木々高太郎

木々高太郎


 本名林髞(たかし)。慶応義塾大学医学部教授。大脳生理学者。

 高太郎は昭和九年*「網膜脈視症」でデビュウ。前年に登場した虫太郎と共に探偵小説第二の興隆期の原動力となりました。

 高太郎の第一の特徴は、精神分析を取り入れたことです。*「網膜脈視症」では動物恐怖症の男の子の診療の過程で過去に埋もれた殺人が暴露され、*「就眠儀式」では、不眠症の令嬢の奇妙な行動から未来の犯罪が予見されます。どちらも今読んでも非常に斬新な作品です。探偵役の大心地(おおころち)先生は、後年の作者を彷彿とさせる人物で戦前戦後を通じての息の長い活動を見せます。

 他の医学テーマでは、*「睡り人形」があります。新しい睡眠薬を発見した医学博士がそれを新妻に投与し、睡り人形と化した彼女と異常な愛欲生活に耽る果てに、といったなんともかなりあぶない話。伏字が全部復元されたのは今回が初めてだそうです。

 そしてもう一つ、より重要なことは探偵小説芸術論の提唱です。当時、低俗な読物と見下されていた探偵小説を、最高の文学であり芸術であるべきものだと彼は主張しました。戦前の甲賀、戦後の乱歩との論争は有名です。

 その情熱に満ちた宣言は、直木賞受賞作『人生の阿呆』の単行本の序文でなされました。この小説は、探偵小説(暗号小説)にして文学(祖母小説)というものでしたが、両者が融合しているとはお世辞にも言えません。でも、人物描写は確かだし、シベリア鉄道でモスコウにまで赴くなど壮大で、正に”偉大なる凡作”です。

 だいたい私は、高太郎の長編を読んで心底面白いと思ったことはまだありません(三作しか読んでいないけど)。*『折蘆』は、探偵役が事件を解決することで痛手を被るという点は確かに面白いと思う。でも、それがあまりにも唐突なことや、話全体の筋が外れている(わざとか?)ことからあまり評価はできません。

 それにひきかえ、短編には傑作が多々あります。*「文学少女」*「永遠の女囚」に著された二人の女性の姿の実に鮮やかなこと。自尊心と情熱とひたむきさと自己犠牲と……。木々文学の全てがそこにあります。

 ”エキゾチックな短編”の一つ*「緑色の目」は高太郎版「舞姫」とも言うべきもので、中年の日本人留学医とベルリン娘の恋愛を描いたもの。嫋々として切ない余韻が好きです。

 「恋慕」は破綻の見本みたいな話です。が、これだけ情熱で押し切られてしまうと感動せざるを得ません。もう、犯罪やら推理やらなんてどうでもよくなってしまう。

 戦後では、クラブ賞の*「新月」とその解説版*「月蝕」。文学だそうだがよくわからない。

 *『わが女学生時代の犯罪』は、女学生時代の同性愛(このテーマは、「詩と暗号」でも使われています。)が人生に影を落とす女性にまつわる事件を扱っています。

 なお、高太郎にはSFもあり、「偏行文明」「女面獅子身」+「緑の日章旗」が読めます。

 高太郎は到頭一人の芭蕉にはなれませんでした。理想主義者で夢想家だったけれども実践には欠けたというわけです。ライフワークとなるべき+『美の悲劇』(渡辺剣次『ミステリイ・カクテル』(講)に内容紹介あり)の中絶にそれが端的に表れています。

 しかし、彼の切り開いた道を松本清張土屋隆夫は歩いて行ったのです。



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