『蒼白者の行進』

『蒼白者の行進』


 出版直後に読了していたのだけれど、書評を書いていなかったので読み直し。
 長編中絶作2本『蒼白者の行進』『デウォランは飛翔したか』と長編『光のアダム』、そして短編集『薔薇への供物』から<とらんぷ譚>収録作以外の2編「重い薔薇」「薔薇への遺言」。

 『蒼白者の行進』では渋谷の酒場”彩”に集まる登場人物たち−みな姓に色彩名が入る−が劇団を結成する。それぞれの人間関係を下敷きに、そしてギリシア悲劇を彩りにして脚本が紡がれていく。ところが芝居が現実を侵蝕し出し、発狂や心中という事件が続発する。死んだ女性が我々の敵だと言い残した蒼白者とは何者か。
 この中絶作が<とらんぷ譚>中の『人外境通信』「薔人」「悪夢者」へと繋がっていく。<とらんぷ譚>中で私が最も気に入らないエピソードなので中絶も痛し痒しといったところ。

 『デウォランは飛翔したか』では、主人公は時間の悪戯に巻き込まれる。町で拾った言葉のもつれる青年を連れてうちに帰ると、そこには「私」が既に帰宅していた。二人になった夫を見て妻は狂乱状態。主人公はもうひとりの「私」にいいようにあしらわれ劣等感を抱く。そこへまた新たな来客が、と登場人物が揃いだしたところで中絶。
 後書きには作家として中絶作を持ってみたかったという述懐がされている。とするとこの作の中絶も確信犯的なものか。

 『光のアダム』は、『虚無への供物』以降で完成された唯一の長編らしい。火山の北麓の鬱蒼とした森の中に埋もれた廃屋の由来記。美の一族世良家の先代数人は敗戦直後に双生児の弟保留人とともに消失したという。今その孫不比等と双生児の弟笛人は十七歳。新たに描かれようとしている不比等の肖像画が完成したときに消失劇は繰り返されるのだろうか。
 美というものに挑みあえなく敗退したという印象。解説の笠井潔による『虚無への供物』との比較論が圧巻。そのためだけでも本書は読む価値あり。


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