論創ミステリ叢書の一冊。松本泰の夫人、恵子の探偵小説に関する業績が一冊分にまとまった。
ロンドン留学中に泰と知り合って結婚。泰の起こした<秘密探偵雑誌><探偵文芸>に中野圭介などの男名前で創作・翻訳を発表。
<探偵文芸>廃刊後は翻訳が主な活動になり、夫の死後も長い年月に渡って続けられる。クリスティの翻訳も多いし、児童文学の分野での業績も大きい。『若草物語』や『あしながおじさん』の訳は新潮文庫で今でも現役である。
恵子の創作はアンソロジーで読んだ(→作品目録)「子供の日記」が非常に面白かったので期待していたのだが、それが最高作であとのものはそれほどレベルが高いわけではなかった。それでもご亭主よりは何倍も面白い。
「皮剥獄門」は凄いタイトルだが、大岡政談に材を取った時代もの。びっくりさせられるところがあって、完全なオリジナル作ならかなり評価していい。
松本恵子の本領は軽くてウィットに富んで恋愛が絡んだものといったところか。
「真珠の首飾」「白い手」「赤い帽子」などがそう。「白い手」のヒロインが探偵を叱りつけるところ、「赤い帽子」のモダンガールが不良青年三人組をやりこめるところなど愉快。
「子供の日記」がやはり最高作。母と叔母と暮らす少年は日記に日々のことを書き綴る。彼ら一家と親戚の金持ちの小母さんとの間には軋轢があったがそれがやがて大きな事件を引き起こす。冗談ごとでないことも子供の目で描写されるとユーモラスに見える。しかしそれでもこの読後感は何とも言いようがない。児童文学に関わっていたからこそ書けた秀作。
「黒い靴」「ユダの嘆き」は探偵小説でない。
前者は「自伝的恋愛小説」特集のために発表されたもので、泰との実際にあったエピソードも書かれている。
後者はイエス・キリストを売ったユダの心理を描いたもの。心酔していた先生を結果として裏切ることになった彼の苦悩には説得力がある。
随筆編では追悼文がそれぞれ面白い。夫の泰に対する「あの朝」。馬場独蝶に対する「思ひ出」。武林夢想庵に対する「鼠が食べてしまった原稿」。
松本恵子の文章からは才気が感じられて楽しい。ただ、探偵小説に関してはあまり思い入れは感じられず、余技でしかなかったということだろう。