芦辺拓新編集長による<本格推理マガジン>の最新刊。過去の名作を復刊するのに入手しやすいものを敢えて外すという編集方針で選ばれたのは以下の作品。
まずは岡村雄輔「ミデアンの井戸の七人の娘」(1949)。この作者のものは今回初めて読んだ。こんな作品があったのかとのっけからびっくり。
真木のり子という少女が誘い込まれたのは自由石工組合(フリー・マソン)の東京支部、東方の星会館(イースタン・スター・ロッジ)。真の父と称する燧山博士が執り行う宗教儀式の最中に殺人が起こった。異母兄のシャム双子、上海より来た騎士団長、日本化学工業界の大立者と、怪しげな人物の集うなか、青酸瓦斯による毒殺、そして三人分の死体の消失と事件は続く。
まるで小栗虫太郎のようだと思ったら、作中で「完全犯罪」に言及している。
颯爽と登場したのは名探偵秋水魚太郎。法水麟太郎の後継がまさか戦後にいるとは思わなかった。事件や推理に虫太郎ほどの超論理はない。だが、魔術的空想的な舞台設定の中で危ういながらも筋を通してくれている。法水の後継者候補としての資格は充分あると見た。
ただこの作者のものが全部が全部こんな作風ではないらしい。手元にあるものをこれから読んでみようと思った(→作品目録)。
「むかで横丁」(1954)はSRの会の会誌<密室>に掲載された伝説的な連作。
私が山沢晴雄を知ったころ、その名は「むかで横丁」と不可分に結びついていた。例えば鮎川哲也『死者を笞打て』では以下のように紹介されている。
山沢晴雄の<作風は、本格派の中でも最右翼に属するものである。そのトリックは論理の極限において辛うじて成立するものであり、すべての作品が晦渋をもって知られていた。例えば、そのむかし彼が連作《むかで横丁》でこころみた時間錯誤のトリックなど、わずか三十枚にもみたぬ枚数でありながら、それを完全に理解するのは極めて難事であった。作者自身が「あれを解ってくれる人が果しているだろうか」と疑惑したほどである。>
山沢の作品は現在ある程度読めるようになっている(→作品目録)。だが、その名前のみ知られた代表作「むかで横丁」が活字になったのは初出以来四十六年ぶりのことである。誠に嬉しい。
むかで横丁はとある駅近くの裏通りの猥雑な飲食街。駅を発車したばかりの下り三三〇三列車がむかで横丁の裏側の第三踏切で若い女を轢いた。それは「さつき」の娼婦お銀かと思われた。だが、驚くべきことに轢断された首と胴はまったく別人のものだった。
ここまでの宮原の発端篇を須田がふくらませ、Aキャバレーの奇術ショー実演中の殺人をも盛り込む。
そしてこれに山沢が奇跡的な解決をつける。二段構えのアリバイトリックは見事であるとしか言いようがない。山沢の実力は誰でも認めるところ。だからこんな派手な発端につけたときにこそ、巧妙極まる解決篇もなおいっそう引き立つ。名探偵星影龍三も登場。
天城一が書いたものの撤回した「発展篇」に、やはり山沢が「解決篇」をつけた「新むかで横丁」というのもあるそうだ。こちらもぜひ読んでみたい。
坪田宏「二つの遺書」(1950)に登場するのは現実派の名探偵古田三吉。この探偵のものでは「下り終電車」を以前読んでいた(→作品目録)。
ある男が遺書となった日記を残して消失した。そこには失明に至る絶望や死への思いが切々と記されていた。ところがその日記の通りなら彼はここで自殺しているはずと駆けつけた者が見つけたのは、密室内にあった男の弟の死体だった。男が自殺しているはずの場所もまた密室で、だが彼の死体はなかった。
密室にした方法は割りと簡単にわかってしまう。犯人も察しはつく。だが、何が起こったのかがさっぱりわからない。
林署長が送った手紙から古田三吉は事件の真相を見抜く。そしてすべてを知りながらも傷ついたものに投げかける温情が悲惨極まる事件をなごませている。
探偵役のためか地味な感じ。だが奇妙な状況の謎解きに登場人物の心理や感情に着目するのは今なお新しい。古田の人間味にも好感を持った。
宮原龍雄は「ニッポン・海鷹」(1953)。この作者は「三つの樽」や「新納の棺」によりガチガチの本格派とのイメージが強い(→作品目録)。ところが本作はサバッチニ『海鷹』ばりの海洋冒険譚仕立て。それでもいつもの三原三雄検事と満城十四郎警部補のコンビが登場して不思議な感触に。
佐賀県唐津と長崎県対馬の中間に位置する菩薩島。そこは足利時代以来の名門九鬼家が支配する一国家ともいうべき島だった。今なお神聖家族九鬼家の権威は強く、国家権力さえも硬軟両様の駈引きであしらい容易に従おうとはしない。
事故で無人のまま流失したはずの九鬼八幡の御座船「乾雲丸」が星賀の漁村に現れた。だが、この巨船は多くの漁民に目撃されながらも、あとに凄惨な死体一つを残して跡形もなく消え失せる。殺人の調査のために捜査陣は菩薩島へ乗り込む。ところが当局を嘲笑うかのように密室内での殺人や衆人環視下での縊死事件が続発する。
こちらは小栗虫太郎の後期の伝奇小説(「紅毛傾城」等)に近い味がする。だが、そんな筋立てでも警察関係の渋いシリーズキャラクターを生かして本格推理をやってしまう作者の手際には脱帽。後期のものほど地元佐賀の風土を生かしたものが多いということだが、これだけのレベルのものが埋もれているようなら、もっと他にも読んでみたい。
しんがりに控えたのが鷲尾三郎「風魔」(1958)。かつて連作短編集『悪魔の函』(第一文芸社:1958)に収められたのが、「白魔」「妖魔」「風魔」「姦魔」。アンソロジーを猟れば四編全部がこれで読めるようになった(→作品目録)。
探偵作家の毛馬久利(毛馬胡瓜というのがあるそうだ)とストリッパーの川島美鈴のコンビが密室に挑むこのシリーズは、とんでもトリックの宝庫。「白魔」や「妖魔」も笑わせてもらったが(「姦魔」は未読)、この「風魔」も凄い。なるほど、今に至るまでどこにも再録されなかっただけのことはある。密室の解法が凄いが、そこを密室に仕立てるための条件立てがなお凄い。こうまでしないと成立しない密室というのは空前絶後に違いない。ああ。
一編一編をこころゆくまで楽しませてもらいました。次回にも期待します。