中井英夫と戦後

中井英夫と戦後


 前回の特集(?)で東谷氏が『虚無への供物』についてコメントしていたが、確かに中井英夫の戦後という時代(昭和ではない)へのこだわり方は類をみない激しいものがある。
 まずは現実の事件を小説に取り入れること。こんなことは島田某でもやっているが、中井英夫の場合はそんな安易なものではない。なぜなら現実世界の方が影響を受け、中井英夫の小説世界そっくりに変貌してしまうからだ。『虚無への供物』はその典型。その構想が浮かんだのは洞爺丸事件の次の年、昭和三〇年の一月だが、悼尾を飾る紫雲丸事件はその年の五月である。その他、『人形たちの夜』の女子大生殺しから貴腐病の発生に至るくだりやら、『幻想博物館』を流薔園炎上で終わらせようとしたところ現実に二件も精神病院の火事が続き、嫌気がさして現在の形にしたことなど、枚挙にいとまがない。
 時代の風俗も書き込む。執拗というくらい綿密に。かえってそのため現実と遊離したもう一つの風景が浮かび上がることになる。
 さらに時間旅行。<とらんぷ譚>四部作中三作までに時間旅行が関わってくる。それも作中の現在と戦前、終戦直後とを振子のように行き来する形で。『幻想博物館』の結末で時を超えて悪夢と現実は転換する。『悪夢の骨牌』の後半はもっと凄まじい。幻想文学の珠玉短編を楽しむつもりだった読者はぷっとんでしまう。「戦後よ、眠れ」だもんな。
 作者は間違った時間の流れの中に取り残された、そんな思いをもって生きているのだろうか。それは勿論、これも有名な話だが、腸チフスで一月昏睡している間に戦争が終わってしまったという”敗戦体験の欠落”に由来するのであろう。
 今、世界は千年に一度の大世紀末を迎えようとしている。東欧でアジアで激動は始まっている。ただ日本だけが昭和は柊わったものの相変らずの旧態依然である。
 『虚無への供物』は実はまだ完結していないのかもしれない。第八回乱歩賞に応募されたときと同様に。その真の結末で我々平成を生きる読者が何もしなかったことを告発される日も近い。



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