京極夏彦『厭な小説』

京極夏彦『厭な小説』



 タイトルどおりの徹底的に厭なことが作中の主人公に降りかかっていく連作短編集。 中身もだが装丁も相当に厭な感じ。

 「厭な子供」の高部は、流産して神経を病んだ妻と郊外の一戸建てに暮らしていたが、その家で不気味な子供を見かける。どう見ても幽霊ではなく生身の存在だが捕らえようとするとどこかへいなくなる。妻の身を案じて厭な上司がいる会社を休職しやがて退社するが……。
 最初から厭さが炸裂。超自然現象が出て来るホラーなのか狂気の産物なのかはどちらとも決められない。

 「厭な老人」の窪田君枝は、介護している老人の汚さに身も心もぼろぼろになっていた。何とも耐え難い厭なことの数々。だが、彼女は決定的に厭なことに気づいてしまう。老人がボケて汚物をばら撒いているのではなくて、完全に正気であったことを。
 これは結末の落ちがなくてもそれまでで充分に怖いし厭だ。生理的嫌悪感はこれが一番厭かも。

 「厭な扉」の木崎は事業に失敗しホームレスとなった。彼はあるホテルに泊まると幸福が訪れるというホームレスの間の都市伝説を聞いた。絶望の果てに彼は伝説の主人公のロクさんに出会ってしまった。
 これだけは他と違って異色。作者らしい民俗学的なネタを都市伝説に絡めたもの。厭さは落ちる。

 「厭な先祖」の河合は、会社の非常識で厭な後輩に仏壇などという大きな荷物を一時的に預かってくれと押し付けられてしまう。その存在の無言の圧迫感や厭な臭いに彼は調子を崩す。そして扉が開いたその中に彼はこの世ならぬ厭なものを見てしまう。
 こんなご先祖様は厭過ぎる。その光景を想像すると確かにトラウマになりそうである。

 「厭な彼女」の郡山は、小さくて甲斐甲斐しくて見た目地味だけど可愛い娘と思っていた三代子と深く付き合うようになって、その異常さに気づいて愕然とする。三代子は彼が厭だと言ったことを細かいことまで全て執拗に繰り返す。冗談ではなく怒っても殴ってもごめんなさいと謝りつづけるだけ。追い出そうとしても出て行ってもくれない。
 これが一番怖い。行き着くところまで行き着かないと終わらない。新たな妖怪の誕生に立ち会ったような思いがする。

 「厭な家」の殿村は、リタイアして妻も死んで一人暮らしになったが、その昔から住んでいる家で奇妙なことに気づく。足の指をぶつけたこと、腐ったものを口に入れたことなどその家で暮らしていて厭だと思ったことがあると、そっくり同じ状況になると現実には起きてないのにその厭なことと同じ感覚が甦るのだ。
 厭は厭だけど、だんだん前の話とネタが似てきたような。これはちょっと考え落ち風。

 第三話を除いて「厭な○○」というタイトルを徹底的に突き詰めたような話ばかり。どれだけ厭な○○をどのようにしてつくりあげるかというのと、その話をどう終わらせるかのかの二点が読みどころ。一種の実験作なのかもしれない。 話の大枠はそれとしても、具体的な描写の凄まじさはやはり作者の力量のたまものである。
 どの話も強烈な悪意を感じさせながらも何から来る悪意かがわからないのでなおさら居心地が悪い。
 いくつかの話の共通した背景である厭な職場であってもやめるにやめられないというのは不況下の今だからのことで、好況になったら何でそんなに深刻になるのかわからないかもしれない。だとしたら今の時代こそが逼塞して逃げ場のない厭な時代ということになるのかもしれない。

 そして最終話。「厭な小説」の深谷は、今まで全ての話に登場して狂言回しの役割を務めた人物。厭でたまらない上司と二人だけで出張の新幹線の中でたまたま入手した『厭な小説』という本を読み耽ることになる。その話の中では彼の友人知人たちが厭な目に追い込まれてそれぞれ破滅していった。今度は自分の番と思った彼はある行動を取る。
 何と言うか相当に人が悪い。何者か知らないが作者の哄笑が聞こえてきそうである。




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