国書刊行会の”探偵クラブ”にてこのたび大坪砂男『天狗』が発刊されました。出帆社版の全集(2巻本)を持っていた僕にとっては全く無意味だけど、これで喜びの余りむせび泣いた人は日本全国津々浦々に数知れずいたことであろう。
大坪砂男(1904-65)。本名、和田六郎。戦後五人男のひとり。警視庁鑑識課に勤務歴あり。筆名はホフマン「砂男」に由来する。都筑道夫の師匠。
短編の名手。斬れ味がモノ凄い。神業とも言える。さて、評するにしてもどこから斬り込んだものか。
最高傑作はやっぱり「天狗*」かな。主人公は狂人だろうか。そこまで行かなくても極度のパラノイアには違いない。些細な事件からある女に侮辱を感じた彼は、女の抹殺計画を組み立てる。そしてその逐一、一部始終が高踏的、魔術的とでもいうべき文体で極めて詳細に物語られる。女は罠に落ち、飛ぶ。そしてそのときの解放感に読者も我知らず喝采を叫ぶ。書評子としては誠に悔しいが、やっぱりこの凄さは読んでもらわないとわからないね。
「零人*」は耽美主義の極致と自己幻視の恐怖。冒頭の一文「天城峠のトンネルをぬけると南伊豆の秋空はくっきりと青く光っていた。」から四つある「と」を一つ減らそうと一晩中悩み抜いたという伝説がある。
「私刑(リンチ)*」は探偵作家クラブ賞受賞作(1950)。無法者の仁義の世界を描く。テキヤ言葉のノリのよさで読んでいたら結末でぞくりときた。映画化もされた。確か高倉健だか菅原文太だかが出演していて殆ど人侠映画という雰囲気だそうだ。一度見てみたい。誰か知ってる人がいたら教えてください。
砂男にはかつての彼自身を思わせる警視庁鑑識課技師、緒方三郎を探偵役とした連作もあります。当然ながら科学考証はしっかりしているが、それよりも彼の分析がその威力を発揮するのは女心の謎について。「赤痣の女」「三月十三日午前二時*」「大師誕生」「美しき証拠」と続きますが、特に二作目と三作目が絶品。「三月十三日午前二時」は五十年三代に渡って起こった怪死事件の謎。純粋な機械トリックながら、極めて強烈な犯人像と、犠牲となった女心の哀しさがよい。「大師誕生」は作者の奇術趣味がもっとも強く現れ、眼前に奇跡を演出してくれる。
それにしても珠玉のような短編の多いこと、多いこと。
人間の存在意義を真っ向から問いかけられて戦慄せざるを得ない「涅槃雪*」「花束」「師父ブラウンの独り言」など。
日活映画でも見るような無宿ものの快作「花売娘*」「現場写真売ります」「街かどの貞操」など。
忍者ものの「密偵の顔*」「霧隠才蔵」や傑作SFミステリー「ロボット殺人事件」など。
僕は大坪砂男が好きで好きで、幾つか短編をもったいなくて読まずに残しておいたんだけど、この機会に全部読んでしまいました。やっぱりいいねぇ。いやあ、この素晴らしさを知らない人は絶対不幸だ。
特異な作風、寡作。そしてさらに職業人としては全く失格だったようです。作家になるまでも様々な職を転々。そして作家として一応の成功を修め、探偵作家クラブの幹事長となりながらも、運営金を着服したのが発覚、以来作家をも廃業する。晩年はプロットを柴田錬三郎に売り糊口をしのいでいたが、やがてひっそりと世を去った。
改めて思います。探偵小説というこの分野は摩訶不思議な人物を引きつけるそんな魅力があるものだと。
(*は探偵クラブ版『天狗』収録作品)
探偵クラブ考査表
◎必読!,○なかなか,△あんまり,?未読
大阪圭吉『とむらい機関車』 ◎
三橋一夫『勇士カリガッチ博士』 ◎
葛山二郎『股から覗く』 ○
渡辺啓介『聖悪魔』 ○
蒼井雄『瀬戸内海の惨劇』 △
山田風太郎『虚像淫楽』 ○
大坪砂男『天狗』 ◎
岡田鯱彦『薫大将と匂の宮』 ?
城昌幸『怪奇製造人』 ?
蘭郁二郎『火星の魔術師』 △