京極夏彦の久々の長編。版元が同じ『嗤う伊右衛門』と同じシリーズと言っていいのか。単発の長編であるが、『嗤う伊右衛門』の四谷怪談同様に既存の怪談を踏まえたところや、御行の又市やその一党が狂言回し的に登場することが共通する。
とは言うものの元ネタがよくわからない。まだ四谷怪談ならおぼろげな知識はあったが、今回は「生きている小平次」という怪談映画の傑作があったらしいということしか知らずに読んだ。
木幡小平次は売れない役者である。どうしようもない大根で師匠からも破門されたが、それでも幽霊の役だけはこの世のものとは思われない絶品だった。
その小平次は自宅では押入れにこもりっきりで、そこからいつも女房のお塚の様子を覗き見している薄っ気味悪い人物だった。
芝居の一座の東北への巡業の話が持ちこまれ、小平次は押入れを出る。それはどうも訳ありの仕事のようだった。果たして小平次は本人も思いもよらなかったある働きをなして大評判を博する。だが、それにより有象無象の悪を身に引きつけることになって災厄が降りかかる。
小平次を中心にして集まってくるのは何かしらの因縁でつながれたものたち。それぞれが接触することで因縁が、過去が激しい火を噴き出そうとする。
登場人物はそれぞれが個性的だが、その中で特に主人公の小平次、女房のお塚、敵役の浪人動木運平の三人はかなり特異な性格をしながらも存在感がある。
血塗れの惨劇の場まで巧妙に導かれ、なおかつその後日談には結構呆気にとられた。
型にはまらない有りようは考えさせるものがある。『嗤う伊右衛門』はストレートな恋愛譚だったが、では本作は。