『虚無への供物』刊行40年記念企画としてまとめられたオマージュ作品集。表題は『虚無への供物』中に出てくる氷沼紅司の書かれることがなかった探偵小説のタイトルを採った。
中井英夫が出てくる小説という試みは今回が初めてでなくいくつか先行作品がある。
とは言うものの、こんなことが成立する作家は江戸川乱歩の外には中井英夫しかありえない。
赤江瀑「歌のわかれ」では、1974年6月、作家のN氏は初めてパリを訪れてライ・レ・ローズの薔薇園を歩く。その深い薔薇の茂みの中で彼を迎えたのは、歌人になろうと試み挫折してパリを目指した若い男の幽霊だった。
中井が短歌誌編集者として多くの新星を見出していた時代のことが的確にまとめられた上で『薔薇幻視』での記述に結びつける。
『幻想博物館』の雰囲気を伝える一編。
この作者は勿論大御所で結構気になる人なのだがあまり読んだことはない。
有栖川有栖「彼方にて」では、イラク戦争が始まったのをテレビで見て「新形式の戦争」という言葉に思い当たった青年は愛読書を携えて外に出る。小さな動物園のその作者が愛した水禽の檻の前で、彼はやはりその作者を知るものと遭遇する。
大きな事件が起こったときに中井ならどう思うだろうか、『虚無への供物』の読者なら必ず思う心理をそのまま切り取っている。
北森鴻「急行銀河・1984」は、敬愛する芸術家の相次ぐ死と、アルバイト先のホテルニュージャパンの火災により心に傷を負った青年の話。夜汽車の中で彼は彼のことをことごとく見抜く老人と、『ザ・ヒヌマ・マーダーケース』という本を読む男に出会う。
人生生きる上で時々起きる大事件は個人個人の人間形成にも影を投げかける。
本作にはおそらく作者の個人的な思い入れが封入されていると思われるのだが、残念ながらあまりしっくり来ない。
倉阪鬼一郎「黒月物語」は南千住の裏通りのアラビクというバーでの出来事。マスターは『虚無』に感銘を受けて次善の夢としてこの店を開いたが潰れかけていた。
そんなとき不思議な老人が客として現れる。
これはいま一つ。題材としての扱いがストレート過ぎる。
竹本健治「彼ら」の主人公は、特に何事もないのに落ち着かない気持ちに襲われ不安になる。そのうち彼はそれが時々見る悪夢に関係があるのではないかと思い当たる。
中井英夫とは何の関係もない内容で、竹本の諸作でメフィストフェレスのような役割をする佐伯千尋まで登場する。だが、いかにも竹本健治らしい作品で面白い。自らが後継だという自負によってそのままで勝負に出た潔さを感じる。
嶽本野ばら「流薔園の手品師」では、厳格な家風の中でジャズに目覚めた少年が、母親に連れられ山奥の施設に収容された伯父に会いにいく。戦後、サックス奏者として鳴らした伯父は若くしてアルコールとヒロポンに溺れて身を持ち崩したのだという。
もう一つの流薔園に映画の「とらんぷ譚」を絡める。切り口は悪くないと思うのだが、結末がどうも中途半端。
この作者のものは初めて。
津原泰水「ピカルディの薔薇」で、作家の猿渡は療養所暮らしの人形作家の青年と知り合う。青年の障碍は自殺未遂の後遺症によるものだという。猿渡の示唆をヒントに新作に取り掛かるという青年の言葉に一抹の不安を感じていたが……。
猿渡が会いたく思いながらも果たせずに亡くなった作家として中井のことを思う。
編集者の奈々村女子は久生の姪という設定。
猿渡はシリーズキャラクターのよう。
それなりに読ませるが結末の意味がいま一つわからない。
この作者は東雅夫編『村山槐多 耽美怪奇全集』に収録された「音の連続と無窮変奏(槐多カプリチオ)」だけ読んだことがある。
皆川博子「影を買う店」では、翻訳家の姉は自殺した弟の葬儀で弟の友人のTに久々に会う。彼から明治の文豪の娘M・Mが今でも通ってくるという喫茶店のことを聞き、自分も出かけていく。
身辺雑記のようなものがいつしか幻想小説へ。中井の「影を売る店」の裏返しとなり、羽根木のそばにまた一つ異界が開く。あまりにもさりげないのでちょっと戸惑う。
森真沙子「墓地見晴亭」で、フランス滞在中の中井はいつもお仕着せばかりでなくて一人で薔薇園へ行ってみようとタクシーに身を委ねる。ところがその途中にボードレールの詩集に出てくる居酒屋と同じ「墓地見晴亭」なる看板を見かけて停車を命じたばかりにトラブルに巻き込まれる。
中井の「薔薇の罠」を下敷きにして、父親との葛藤を踏まえてスマートにまとめてある。
作者には編集者時代の中井を初め鏡花、荷風、龍之介などが登場する連作短編集『東京怪奇地図』がある。文庫落ちしたときに買ったのに積んだままだ。
中井英夫「黄泉戸喫」では、既に死んだBからの電話がAにたびたびかかってくる。Aはそのことを喜び、それを中断される禁止事項に触れぬよう細心の注意を払うが……。
晩年の力作。AとBとの愁嘆場である『月蝕領崩壊』と、書いてはならぬ小説である『虚無への供物』が一つにつながる。
小説の部はさぞ書きにくかったことだろうと思う。そんな中で中井との接点がそれぞれの作品でほとんどまちまちであってバラエティーに富んでいる。競作という試みは成功しているのではないか。
エッセイの部は中井へのファンレターという趣き。そうそうたる面子が『虚無』に出会ったときの衝撃を切々と語るのみ。
掉尾を飾る本多正一「壁画と旅する男」は小説仕立ての力作。題名と冒頭は乱歩「押絵と旅する男」のパロディであるし、初めて中井の元を訪れた筆者が中井を詰問するシーンは、中井自身が太宰治に
「先生はよくもうすぐ死ぬ、と仰いますが、いつ本当に死ぬんですか」と問い詰めたという逸話を髣髴とさせる。
そうしたお遊びも面白いが、中井が筆者に語る述懐は、ここにあるように初対面の時に話されたものではないだろうが、彼の晩年をともにし死まで見取った筆者がはっきり受け取ったことなのであろう。
最近の情報によると、まだまだ祭りは終わらないようだ。
こうして影響を受けたものが口々に語り続けることによって、『虚無への供物』と中井英夫の諸作がさらに四十年後も読み継がれていくことを切に願う。