論創ミステリ叢書より。林不忘は牧逸馬、谷譲次の三つの名を使い分けて書きまくり三十五才で急逝した流行作家の時代もの用のペンネーム。この林不忘名義では隻眼隻手の異形の剣士、丹下左膳の創造が最も後世に残ったものである。だが、論創社のこの叢書は『探偵小説選』。ここには作者の二つの捕物帖が集成されている。
先ずは『釘抜藤吉捕物覚書』。ミステリー系のアンソロジーに時折りは収録され、林不忘名義で刊行もされてきたが、全十四編が全て収録されるのは今回が初めてだという(→作品目録)。
私が最初に読んだのは横溝正史編『日本の名探偵』(河出書房:1980)でだが、そこでは都筑道夫の「半七と右門の間」という文章が載っており、本書の解説にも引用されていた。都筑は、岡本綺堂『半七捕物帖』では大江戸ホームズとして構想されて出発した捕物帖が佐々木味津三『右門捕物帖』に到ると発端の怪奇性ばかりを強調して推理小説としては読むに耐えないものになっていると言い、その両者をつなぐ輪として林不忘の二つの捕物帖の重要性を指摘していた。
初期作での釘抜藤吉は、この時代には珍しく非常に推理力に発達した男として紹介される。事件も本格短編とまでは行かないが手がかりらしいものの描写はされてきちんと伏線として回収される。これは米国の探偵雑誌をネタ元にして翻案を図ったこともあってのことらしい。ところが後半からは明らかな怪談も混じるようになってきた。
出来不出来は別にして不可能犯罪らしいものも散見する。「のの字の刀痕」は顔のない死体と密室からの抜け穴を使っての脱出。
「三つの足跡」では殺人現場の味噌倉に入っていった足跡の謎。
「宙に浮く屍骸」では、旅館の二階から窓の外に吊り下げられた女将の死体がずるずると引き上げられ、それを見た客が二階へ行ってももぬけの殻だった。
「影人形」では、寄席の楽屋で力自慢の芸人が密室状況で絞め殺されて犯人は影だけが目撃された。
ただ怪談系統の方が派手で印象には残りやすい。
「怪談抜地獄」では、人形問屋の若主人が女の亡霊から聞かされた財産を掘り出そうとして詐欺に遭う。
「巷説蒲鉾供養」は、牧逸馬名義の世界怪奇実話「肉屋に化けた人鬼」を下敷きにしているが全くの怪談になっている。
「悲願百両」は、W・W・ジェイコブズ「猿の手」の全くの翻案で藤吉親分はそこに居合わせただけ。
『早耳三次捕物聞書』は、最初の話は辻斬りだがあとの三編はみな詐欺の話。
特に「うし紅珊瑚」は推理クイズ本で定番のネタ。こんなところに原典があるのかと驚いたが、これも翻案ぽくて他に元ネタがありそうな話だった。
詐欺話はどちらかというと早耳三次の影が薄い。釘抜藤吉と敢えて分ける必要性もあまり感じられなかった。
どちらの捕物帖にしても筋立てはそれなりに面白く読めるので時代物だからといって避ける必要はないだろう。ただ久生十蘭『顎十郎捕物帖』ほどまで本格物として優れているわけでもない。
他には翻案された元ネタを想像してみるというちょっと変則的な楽しみ方もやろうと思えばできる。