北村薫編『北村薫のミステリー館』

北村薫編『北村薫のミステリー館』




 北村薫には<謎のギャラリー>というアンソロジーのシリーズがあるが、その続編として企画されたアンソロジー。推理小説のアンソロジーというわけでなく様々な小説空間が味わえる。

 冒頭のスタイグ「きいろとピンク」は絵本。黄色とピンクに塗られた人形がどうやって自分たちが存在するようになったかを討論する。その有様がおかしく、結末にはいきなりこれかよと言いたくなるような衝撃力がある。作者はディズニー映画『シュレック』の原作者だとか。

 岸本佐知子「夜枕合戦」「枕の中の行軍」はどちらも眠りに関する随筆。「夜枕合戦」は眠れないときに始めたあることがどんどん違う方向に行ってしまって絶妙。著者は手だれの翻訳家だそうで独自の言葉の使い方がうまい。

 続いてはこわい話。
 ムロージェク「犬」では突然現れた犬に監視されているように人々が脅える。自由にものが言えない社会の訪れを戯画的に描いたもの。 作者はポーランドの劇作家だそうでこういう雰囲気がよくわかっている。

 フェリー「虎紳士」はミュージック・ホールの出し物。著者はこれが大嫌いだと言いながらそれがどんなものか切々と語る。夜会服を着て美女とともに現れる猛獣が桟敷席に座る。何事も起こらねばいいと思いつつ目をそらせないほどの緊迫感。

 ハイスミス「クレイヴァリング教授の新発見」は、新種の巨大なかたつむりを発見した動物学の教授が島に閉じ込められてそれらと命懸けの鬼ごっこをする話。いくら巨大でも相手はかたつむりだから速さでは勝てる。しかし幾日もそれを続けると体力が持たなくなる。ねちねちとつづられた苦闘の果ての結末は無残極まる。

 キロガ「息子」では山に狩りに行って約束の時間通りに帰ってこない息子を父親が心配する。心配は暴走し妄想とも言えるレベルまで達するが。描き方といい内容といい夢野久作「木魂」を連想させられた。

 次はプロパーなミステリー。
 セシル「告げ口」は語り手が車中で知り合った男から聞いた話。自分を手に負えない嘘つきだと言う彼は、無実にもかかわらず妻を殺した容疑で裁判にかけられた顛末を語っていく。 結構久々に読んだ。この落ちは流石に覚えていたが、『メルトン先生の犯罪学講習』に他にどんな話が載っていたのか忘れている。

 スレッサー「二世の契り」は妻を殺した男の話。人間の死後の魂が小動物に宿るという新興宗教にはまった妻を警察に疑われることなく葬ったものの、彼は犬や雉、蝿にまで脅えるようになってしまう……。 結末が強烈。邦題も効果的。

 ベイジル・トムスン「フレイザー夫人の消失」は、マーキー「空室」と並ぶパリ万博奇譚の原型作品とされるもの。これについての詳細はこちら。古い作品で冗長なところもあるがまさにこの話だった。

 ペントコースト「二十三号室の謎」は、ホテルの一室から財産を残された娘が悲鳴を残して消えた典型的な不可能犯罪。娘の死体は厳重な捜査の後にホテルのとある場所から発見された。 これが完全に合理的に解けるのは大したもの。犯人を最後に指摘する手がかりの使い方もうまい。 探偵役の造形も類型的であるからこそ面白い。 非常にすっきりしているが、これが作者の処女作で最高作だそうだ。

 緑川聖司「わたしの本」は、図書館にお母さんを探しに来た小さな女の子が主人公が借りようとしていた本を見て言った言葉。女の子のお母さんは何者でどうして図書館に探しに来たのか。日常の謎、図書館編といったところ。 この作者は初めて知ったがこれはなかなかよい。採録元は児童書だそうだ。

 高橋克彦「盗作の裏側」では、気鋭の美術評論家がデビュー論文が盗作だと指摘される。彼は主人公の雑誌記者に盗作を激しく否定する。どう見ても不利な状況にもかかわらず彼の不敵なまでの自信はどこから来るのか。この作者にしか書けない部類の作品だが、後味がよい。 前の「わたしの本」と並べておいたのが編者の趣向。

 続いては不思議な書庫。本書で一番風変わりなものが並んでいる。
 出久根達郎「神かくし」はごく短いもの。子供のころ大好きだったのに神かくしにあったようになくなってしまった本と意外なところで再会した驚き。結末は幻想譚のようにも思わせる。

 原倫太郎/原游「日本変換昔話 少量法律助言者(一寸法師)」はなんとも奇妙なもの。一寸法師を翻訳ソフトで英語に訳し、またさらに日本語に訳したものにイラストをつけた絵本。なんともシュールな世界が展開されて笑ってしまうが、なかなかセンスがいい。

 稲垣足穂「本が怒つた話」は表題の通りの掌編。『一千一秒物語』と同じ味わいだが月や星の代わりを果たすのが本というのが味噌。

 最終章は、ことばの密室。
 塚本邦雄「契戀」「桃夭樂」は文体が実に独特。絢爛と言ってもいいくらい。前者の主人公はは知り合った女性に纏わりつく陰に愕然とし、後者の主人公はある密かな快楽に溺れていく。 語られている内容はどちらかというとありきたりのことなのだが、その様式美に歌舞伎か文楽でも見せられている感じがする。

 奥泉光「滝」がこの巻でもっとも分量がある目玉。五人の少年の山岳での修行の顛末を描く。班で団体行動して、七つある札所を回ってお御籤を引く。そこで凶を引くたびに遙か遠くの滝まで降りて潔斎しないといけない。三回もそれが続いて彼らの団結は揺らいでいく。 設定をあからさまに書いてはいないが、神道系の新興宗教団体で時代は戦前とも思われる。その時代に書かれたような硬質の文体に驚く。 器用な人だとは思っていたが、ここまでやるとは。特殊な世界を扱っても書かれたのは普遍的なことである。この重苦しさは迫ってくるものがある。

 マーティン「バトン・トゥワラー」は、バトンを行う女性の独白。バトンをするという行為で彼女は神様を見るようになる。短い話だが村上春樹の翻訳もうまく印象的。極めたときにその方は来るのだ。

 編者らしい目配りの効いたアンソロジー。小説を読む楽しさを改めて教えてくれる。


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