大下宇陀児

大下宇陀児


 本名木下龍夫。甲賀と同じ化学畑で、農務省でも作品の発表でも後輩に当たる。
 ところが、作風はまるで違います。大下にも理化学的トリックを使った作品は無くはないですが、その数は僅かです。

 また、初期には適度によくできてグロテスクな変格探偵小説的作品がありました。「死の倒影」「血妖」「恐ろしき臨終」等。私は結構こういうのも好きです。

 でも、宇陀児の本領は他にあります。戦前作家としては珍しく彼は人間の愛憎に目を向けました。

 例えば*「情獄」。嫉妬にかられ親友が溺死するのを見殺しにしてしまった男。激しく後悔はしたものの結局その妻と結婚する。だが、その女は次第に妖婦の正体を現してきた。不品行を咎めたところ逆に殺人の罪を詰られて、激情のあまり彼は女を撲殺する。そして、死出の旅に立つ前に目撃者の恩人でもある親友の母親、全身不随の老婦人を泣きながら手にかける。この悲惨な真相を誰にも訴えることができずに胸の中で苦しませておくのはあまりに残酷だと思って。

 他に代表作*「凧」や*「悪女」「痣」「蛍」等、皆家庭内の悲劇に材を取った秀作です。人間の卑小さを見守る作者の目は淡々としていながらも暖かい。

 長編の方は戦前は見るべきものがありません。『奇蹟の扉』他が春陽文庫で一応読めますが。戦後ではまず探偵作家クラブ賞の+『石の下の記録』でしょうが、これは手に入りません。全集には*『虚像』が収録されています。
 小さな千春は、強盗に父を殺され、父の親友に引き取られた。親切な小父、小母、義姉に囲まれながらも、つむじ曲がりの千春はなぜか反抗的になる。とあることから彼女の心に恐ろしい疑惑が生まれた。父を殺したのは小父さまではないのか……。復讐を誓った千春は、平和な家庭に波乱を巻き起こし、遂には義姉の婚約者を横取りする。だが、……。
 千春の頑なさが返っていじらしい。一途な生き方のために奈落へ落ちた彼女の姿は静かな悲しみを呼ばずにはいられない。

 また、宇陀児には幻想的作品やSFもあり、前者では「紅座の庖厨」、後者では「宇宙線の情熱」が読めます。遺作+『ニッポン遺跡』もSFです。



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