『魍魎の匣』

『魍魎の匣』


 前作を立脚点とし、のりにのったという印象あり。常連キャラクターがより生きている。そして読者の側としても、京極なら多少の無茶もやる、いや無茶をしてくれなきゃ京極らしくない、という期待で読書に挑み、実に幸福な共犯関係が成立する。

 各人がそれぞれの立場から捉えどころのない事件に関わり出す。関口は、雑誌記者鳥口とともに、武蔵野連続バラバラ殺人事件と魍魎を匣に封じる霊能者御筥様の取材から。榎木津は財界有力者の依頼を受けて。そして前作端役で今回副主人公格の木場刑事は、隠退女優の妹の轢殺未遂と奇っ怪極まる失踪に発端からはまり込む。一同は期せずして京極堂のもとに集結し情報をもたらす。だがしかし、京極堂は何かをためらう。
 事件全てに暗い影を投げかけるある人物。京極堂と過去の因縁を持つその人物の妄執とは。その執念に当てられた者たちに魍魎が取りつく。だが凄腕の憑物落し京極堂すらも手古摺る魍魎とは果たして一体何なのか。

 挿入された小説が効果をあげる。奇怪な行動をとる新進幻想作家久保竣公の作品という設定。ある過去の名作を思い起こさせ、それが事件と結びつく展開は見事としか言いようがない。
 そして最後の最後で彼岸に行った者たちの消息が明かされる。今まで端役として忘れ去られていた存在が鮮やかに浮かび上がる。
 人はどんな場所でも幸せを見いだせるという命題もこう処理されると不気味極まりなく、哀しい。しかしその一方でたまらない羨ましさを感じてしまう。


******以下ねたばれ注意******

 『魍魎の匣』の元ネタとなった探偵小説名作2編とは、江戸川乱歩「押絵と旅する男」(1929)と海野十三「俘囚」(1934)である。前者を思わせる夜汽車の中での運命的な邂逅が、久保の小説『匣の中の娘』に描かれ、最後にそれが彼岸への到達の瞬間であったと明かされる。そして後者の外科手術による人体改造が消失トリックとして受け継がれる。
 加菜子失踪の真相こそが、『姑獲鳥の夏』の評価で大激論を呼んだ「見えていたのに見えなかった」に対応するトリックである。鉄道事故により損傷を負った彼女の体は、美馬坂の外科手術により極端に小さな寸法にまで切り詰められていたのだ。こんなマッドサイエンスものSF的トリックを1950年代を舞台に用いるというのは無茶な話だが、既に戦前において海野十三に先例があるのだ。

 さて、海野十三「俘囚」はこんな話である。室戸博士婦人の魚子は愛人松永と謀り、夫を井戸の底に落として殺害する。ところが殺したはずの夫の魔手が二人に迫る。松永の職場の銀行では、金庫室から3万円の大金が消失した上、番人が内臓をすっかり抜かれて殺されていた。現場は直径15センチの送風パイプしか外界との接点のない密室状態であった。おびえる二人の前についに博士が出現し……。
 探偵帆村荘六により密室の謎は解明される。博士は自分自身の体を自らの理論に基づく最小整理形体に改造していたのだ。手脚を切断し、食道を直接腸につなぐ。二つある肺は一つに。こうして人体の無駄な部分を捨てることにより脳髄に栄養が行き届き、脳の働きが常人の20倍にも向上するのだ。こうした縮小人間は頭さえ入る余地があれば、作り物の手脚を外してどんな場所にも侵入できる。
 「俘囚」の発想は後の通俗長編『蝿男』(1937)につながり、改造を受けた元死刑囚が復讐の怨念を燃やす。

 『魍魎の匣』の出た同じ1995年にその『蝿男』が講談社大衆文学館より復刊された。紀田順一郎による解説に、海野の生まれた佐野家は代々徳島藩主蜂須賀家に仕える御典医で、とある。私は驚愕した。これは讃岐と阿波の違いはあるものの『姑獲鳥の夏』の久遠寺家の系統そのままではないか。そして『魍魎の匣』の美馬坂幸四郎も徳島の弥津波能売神社近辺の出身である。確かに四国という地は民俗学的宝庫ではある。だがしかし、私には京極夏彦が意図的に海野十三を第1作と第2作に隠しモチーフとして取り込んだものとしか思えない。
 海野十三の作品について私はかつてこう記している。


 確かに京極は探偵小説の可能性を切り開いた。そしてそれは海野十三と同じ方向に踏み出すことによって。
 今にして思う。海野十三の作品の特色は単なる理化学トリックの導入ではない。一見突飛に思える事物の導入により、作品世界が変貌を遂げ、その結果として現実世界までもが解体されてしまうのだ。
 京極はさらにそれに加えて圧倒的な量の情報を最も効果的な順番で叙述するという探偵小説独自の手法を極めきった。
 私の10年前の予言は今日、京極夏彦を通じて実現されたと言えないだろうか。


《事件暦》……ねたばれ注意

1952.
08.15 柚木加奈子 鉄道事故で重傷
08.22 鳥口 御筥様名簿入手
08.25 加菜子の誘拐予告状
08.29 右腕発見 国道22号大垂水峠
08.30 両脚発見 相模湖
   『近代文藝』発行,関口 久保竣公に知り合う
    関口鳥口敦子 国道16号近辺で美馬坂医學研究所に迷い込む
08.31 頼子の外出
    加菜子失踪事件
09.05 木場の処分決定
09.06 右足 八王子
09.07 左脚 調布,右腕 登戸
    久保竣公 『匣の中の娘』前編発送
09.10 左腕 昭島
09.13 右腕 車返
09.14 右脚 芦花公園
09.16 右腕 田無
09.19 左腕 柳沢
09.21 左脚 多摩霊園,右脚 田無
09.22 関口 鳥口を京極堂に紹介, 関口 久保竣公の『匣の中の娘』前編を読む
09.23 榎木津 増岡から依頼を受ける
09.24 木場の復活,榎木津 京極堂に誘拐事件の依頼を語る
09.25(木) 関口榎木津 久保竣公と遭遇,楠本家訪問
    木場 陽子を訪ねる
09.27 一同 京極堂宅に集結
    両腕 武蔵境
09.28(日) 京極堂 御筥様と対決,青木 久保宅を訪問,死体発見
09.29 久保竣公 緊急指名手配,『近代文藝』回収
09.30
10.01 久保竣公のバラバラ遺体発見 両腕両足 町田
    京極堂関口鳥口 青木を淀橋の病院に見舞う
    木場 謹慎解ける
    美馬坂近代医學研究所での惨劇
10.14 『目眩』見本出来
    京極堂宅に関口榎木津鳥口伊佐間集合し後日談

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