最近になって入手した本。<叢書新青年>のシリーズは主に作家ごとに一冊という構成だが、この巻は<新青年>で活躍した作者の遺族や編集者へのインタビュー集。目次を眺めただけでわくわくしてくるような名前が並ぶ。
松野一夫は画家。<新青年>表紙のモダンなイラストを三十年間も描きつづけ、他にも小栗虫太郎『黒死館殺人事件』の銅版画めいた挿絵など残した仕事は数多い。安男はその長男。
<新青年>に描くようになってからフランスに留学し、岡本太郎などともいっしょだったこと。テクノロジー的なものにも興味があり工業デザインの草分けになりそうな仕事もしていたこと。本格的な絵は残さなかったが、挿画の仕事は片手間ではない熱のこもったものであったことなど。
谷譲次は牧逸馬、林不忘の別名も持った流行作家だったが三十五才で急逝。本名長谷川海太郎。
玉江はその妹。長兄海太郎のことだけでなく、男兄第たちのことを語る。次男?りん次郎は洋画家にして探偵作家地味井平造。三男濬はロシア文学者でバイコフ『偉大なる王』の翻訳で知られる。四男四郎は抑留体験記の『シベリア物語』がある。
一家の父淑夫は函館新聞の主筆。政治的には左から右まで度量が広い交際があり、一家の家庭は文化的なサロンとなった。兄弟の友人では後の久生十蘭阿部正雄や後の水谷準納谷三千男も出入りした。
流行作家になって鎌倉に建てた唐金御殿の豪勢さ。そこでの執筆に追いまくられた生活と突然の死。まさに時代を駆け抜けた人生。
海野十三は言うまでもなく日本SFの父。特許関係の仕事もし科学啓蒙家や麻雀解説者としての顔もある。英はその夫人。
お二人の馴れ初めは逓信省電気試験所という職場結婚。夫人は製図技師だった。
海野の人柄の良さに惹かれ、訪れてくる作家のそれぞれのエピソードが面白い。特に気難しさで知られた小栗虫太郎にとってはただ一人の親友だったという。
結核でありながら戦地のラバウルまで行って体を壊す。亡くなったときの話は哀切極まりない。
小酒井不木は医学者にて日本探偵小説の草分けの一人。江戸川乱歩のデビュー作を激賞したことは有名。望はその息子。海千香は望の妻。
望は父が病で果たせなかった道を継いで医学を志し、順天堂大学医学部の教授に就任する。結婚して東京に出てきた海千香夫人は、望と二人で探偵作家クラブに入会したが、夫は病院で忙しくもっぱら海千香夫人だけが例会に出ていた。そのときにいろいろな作家との交流も持ち、また乱歩本人や夫人、母堂からは不木に対する感謝の思いを感じ取ったという。
渡辺啓助と温は実の兄弟。<新青年>の編集者だった温が谷崎潤一郎に原稿の依頼に行ったあとに踏切事故で死亡したのが二十七才。兄の啓助は今なお健在で今年で白寿のはずである。
青山学院大在籍時に温の書いたシナリオ「影」がプラトン社の懸賞に入賞、二人で賞金千円を散財する。博文館に入った温は築地小劇場の女優及川道子との結婚を考えるがその前に死去。沈んでいた兄に今こそあなたが書く番だと発破をかけたのが水谷準編集長だった。水谷からはいまだに当時使っていた「啓介」の名で手紙が来るという。老作家の送る日常はいかがなものなのだろう。
光石介太郎は昭和六年から十年代初めまでにいくつかの雑誌に作品が載る。長い沈黙のあとで昭和五十年代に<幻影城>で復活。今読むことができる作品は三編しかないが、そのうち二編「霧の夜」「空間心中の顛末」は私が極めて好きな作品である。
かねはその妻。大成できなかった作家を側にいて見守りつづけてきた人。
戦後は乱歩から純文学に行った方がいいと言われ、筆名を青砥一二郎と改めさまざまな文学賞に応募しつづけた。いろんなことに興味を持ち職も変えたが書き続けることだけはやめなかった。死ぬまで自分の好きなことをやり続けて幸せだったと夫人は語る。
久生十蘭には作家の他にも演出家阿部正雄としての顔もある。築地座出身の女優杉村春子に聞いたのはその部分についてである。
阿部は岸田国士の弟子で演出や舞台監督を担当。音に敏感だと言い最前列まで行って耳に手を当てて役者の台詞を聞きとって嫌がられた。演技指導にはつかんだら離さないみたいな執拗さがあった。だが、稽古の帰りに毎日寄ったおでん屋ではよく食べよくしゃべる魅力がある人だったという。
高森栄次と乾信一郎は博文館の編集者。高森は昭和二十三年から八代目の、そして最後の<新青年>編集長を務めた。乾は名物コラムの「阿呆宮」を担当し、後にユーモア作家となった。
両者の話には作家や編集者の知られざるエピソードが多い。ファッション欄「ヴォガンヴォグ」の担当者の中村進治郎が二回の心中事件を起こしたこと。後任の原ナラ子は実は長谷川修二だったこと。山本周五郎が山手樹一郎にペンネームを返したいきさつや、山岡荘八との殴り合いの喧嘩のことなど。
貴重な時代の証言が満載。他の方はまだしも、特に光石介太郎の遺族へのインタビューは資料が乏しい人だけに本当に嬉しかった。
新青年研究会はこのほどホームページを立ち上げたこともあり、今後の活動にも期待したいです。