『彼方より』

『彼方より』


 この巻には、日記『彼方より』『黒鳥館戦後日記』『続・黒鳥館戦後日記』を収録。

 『彼方より』は、1943年10月8日から1945年8月11日までの日記。
 1943年、学徒出陣により市ヶ谷の参謀本部の航空通信隊に配属される。入営後の日記は1944年8月21日より。
 9月10日、友人松岡吾郎宛てに精神革命起案草書を書き綴る。日本精神に対する呪詛。
 9月11日、母茂子、飢えと病気のため死去。参謀本部でのんびり暮す幸運を母を売って購ったように思う。
 10月31日、月桂寺にてもう一つの中井家之墓と対面。
 1945年4月、郷里田端が空襲により焼け野原となる。生家の焼け跡での述懐。

 8月、腸チフスに罹患し世田谷の第二陸軍病院に担ぎ込まれる。高熱で朦朧としながらの数日分の記述を残し、戦中日記は了。

 『黒鳥館戦後日記』は、1945年9月16日から1946年12月31日まで。
 9月に入ってようやく意識を回復。9月末に一度退院するが、その帰りの電車の中で卒倒し再入院。
 10月13日、次姉静の暮らす西荻窪のアパート青雲荘に身一つで転がり込む。
 東大に復学もせず。マッカーサーの改革に喝采しながらも、戦後の世相に違和感を感じていく。
 1946年5月より復学。浅草言問橋近くで”不名氏之墓”に出会う。
 9月、友人金野宗次の援助で第十四次「新思潮」の編集を請け負う。11月、椿實、吉行淳之介と知り合う。

 『続・黒鳥館戦後日記』は、1947年1月1日から1949年2月15日まで。
 自分の才能に対して持っていた自信を崩され、苦闘の日々を送っていく。
 1月28日、太宰治の家を初訪問。
 4月12日、硝子で左足を怪我。27日、父のいる赤羽の病院に入院。少年時代よりあれほど憎んでいた畏れていた同室の父より看病を受ける。
 5月28日、金野宅で見知った爽野路子(仮名)、病室を訪れる。手放しの悦びようが微笑ましい。
 6月23日、退院。7月17日、静姉に旅費をもらい、路子に会いにM市まで行く。生まれて始めての恋。
 7月30日、「新思潮」発刊。8月10日、椿實の「メーゾン・ベルビウ地帯」を読んで衝撃を受ける。
 9月5日、「黒鳥譚」の原型浮かぶ。
 1948年5月16日、太宰治と最後の会話。5月24日、大蔵省に勤める三島由紀夫と初の対面。6月13日、太宰治入水死。日記に追悼詩「首」を書き記す。
 7月、路子との恋愛が結局破綻する。己の不甲斐なさのために、無一文無一物のために、そして同性に惹かれる性質のために。
 借金だらけで首が回らず、たびたび遺書を書くが死ねず。8月3日、金を使い込み松岡吾郎と絶交。
 11月10日、日本短歌社の面接を受ける。
 1949年1月12日、日本短歌社の採用決まり初出勤。2月15日、ついに”分身”と邂逅する。

 以後、『黒衣の短歌史』へと続く。


→冒頭
→中井英夫目次
→読書日記
→表紙