本名炳吾(へいご)。無頼派。代表作「白痴」『二流の人』評論「堕落論」。
探偵小説に理解のあった文学者は、幸田露伴から曽野綾子まで枚挙にいとまがありませんが、堂々たる傑作本格長編をぶちあげたのは安吾一人です。
戦争中、平野謙、荒正人、大井広介らと探偵小説の犯人あてに興じていた安吾は、いつも負けてばかりいました。彼に言わせると、それはテキストが不完全だからで、完璧な作品なら鮮やかに解決できると。
戦後、安吾は*『不連続殺人事件』で読者と仇敵達に挑戦しました。この作品は旧来の本格物の形をとりながら、不自然なトリックを排し、人間心理的に完全であり、かつまた、作者自身の作風が煙幕となっています(本誌一号参照)。全集には連載当時の作者の言葉が収録されていますが、これが無茶苦茶面白い。これを読んで登場する刑事達の名前が仇敵達の名前のもじりであることに初めて気づきました。
長編第二作『復員殺人事件』は掲載誌廃刊のため中絶しましたが、それを高木彬光が引継いで新たな構想を立て『樹のごときもの歩く』として完成させましたが……まあ難しいもんですな、合作というのも。
二長編に登場する巨勢博士(ホンモノの博士にあらず)は、短編*「選挙殺人事件」「正午の殺人」でも活躍しています。
もう一つ重要なシリーズは『明治開化安吾捕物帳』です。洋行帰りの紳士探偵結城新十郎。その後を追いかけて回る探偵マニアの泉山虎之介。虎之介が智恵を借りに行くのは維新の英傑勝海舟の所。海舟は安楽椅子探偵で心眼を働かせるがそれが大抵外れている、という形式。
開化期と戦後を重ね合わせ、海舟に作者は何を託したかったのか……なんてことは私にはわからないが、面白い探偵小説であることはよくわかります。特に*「覆面屋敷」は第一級の作品。「生きているのはやさしいが、死ぬのはむずかしい」こんなフレーズに出合えるだけでぞくぞくしてきます。そしてこれは家族制度の重圧がもたらした犯罪でした。
他にも、奇術師伊勢崎九太夫が探偵役を務める*「心霊殺人事件」と「能面の秘密」なんかも悪くない。
安吾の全小説の四分の一が探偵小説だそうです。なお、探偵小説ではありませんが、「桜の森の満開の下」や「夜長姫と耳男」といった系列の話には、一種独特の凄みがあります。前者の”首遊び”のくだりなんてもうたまらん。