水上勉『飢餓海峡』

水上勉『飢餓海峡』


 先頃亡くなった作者の初期代表作。作者のものは双葉文庫日本推理作家協会賞全集の『海の牙』(1960)しか読んだことがなかった。それにしてもこの作にしても発表当時は社会派推理小説としての枠で括られていた。

 『飢餓海峡』は、<週刊朝日>に1962年1月から12月まで連載したが完結せず、5百枚ほど書き足して1963年に朝日新聞社から刊行された。
 洞爺丸事件を扱ったミステリーとして、世間的には
中井英夫『虚無への供物』よりずっと有名である。かねがねいつかは読んでみたいと思っていたので、今回は追悼の意味も込めて手に取った。

 作者がこの構想を得たのは北海道の講演旅行で岩内の雷電海岸を訪れたことによると言う。1954年9月の洞爺丸事件をもたらした台風による大風で、岩内町は町の八割を焼く大火に見舞われた。作中ではそのときを7年早めている。

 1947年9月20日、荒れ狂う台風の中を函館から出航した青函連絡船層雲丸はたちまちのうちに転覆して未曾有の大惨事となった。五百人を超える死者と行方不明者を出して、函館の七重浜は地獄と化した。打ち上げられた死者の身元確認は進められたが、どうしても素性がわからない乗船名簿にもない死体が二体残った。
 函館本線から分かれた岩幌線の終点の町岩幌は、層雲丸の事故を引き起こした大風によってボヤで済んだはずの小さな火事があおられ、町全体を飲み込む大火となって焼かれた。その後の捜査によって火元の質屋は一家四人が三人組の強盗に殺されて放火されたことがわかった。
 三人組のうち二人は網走刑務所から出所した前科者で、層雲丸事件の身元不明の死体が彼らであることがようやく判明した。残る一人の犬飼多吉と名乗る大男は、函館で漁船を搾取して仲間二人を海に突き落として逃亡したと思われた。 函館警察署の弓坂吉太郎警部補は、犬飼を青森の下北半島の仏が宇陀まで追いかけたがその消息は途絶えた。

 青森県大湊の酌婦の杉戸八重は犬飼多吉と名乗る男を客に取る。暫しの触れ合いの後、犬飼は大金を残して去っていった。八重はその金で借金を返して東京に出て、貧しい実家に送金することができるようになった。
 それから十年、亀戸の遊郭にいた八重は娼婦を廃業しようかと思ったときにとある新聞記事を目にする。刑余者更生事業に多額の私財を投入した舞鶴市の篤志家樽見京一郎こそが忘れたことのない犬飼多吉その人だった。
 八重が樽見に再び合おうとしたとき、運命の歯車が大きく回った。

 ミステリーとしては最初から犯人が登場している倒叙形式。 戦後の混乱期に犯罪を犯しながらも功成り遂げた人物の元に、暗い過去を知る人物が訪れることによって新たな犯罪が起こるというパターンはこの頃書かれたものには多い。松本清張のような社会派だけでなく、鮎川哲也の作品にもある。
 風光明媚な舞鶴湾に浮いた死体の謎に挑むのは舞鶴東署の味村時雄警部補。彼は郷里の篤志家の意外な過去にぶち当たって驚愕する。あまりにも大きな背景を持つ犯罪を突きつけて有無を言わさぬために、刑事たちは彼の隠された過去の断片を探り当てていく。
 樽見京一郎の人生の路程は強烈である。彼の生まれた京都の丹波山地の僻村では次男坊、三男坊にあてがう畑や田んぼは実に酷いものでそこでの労働は過酷であり、実質的に命を縮めさせる仕組みになっていた。 せいぜい二世代前にそんな時代があったことを私たちは忘れ去っている。
 早くに父を失いそんな貧困のどん底で這い回った樽見京一郎が北海道に出て何をして犬飼多吉に変貌して行ったか。それを味村警部補らとともに読者も追っていく。

 欠点もないわけではない。 東京の八重を訪ねて来た親戚筋と自称する男は何者かという伏線が忘れ去られている。 十年の時を経て再び樽見に犯罪に手を染めさせた動機の深刻さががいま一つ納得できないものがある。この二つは本文中でも指摘されていた。
 それでもこの重厚さには堪能させられた。作者がこの作をきっかけとしてミステリーから遠ざかっていった心境の変化も充分読み取れる。


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