七北数人編『猟奇文学館3 人肉嗜食』

七北数人編『猟奇文学館3 人肉嗜食』



 三巻本のアンソロジーの最終巻。
 インターネットで「カニバリズム」および「人肉嗜食」という語を含むサイトを検索したら一〇〇〇件近くあった、と解説にある。編者もここを見たのだろうか。
 これは関心のあるテーマなのだが、探偵小説系のカニバリズム小説は敢えて外したそうなので、既読は村山槐多と牧逸馬のみ。

 村山槐多「悪魔の舌」で戦前の探偵小説を代表させたという。一面に針の生えた奇怪な舌を持つその男はあらゆる悪食を試しても飽き足らずついに悪魔の食物を得た。だがそれこそが男の破滅の元だった。描写のおぞましさはかなりのもの。乱歩登場の随分前に本職画家の余技作家によってこんな話が書かれていたのだ。

 中島敦「狐憑」は遥か大昔の食べられてしまった詩人のこと。カニバリズム小説と言うよりは、「文字禍」のような小説の原罪を突いた話。

 生島治郎「香肉」は、香港を舞台に食に旺盛な中華料理の迫力がみなぎる。犬を料理したはずの香肉(シャンロウ)。実にうまかったその味。だが、料理に紛れていた指輪は失踪した妻のものだった。そして、……。食欲は他のどんな欲望よりも根源的なものなのかも。

 小松左京「秘密」は、あるあたたかい日曜日、住宅地の庭で夫が妻を蒸し焼きにして食った椿事。それはポリネシアから持ち帰った神像の呪いだった。事件を終結させるにはその呪いどおりに従うしかなく、全てを承知する殺された妻の実兄の指導の元、犯人の夫を焼き殺して警官も新聞記者にもその肉を食わせて秘密を分かち合う。静かで厳かな奇妙な味。

 杉本苑子「夜叉神堂の男」は時代もの。両親が山伏を殺した報いで節分の夜に狂う男。これだけ真っ向から食人の悦楽を語ってくれる話は貴重である。小気味いいくらい。なんとこれを表題にした短編集もあるとか。著者については新聞小説の『月宮の人』を読んでいたくらいしか縁がなかったが、おみそれしました。

 高橋克彦「子をとろ子とろ」に出てくるのは万病に効くと言われる嬰児を燻製にした蟠桃。婚約者のDJの故郷秋田にいっしょに取材に行ったディレクターは、その地に怪談が殆ど伝わっていない陰にその蟠桃があることを気づく。婚約者の実母が身を隠しているのも何か理由がありそうだが……。ホラーだが後味はよい。

 夢枕獏「ことろの首」は、休みに山へ行っての怪談。雨で降り込められた山小屋に奇妙な人物たちが集まってくる。囃子歌にあわせての踊り。失敗すると首がとぶ、というが。結末と冒頭の呼応はお見事。

 牧逸馬「肉屋に化けた人鬼」は、『世界怪奇実話』より一編。第一次大戦後のドイツ、ハノウヴァの殺人鬼フリッツ・ハアルマンの一代記。”地震で、大洋の海底が陥没したとする。するとそこから、いままでわれわれの知らなかった、一見嘔吐を催すような、醜怪きわまりない形態を備えた巨生物が這い出すかもしれない。ちょうどそれと同じように、大戦は、いちじ完全に社会生活の秩序と常識を倒壊して、その余震最中に、ここに、普通時には現れること許されない、まさに嘔吐を催すような、人道的に醜怪きわまりない一匹の人鬼を追い出したのだ。” こんな一節が印象に残る。

 筒井康隆「血と肉の愛情」は、他の惑星のテレパシーを持つ住民の習俗。愛の極致の食人というのはわかりやすい。納得できないまま食われてしまった地球人はお気の毒だったが。

 山田正紀「燻煙肉のなかの鉄」は、滅亡に瀕した人類が互いを猟獣として争う未来社会。掟を破った無法者たちを主人公は追い詰める。友情も恋も命を懸けた死闘の中で紡がれていく爽快さ。

 宇野鴻一郎「姫君を喰う話」はうまいモツ焼き屋での出来事。隣の席の虚無僧の無作法さに腹を立てた作者は、タンやシロにかこつけて女の舌や腸に対する愛情を切々と語る。お返しに語られたのは男が武士だったときに仕えていた高貴な姫君を守れなかった話。三巻本で全て出場はこの作家だけ。小説がうまい人だということがよくわかった。

 『猟奇文学館』のシリーズは収録作の殆ど全てが読んで面白いという意味でよいアンソロジーであった。これが初読となった作家、こんなものも書いていたんだと初めて知った作家も多数あった。題材がきわどいものばかりなので、作家の筆力が如実ににじみ出る。
 幻想文学ファンにはお勧め。


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