破綻について

破綻について


 竹本健治に破綻があるのはその通りです。かつて<霧笛>4号で僕はアンチ・ミステリーの4要素を提唱しました。それは、過剰であること、寓意を持つこと、破綻があること、それに良くも悪しくも時代の産物であること、です。
 さて、破綻について。五十嵐さんがあげられた部分はでも確かにぎこちないかもしれない。竹本の破綻嗜好はやはり師匠の中井英夫に由来するものでしょう。
 例えば、中井英夫の<とらんぷ譚>第1作『幻想博物館』を僕はどんな小説読みにでも自信を持ってお勧めしますが、あれこそ破綻だらけの見本のような連作短編集です。珠玉の短編を読み、ふうと至福の溜め息をつかされる。ところが、先を読み進むと今度はそれがすべて取り消しになる。宙に浮かされたようなこの居心地の悪さ。
 そして中井英夫自身が偏愛するのは久生十蘭。十蘭こそ職人的な小説の名手です。絶品とも言うべき数々の短編。そして代表作の多くにいつまでも手を加え続ける細心さ。ところが中井英夫においては十蘭的な<譚を創ろうとする意志>のベクトルとともに、逆方向の<譚を壊そうとする意志>のベクトルが同時に働くのです。完成された物を厭う生来の天の邪鬼のせいか、江戸っ子気質の照れ屋だからか。
 ひとつ言えるのは、中井英夫は<『虚無への供物』の作者>であると同時に<『虚無への供物』により破壊された作家>であるということです。古い言葉だが、スキゾ型とパラノ型に分けるとすると、小栗虫太郎や夢野久作はパラノ型、久生十蘭はスキゾ型の作家です。中井英夫は元来はスキゾ型だけど、『虚無への供物』はパラノイアになりきらなければ書けなかったはずです。その無理が終生祟ったのか。
 ちなみに僕自身は典型的なパラノイアです、たぶん(笑)。

 それにしても最近のエストニア号沈没にはどうしても洞爺丸事件を思い起こしてしまう。船首の自動車用出入り口の扉が原因とか。反世界への入り口は今でもいつでも毎日コンビニエンスにぽっかりと口を開けているものだ。



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