『塗仏の宴』

『塗仏の宴』


 3月末出版の上巻『宴の支度』でさんざん謎をばら撒かれ、7月に出る予定だった下巻『宴の始末』が出たのはようやく9月。それだけ待たされただけの甲斐はあっただろうか。

 『宴の支度』第一話「ぬっぺっぽう」の語り手は関口。<月刊実録犯罪>の依頼で消えた村を求めて伊豆の韮山山中を放浪する。一箇村の住民虐殺の噂を告げる戦中の新聞記事。かつてその村にはその肉を食した者に長生を与えるという肉人「ほう」が存在したという。名状し難い体験のあとで、関口は殺人容疑者として拘禁される。
 第二話「うわん」の視点は、『狂骨の夢』のヒロイン南方朱美。彼女は浜辺で奇妙な自殺志願者、村上兵吉を拾う。村上には少年時代に郷里の紀州熊野から攫われたという過去があった。村上はなおも得体の知れぬ不安感に苛まれ、二度三度と自殺未遂を繰り返す。そんなとき新興宗教成仙道の幹部刑部が村上の病室を訪ねるが……。
 第三話「ひょうすべ」の語り手は関口。京極堂と薫紫亭主人宮村香奈男の交す妖怪ひょうすべについての談義がいつしか意外な方向へ。宮村の知人の元編集者加藤麻美子は、ひょうすべに似た男磐田純陽を見た翌日に肉親を失うという経験を二十年という時を隔てて二回もしたという。ところが彼女にその言葉を教えたはずの祖父只二郎は、麻美子にそんな覚えはないと言明。果たして只二郎は<みちの教え修身会>会長である磐田によって記憶をいじられたのか。
 第四話「わいら」の視点は、京極堂の妹、中禅寺敦子。韓流気道会なる武道団体に襲われそうになった敦子は、同じく狙われていた占い師の華仙姑処女を匿う。華仙姑、本名佐伯布由は、自分の予言が中るのは、何者かが作為的に成就させているからだと言う。困惑した敦子は、彼女を榎木津探偵の事務所に連れて行く。榎木津は彼女の過去の一体何を幻視したのか。
 第五話「しょうけら」の視点は木場刑事。猫目洞お潤の紹介で女工三木春子から、奇妙な手紙について相談を持ち掛けられる。その手紙には彼女の毎日毎日の行動が事細かく書き記されている。だがその差出人の男工藤にはどうやっても彼女を覗きに来れるわけなどない。この二人の接点である漢方薬局条山房主宰の長寿延命講に不審を持った木場は、京極堂を訪ねて庚申講についての講釈を聞く。京極堂が言う本末転倒とは一体何か。
 第六話「おとろし」の視点は、なんと織作茜。前作『絡新婦の理』のヒロインが早くも再登場。蜘蛛の巣屋敷を売り払い、身の振り方を決め兼ねていた茜は、製鉄会社の重役羽田隆三の側近となって謎を探れとの誘いを受ける。経営コンサルタントの風水師南雲と、徐福研究会を任されていた在野の学者東野がともに伊豆韮山の土地に執着するが、なんと両名とも経歴詐称が発覚。しかも互いに互いのことを知らぬはず。茜は織作家に伝わる石長姫の神像の奉納も兼ねて伊豆へ向かう。下田富士の山頂で出会った自称郷土史家は六芒星の紋をまとい、茜に「この世には不思議でないものなどないのです」と告げる。

 上巻ではこうして数々の怪しげな人物が跳梁する。
 支度された宴は下巻でいよいよ最高潮へ。いつしか流れは韮山山中の佐伯屋敷への到達競争となる。怪人物・怪団体に京極一党が加わっての大乱戦。
 そして……。


******以下ねたばれ注意******

 さんざんばら撒かれた謎は一挙に解決。お見事。だが、参ったと言うか困ったと言うか。
 大混戦の百鬼夜行の夜も更け、憑き物落としのためのページが残り少ないなと危惧していたら……。
 まさかこうなるとは思わなかった。だが非常にわかりやすい種明かしだった。何が起こったのか何度も読み直さないと理解できなかった『絡新婦の理』に比べると遥かに単純明快な構造ではある。

 怪しげな人物たちは皆佐伯家の一員であった。自分が他の家族を惨殺したという偽りの記憶を植え付けられた彼らは、お互いを家族同士と知らずして争っていた。自らの罪の証拠を隠そうとするがために。
 そして彼らに付いた幹部たちが背後で糸を引いていた。この者たちは帝国陸軍第十二研究所の残党で京極堂のかつての同僚たちであった。不老不死や徹底抗戦という野望のために佐伯家の家族以上に必死で策動していた。
 だが、騙しているものが騙されている。これはそういうゲームであった。
 全ての黒幕であるゲームの判定者(ジャッジ)。それが中禅寺少尉の元上司の堂島大佐であった。六芒星の紋を身にまとい、この世には不思議でないものなどない、という言葉を吐くこの人物は、京極堂に匹敵する力と技を自分の愉しみの為にのみ駆使する。
 いきなりモリアーティ教授が登場したような感じ。絶対悪としての存在感の大きさ。

 あやつりというテーマ自体は前作からの引き続きではある。だが『支度』を読んで思ったものだ。催眠術で人をこうも自由に操れたら何でもあり。推理小説として成立しようがなくなるぞ、と。
 『始末』の中盤で断言された。邪魔者は洗脳してしまえばよい。目撃者の記憶は消してしまえばいい。だから殺人の起こりようもない。全員が騙されているかもしれない情況の中では何ひとつ証明もできない。
 おいおいおい、と思った。
 そうしたら尾国との対決での京極堂の言。軽はずみに催眠術なんか使う奴は−二流だよ。
 まったくその通り。だがそうなれば前作『絡新婦の理』の巧妙さがますます引き立とうというもの。
 それなのにそれなのに、織作茜を生け贄にしてしまうとは。茜さんには岩長姫の末裔として末永く生き抜いてもらいたかったのだが。前作の冒頭の対話は京極作品中でも屈指の名場面であったのに。

 逆に言えば、この上下分冊の大長編は、それだけの犠牲を払ってまでも堂本という人物の紹介編に徹したわけだ。京極堂中禅寺秋彦との正面対決は今後に持ち越されてしまったが。

 このシリーズはこれからどこへ向かっていくのだろうか。宴の後の物寂しさのためだけではない一抹の不安を感じつつもやっぱり期待してしまう。

 愉しいじゃないか。自然界に存在し得ない音を聴き、自然界に存在し得ない色を視て、自然界に存在し得ない物を食って、その後で人がどうなるか。遠からず子は親を殺し親は子を食う世の中になるぞ。
 堂本の言葉は正に今の社会を言い当てている。だが作中作の時代がそのまま現代につながるか否かも以後の展開にかかってくるだろう。
 洞爺丸沈没まであと1年3ヵ月。


《事件暦》……ねたばれ注意

1933(S.8)
06.05
 加藤麻美子の父死去

1934(S.9)
 津村辰蔵・信吾親子 伊豆を巡回,戸人村佐伯家で饗応を受ける

1937(S.12)

 村上兵吉 薬売りに連れられ家出
04
 光保巡査 戸人村に駐在として派遣される

 戸人村に薬売り尾国が来る,光保 佐伯家に白沢図とくんほう様の存在を知る

1938(S.13)
05
 光保巡査 招集される
06.20
 津村辰蔵 戸人村を訪れる
06.30
 伊豆の山村での大量虐殺を伝える地方紙の記事
07.01
 同じく全国紙の記事

 津村辰蔵 憲兵に連行される
この年、陸軍中野学校設立

1942(S.17)
 陸軍第十二研究所設立
 ゲームの始まり

1943(S.18)
 韮山近辺が測量される

1948(S.23)
 早春 山辺唯継 死去
 津村信吾 羽田隆三の秘書となる
 羽田隆三 徐福研究会を設立

1950(S.25)
 光保 復員,戸人村を訪ねその消失を知る

1951(S.26)
 堂島 韮山を訪れ、加藤只二郎の家に立ち寄る
 加藤只二郎 磐田純陽を訪ね、みちの教え修身会に参加

1952(S.27)
03初旬
 尾国誠一 加藤麻美子宅を最初に訪問
04.07
 加藤麻美子 浅草橋で磐田純陽を目撃
04.09
 加藤麻美子 娘を事故で亡くす


 南雲正陽 羽田製鉄に経営コンサルタントとして雇われる
 村上兵吉 中央郵便局の臨時雇いになり熊野の一族の住所を知る

1953(S.28)
01.03
 関口 京極堂に年始の挨拶,宮村香奈男とのひょうすべ談義
01.04
 多々良 京極堂宅に本を受け取りに来る
01.09
 長寿延命講の初庚申

03.初旬
 関口 稀譚社で宮村に再会,加藤麻美子を紹介される
03.10
 長寿延命講で三木春子 藍童子の警告を受ける
03.15?
 蜘蛛の巣屋敷の惨劇
03.20
 木場刑事 猫目洞のお潤より三木春子を紹介される
03.22
 目黒署の岩川警部補 工藤信夫を逮捕し三木春子を証人として確保
03.31
 目黒署 条山房を手入れ

04.02
 条山房の捜査打切り
04.中旬
 京極堂・関口 織作家を訪問
04.下旬
 関口・鳥口・宮村・加藤麻美子 京極堂宅に集まる

04
 一柳朱美 村上兵吉の事件に巻き込まれる
 南雲正陽 羽田製鉄の本社の伊豆移転を進言
 東野鉄男 徐福記念館設立を伊豆に提案

05.20
 <稀譚月報>発行、敦子の韓流気道会取材記事掲載される
05.22
 韓流気道会 三木春子を誘拐
05.24
 中禅寺敦子 華仙姑を拾う
05.26
 榎木津探偵 韓流気道会を撃退
 津村信吾 榎木津にすっぽかされる
05.27
 織作茜 多々良に智恵を借りる
05.28
 関口 <実録犯罪>の妹尾より取材の依頼
05.29
 木場刑事 この日を最後に失踪
 鳥口・多々良 京極堂宅を訪問
 敦子・布由 条山房の宮田により薔薇十字探偵社から連れ出される
 それを追いかけた榎木津探偵も失踪
 布由 浮浪児達に攫われる
 河原崎刑事 韓流気道会から三木春子を奪回

06.01
 南雲正陽 羽田製鉄から首
06.04
 関口 伊豆に入る
06.05
 内藤赳夫 藍童子に会い尾国とともに静岡に向かう
 青木刑事 河原崎刑事と懇談
06.06
 青木・河原崎両刑事 猫目洞で乱闘に巻き込まれる
 黒川玉枝 上野で司喜久男に出会う
 三木春子 音羽の香具師の元から成仙道に誘拐される
 村上兵吉 沼津から尾国により連れ出される
06.10
 関口・淵脇巡査・堂島 韮山に分け入る。
青木 韮山で意識を回復、藍童子から京極堂への伝言
06.11
 織作茜・津村信吾 伊豆下田に入る
06.12
 早朝 織作茜 殺害され、関口 逮捕される
 黒川玉枝・司 、伊佐間、羽田隆三、薔薇十字探偵社を訪ねる
06.14
 有馬・村上両刑事 淵脇巡査を訪ねる
 韮山に入ろうとする成仙道の行列を桑田組が妨害する
 鳥口・多々良・光保・益田・青木・増岡 京極堂宅を訪ねる
06.15
 青木・鳥口 東野鉄男の身柄を抑える
06.16
 青木・鳥口・益田・増岡・雪絵 京極堂宅を訪れる
 榎木津探偵登場
06.17
 鳥口・青木 南雲正陽を拘束
 夕刻より佐伯屋敷へ目指しての大混戦
06.18
 未明 佐伯屋敷での終局


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