取るようなものも著すようになった (→作品目録)。

 天城一「不思議の国の犯罪」もまた密室もの。札付きの不良社員が殺されたのは会社の敷地内だったが、通用門の外で守衛と巡査が立ち話をしていたがために密室になってしまった。島崎警部補の鮮やかな解決を摩耶は嘲笑う。これは我々の法則が適用できない犯罪だと。
 飛鳥の工学博士に対し、天城は数学科教授。天城一の初期作の突飛さはなかなかいい感じだが、一番好きなのは「高天原の犯罪」。この切れ味は神業である。この作者のものもそろそろ商業出版でも一冊にまとめてほしいものである (→作品目録)。

 独多甚九「網膜物語」は、眼底の網膜写真撮影に凝りまくった若い眼科医ドクタア・ベンの話。ある患者はやたらにその写真の事を気にしていたが、ドクタア・ベンは医学誌でその患者のものと似た網膜の写真を見つけて個人鑑別の可能性に興味を抱く。しかし、……。医学的な探偵味と明るい雰囲気で印象に残る話である。
 これは当選七作のうちで乱歩が飛鳥高の次に評価した作品だったが、作者本人は当選さえも知らず病に倒れた。当時は不明だった消息は今では鮎川哲也により明らかになっている (→作品目録)。

 島田一男「殺人演出」は、デビュー作から作者らしい達者さ。代々木の鴻々荘での自殺と思われる事件を怪しいとにらんだ平川刑事の勘で小島部長刑事が出馬する。鋭い推理を働かし密室の謎まで再現して見せる手際は並みではない。そして刑事たちの間で交わされる歯切れのいい会話。後年の作者の作品で活躍する刑事や新聞記者たちの原型が既にここにある。
 旺盛な筆力を持つ作者は「社会部記者」「鉄道公安官」「女捜査官」と話題作を書き続け、また多くの作品がテレビドラマ化された。九十歳を間近にして亡くなるまで現役の作家であった。

 鬼怒川浩「鸚鵡裁判」は、広島の扇店だるま屋の名物「ダルマオウギ」と喋る鸚鵡と、夜釣りに出かけた恋人たちを何者かが襲った「海坊主事件」の暗い関係。原爆の破壊の跡が生々しい町並みと犯人の心の荒廃が重なって見える。
 その後の作者は通俗ミステリを得意としてかなり書いていたようだが、今他に読めるのは<EQ>に採録された一編だけ(→作品目録)。

 岩田賛「砥石」もまた密室もの。田舎を舞台にしていろいろと趣向を凝らしてある。図解入りで説明される遠隔殺人トリックもそれなりの説得力がある。初読。
 作風は地味だが結構作品を書いていて、作品リストをつくってみたら案外たくさんあったのでびっくりした(→作品目録)。

 永瀬三吾「軍鶏」は、赤ん坊の目を突ついて殺した軍鶏を高値で引き取っていった男のたくらむ計略。引き上げの体験も生かし、終戦後の殺伐とした世相を背景に作者は人の心の闇に目を向ける。 初読。
 永瀬は<宝石>の編集長を1952年8月号から、乱歩編集となる1957年8月号まで勤める。「売国奴」(1954)でクラブ賞も受賞している(→作品目録)。

 乾信一郎「サンタクロス殺人事件」は、畏友イタ松こと伊多見松男の新事業。クリスマスの晩に依頼された家庭にサンタクロスを派遣するというものだが、その先の一軒で主人が殺されてしまったもので大騒ぎ。ユーモアタッチの掌編。初読。
 作者は<新青年>時代から活躍してきた編集者で、九十三歳まで長生きされ、貴重な回顧録も残している。

 海野十三「幽霊消却法」は、女ひとり男ふたりの三角関係の顛末。初っ端からどんでん返しの連続。誰が死人で誰が生きているのかもわけわからなくなる。 海野特有の壊れたユーモアが全開のまぎれもない怪作。 初読。
 著者最晩年の作で三一書房版全集にも収録されていない貴重品ではある (→作品目録)。

 大坪砂男「天狗」は、男の妄執で女が飛ぶ。その鮮やかさは天の高みに届いている。 瀬戸川猛資編集の<BOOKMAN>の<宝石>特集号で<宝石>を代表する一編として復刻もされた名編。
 高木彬光、山田風太郎、香山滋、島田一男とともに戦後五人男と呼ばれたが不遇の死を遂げた大坪砂男。国書刊行会の『天狗』はあるもののまたもうそろそろまとめて出してほしいものである。薔薇十字社・出帆社の全集にも未収録作品はある(→作品目録)。

 椿八郎「くすり指」は、快速船上海丸の船医が語る魔都上海での生活の懺悔話。日本からの駆け落ちに破れ、つかざるをえなかったいまわしい仕事。 麻薬注射店で差し出された腕に注射を続け、また暗殺替え玉用に買い上げたくすり指の切断を行う。その指がもたらした十五年ぶりの奇縁。初読。
 作者は正木不如丘の門下で本職は医者。今でも読めるものがあと二編ある (→作品目録)。

 佐藤春夫「小草の夢」は、戦後まもなく築地の酒場で見知ったある酔客の詩人のこと。詩人の語る大空襲賛美は、乱歩の「防空濠」(1955)に影響しているかもしれない。初読。
 大正期の犯罪・幻想小説はあまりにも有名だが、戦後にもその手の作品はあるそうだ。

 鷲尾三郎「疑問の指環」は、戦後間もない神戸で起きた会社社長の溺死事件。社長のシャツとワイシャツの間には見覚えのない指輪が挟まっていてそれが手掛かりとなる。凶行手段の着想は奇抜極まり、土地柄をうまく使っている。
 作者はトリックメーカーとして有名で、傑作「文殊の罠」や『悪魔の函』四部作がアンソロジーで読める (→作品目録)。

 本間田麻誉「猿神の贄」は、同棲した男を刺して逮捕された女が久我医師にした告白。空襲の晩の空白のときに身を汚され子まで孕んだ彼女は、自身を伝説にある猿神の生贄になぞらえる。頑是ない赤ん坊からその父親の面影を構築するが、それに似た男にいつしか惹かれてしまう。そして、……。女と男の最悪の出会いを描いたもの。あまりにも哀しすぎる。初読。
 作者は文学派に属したが、<新青年>の抜打座談会騒動で発表媒体を失い、また失火により住居を焼いたと伝えられ消息を絶った。<幻影城>にあと一編が再録されている (→作品目録)。

 宮野村子「黒い影」は、血を分けた姉妹の間の長年に渡る憎悪と葛藤。幼い日に命運を分けた不幸な事故。妹は軽傷で済んだが姉は不具となった。お互いに注ぎあった毒が大きな歪みをもたらし、思春期を迎えて遂に激突する。女性にしか書けない話だろうと思うとなおのこと恐ろしい。
 作者は近年になり代表長編『鯉沼家の悲劇』(1949)やデビュー作「柿の木」(1938)が復刻され再評価の気運が増してきている (→作品目録)。

 城昌幸「道化役」は、町で出会った少女に見せられた一枚の写真と沈黙せざるを得ない真実。 結構好きな話である。
 城は版元の岩谷書店(のちに宝石社)の社長を1952年から務めるがそれは名目だけで、金も出さず口も出さなかったという。<宝石>という誌名の命名者ではあった。ショートショートの分野では戦前戦後と息の長い活躍をし、この時期にも代表作は多い (→作品目録)。

 鮎川哲也「地虫」は、美しくも儚いファンタジー。 古い屋敷に一人住む主人公は失恋して自殺を謀るが庭に咲く白百合の精に妨げられる。花の精との三日目ごとの逢瀬は彼の性格をも明るく変えていった。だが楽しい季節はいつまでも続かず、その上再会の望みも無惨にも潰える。 よりによってなぜこれが採られたのかという気がしないでもないが、ある意味では最も鮎川の本質を体現している作。

 宮原龍雄「三つの樽」では、交通事故でオート三輪から転がり出した二つの樽のうちの一つが壊れ女の死体が出た。樽の送り主の彫刻家が犯人と目された。だが運転手の証言では彫刻を詰めた樽を被害者と思われる女性ともどもアトリエから送り出し、すり替える隙などなかったという。ただでさえ混乱のさなかに第三の樽が現れる。三原検事と満城警部補のコンビがこの謎に挑む。実によくできたパズルであり頭脳と魂に心地よい興奮を与えてくれる。
 怪奇的な発端の事件をとことん論理的に解明していく作者の短編は非常に質が高くアンソロジーに収録される頻度も多い (→作品目録)。

 藤村正太「接吻物語」は、接吻狂だった娘が接吻恐怖症になった次第を女学生時代の友人に書き送る。彼女の恋人は探偵作家を目指しながらもいつも懸賞に落選してきた。そんな彼からある日届いた恐るべき手紙。話がちょっとつくり過ぎで結末も納得いかないが、それでも作者の才気は感じられる。 初読。
 作者は当時は川島郁夫の名前で投稿していて、本作は「黄色い輪」とともにデビュー作となる。後に筆名を改めて乱歩賞を受賞したが、五十三歳で死去。

 岡田鯱彦「真実追求家」では、その正義感の激烈さのために学生時代から真実追求家と仇名された男の告白。あまりの性癖の強さのために学問を断念し友を失い、それでもようやく得た家庭をもまた破壊されて失った。異様な論理が重厚に語られ、破滅に至る経過に圧倒されざるをえない。 初読。
 作者は源氏物語に材を取った長編『薫大将と匂の宮』(1950)で知られるが他にも作品は多い (→作品目録)。

 千代有三「痴人の宴」は、犯人当て毒殺ミステリー。園助教授が甲子園浜の避暑地の邸宅で催された誕生パーティーに遅れて着いたときは既に五人の若者で盛り上がっていた。園の音頭で食後のコーヒーで乾杯したとき、突然主役の初瀬ルミが崩れ落ちた。警察による尋問と警護が行われる中、その真夜中にも変事が起こる……。 この時代にしか成立しないアリバイトリックはまあいい。真犯人の他に二人も偽の犯人を立てようという趣向も悪くはない。それなのに全体的に粗雑な印象がするのは犯人たちに凡ミスが多すぎるからか。 初読。
 作者は本名鈴木幸夫、早稲田大学の英文学科教授で推理小説の翻訳も多い。作者の園牧雄助教授ものは神津恭介の友人という設定もあり 一部で話題に上ったが、残した作品数の割りには容易に入手できるものはあと二編しかない (→作品目録)。

 水谷準「メヒィストの誕生」で、語り手は銀座のカフェで画家野瀬の絵が飾られているのを見てその持ち主の女給の礼仁恵に興味を抱く。野瀬にそのことを漏らすと異様な反応を示す。礼仁恵は野瀬が戦場に向かう前に絞め殺した女だという。何やらただならぬものを感じるが、結局惨劇は避けられない。 全てが終った後で語り手は彼自身が悪魔だったことに気づく。 初読。
 作者の戦後の短編は戦前のものともまた違う円熟味がある。「ある決闘」(1951)でクラブ賞も受賞 (→作品目録)。

 狩久「落石」は、「氷山」とともに作者のデビュー作。驀進する列車の前に身を投げ出して右腕を切り落とした杏子。これを利用して女優として成功した彼女はその後で今度こそ谷底に跳び込んで死んだ。妹葉子は姉の終焉の地に家を建て庭に姉の命を絶った岩を置いて暮らしていたが……。 狩久には個人的に思い入れがあるが、見かけの無機的な硬質さの中に熱いロマンが隠されているのは作者ならではのもの。 初読。
 作者はデビューの後で百編近くの短編を発表し沈黙。<幻影城>で復活するが病に倒れた (→作品目録)。

 丘美丈二郎「佐門谷」は、宗教指導者だった神辺先生が田舎に招かれたときの怪異譚。駅まで迎えに来た馬車が夜中に佐門谷という峠の難所を通りかかった際に亡霊を目撃する。この話を聞いた筆者はあまりの生々しさに実際の体験談だと思いつつも何か裏があるのではとにらむが。迫力ある怪談を語った上でそれ全てに合理的な説明をつけるのは大したもの。
 作者はSFの先駆者でもあり、長編『鉛の小函』が<幻影城>で読める (→作品目録)。 「地球防衛軍」「宇宙大戦争」「妖星ゴラス」「宇宙大怪獣ドゴラ」と、東宝特撮映画の原作も多い。

 坪田宏「勲章」は、息子を戦死させた元軍人が自分と息子の勲章を九つもつけて溺死していた事件。世をはかなんでの自殺とも思え、その姪との結婚を断られつづけた徴兵されなかった足の悪い青年にはアリバイがあった。 黒牛と仇名される黒内刑事の粘りで事件は解き明かされるが、関係者みなに苦い後味が残った。 初読。
 最近「二つの遺書」が復刻された坪内宏だが他にも読める作品は多い (→作品目録)。

 土屋隆夫「青い帽子の物語」は、妻との間がうまく行かなくなってしばしの蒸発を決意した作家の話。妙な成り行きから自分は死んだことになってしまった。早く名乗り出ればいいものの高見の見物を決め込んだことから意外な事態へ。土屋は短編よりも長編の方がいいと思う。

 創作の方は26編中初読が13編。読んでいるのにすっかり忘れていた話もあれば、読んでないのに読んでいたつもりになっていた話もあった。長い<宝石>の歴史の上で一作家一作品と言う選択なのでどの話も力作には違いなく、例え再読の作品でもこうして読み返す機会を得たのが嬉しくなる。

 評論・座談編の方では、森下雨村の上京を機に催された座談会の記録が貴重品。<新青年>の創刊から乱歩のデビューあたりまでについてで初めて聞いた話も多い。新しい雑誌を創ろうというときの若さの熱気が感じられた。


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