オール・タイム・ベスト書評
中井英夫
(2)『虚無への供物』
これは凄い書物です。ただただ凄いとしか言いようがない。なにしろこれは、ミステリではなくてアンチ・ミステリなのです。
内容を紹介しますと、昭和二九年から三〇年という狂った時代におけるある一家(氷沼家)の崩壊をユーモラスなタッチでリアルにかつ夢幻的に千二百枚の長編として書き上げたもの −これではなんだかわかりませんね。
この時代はまさに狂気の時代でした。殺人件数は未曾有の新記録を出し、陰惨な事件が相次いだとのこと。二重橋圧死事件、第五福竜丸事件、洞爺丸沈没、森永ドライミルク中毒事件、紫雲丸事件等々。作者は、洞爺丸事件を重大なモチーフにし、また今挙げたような事件をモザイクのように散りばめ、この大作を書き上げたのです。
現実の事件に囲まれると架空の事件も俄然リアリティーを持ち始めます。特に新聞を引用して語られる老人ホーム“聖母の園”の火事や両親惨殺男の自殺は、本当に当時の新聞をひもとけばそんな記事が出てくるような気さえします。現実と虚構が渾然としたところに夢幻の雰囲気が漂い出すのです。
ユーモアもこの小説の重要な要素です。あちこちにゲームの部分があります。『不思議の国のアリス』や推理小説中の推理小説。散在する古今東西の有名ミステリ。四人の素人探偵がノックスの『探偵小説十戒』や乱歩の『続・幻影城』を片手に推理合戦する場面などマニアならみんな大喜びでしょう。
そしておびただしいアイヌ伝説、五色不動縁起、色彩学、シャンソン、薔薇談義の数々。
これらすべてが見事に融合したとき、真犯人の絶叫や登場人物による読者の告発が血と肉を持つのです。この作品は、アンチ・本格派であるのみならず、アンチ・社会派でもあるのです。
89点。及びアンチ・ミステリ度95点。
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