『奇想、天を動かす』

『奇想、天を動かす』


 島田荘司数年振りの傑作という噂を聞いて読んでみた。面白かった。吉敷物としては『北の夕鶴2/3の殺人』に匹敵する−傑作面でも怪作面でも−出来だと思う。
 一見行きずりの衝動殺人。だが犯人の老人に興味を覚えた吉敷は執拗に過去へと遡る。その彼の前に三十年前の北海道札沼線の怪事件が浮かび上がる。
 札沼線の怪事は老人の小説として乱歩風のねちっこい文体で作中に捜入される。しかし、事件それ自体は破天荒やら八方破れやらと評された初期の島荘そのもの。いや、ピエロの消失、轢死者の復活、列車を転覆させた白い巨人と続々と事件が連なり、よりスケールアップした感さえある。
 幻想的ですらある事件の構築とその論理的解明については言うことなし。お家芸の死体玩弄も久々に出たことだし。
 問題は社会派的部分だ。島田荘司は吉敷物でよく社会派的なモチーフを使ったり、現実の事件に材を取ったりするが、いかにも取って付けたようであまり成功していない。最もうまくいったこの作品も例外ではない。
 ここに描かれたのは一人の老人の人生だ。札沼線の怪事件も彼の長い旅路の中間地点に過ぎなかった。全てを知った吉敷が粛然とするのも理解できる。
 だが、私の感興を妨げたことが一つある。老人が冤罪を受けた事情がどこか曖昧なことだ。これが札沼線の怪事件に結びついた抜きさしならぬ理由で二十年を獄舎に泣いた、というなら悲劇は際立つ。今のままでは、折角取材した資料を使いたいという作者側の都合がほの見えるだけだ。
 島田荘司が社会派的仕掛けにこだわるのは彼自身が単なるトリック小説に飽き足らなくなってきたからかもしれない。でも、今回は辛うじて成功したが付け焼刃の社会告発はもうやめてもらいたい。それこそ乱歩に帰り、人間の心の闇に着目して欲しい。闇を創り、それを驚天動地のトリックと結び付ける。それこそ作者に望みたいことだ。
 と言っても『幽体離脱殺人事件』では困るんだよなあ。



→冒頭
→島田荘司目次
→表紙