新年にワタリウム美術館の「クマグスの森展 南方熊楠の見た夢」に行ってきた。
それをきっかけに手持ちの河出文庫版コレクションを斜め読みながらも再読したので、ここに覚え書きを記しておこうと思う。各巻ともに中沢新一の詳細極まりない解題がついている。
『南方マンダラ』とは、心界における運動を物界における運動同様に扱うために考え出された模式図であり、
熊楠の思想及び仕事の根底となったもの。
真言僧の土宜法竜との書簡によって紡ぎ出されたそれは、密教の曼荼羅図そっくりの複雑な図形を描くものとなった。
中沢新一は現代の構造主義の立場から「南方曼荼羅」を賞賛する。
『南方民俗学』では、例えば「燕石考」において燕が巣に隠す幸運をもたらす石について古今東西の伝説を引くことにより、その根本が夢と同じく人類の根源的な無意識の領域にあることを指し示す。それは伝承からたった一つの「未開の論理」を引き出そうとする西欧的な人類学への批判であったが、柳田国男の文学的文体で構成された民俗学に対しての対照にもなった。熊楠の昔話・伝承の採取方法は粘菌を採取して標本にするのと同等の厳密さがあった。
本書には「邪視について」という論文も収録されている。荒俣宏『帝都物語』において目方恵子が中東の超能力者ドルジェフと対決する際に参照した「邪視破之事」が実在の文献かはわからない。
『浄のセクソロジー』は、性愛学の研究について。熊楠は民俗学の中でも柳田とは対照的に特に人間の性の現象全てに関心を持った。とりわけ興味を魅かれたのは同性愛についてだった。
岩田準一との文通は岩田の男色文献の研究が熊楠の目を引くことによって始まった。
岩田への書簡で熊楠は彼の青年期での同性愛的体験を素直に明かしている。
岩田準一が江戸川乱歩の盟友で彼の最高傑作『孤島の鬼』の成立に関わったことは乱歩ファンなら周知のこと。また、『緑衣の鬼』に登場する紀州のK町在住の老粘菌学者夏目菊太郎は熊楠がモデルだと言われている。
『動と不動のコスモロジー』は、熊楠の出自と諸国流浪について。彼自身が南方熊楠という名前の由来について述べたもや長文の「履歴書」が収録される。東京で大学予備門に入っても授業に身が入らず図書館に通う。その後のアメリカ放浪では山野を歩き回って自然を観察し、時にはサーカス団に加わって空間を移動する。ロンドンでは大英博物館にて博物学の最新知識を吸収する。帰国してからは熊野の山中に立てこもり、森の生命と一体化して独自の思想を構築していく。
留学前の熊楠を山田風太郎は『明治波濤歌』の「風の中の蝶」で、身の危険を感じると自在にヘドを吐きかける太ったひげ男と描写しているが、残った写真を見ると若き日の彼はかなりの美男子である。
『森の思想』は、隠花植物の研究について。アメリカ以来彼が研究対象としたのはきのこ、菌類などの隠花植物だが、その中で最も特異なものは粘菌である。菌類でありながらその生活史の中でアメーバ状の変形体となって他のバクテリアなどを捕食する原生動物のような行動を示す。植物と動物との境界を侵すこのような生物を研究対象にしたのは越境者熊楠に似つかわしい。
また、明治政府による神社合祀令に対する反対運動は貴重な研究対象である神社の森を守るためであった。
ワタリウム美術館で展示された標本や熊楠自身の手で彩色された図譜の数々は実に見事なものだった。また、熊楠のことを日本で最初期のエコロジーの概念の紹介者だとしていた。