[創作]
ミステリー文学資料館編の探偵雑誌アンソロジーの第五弾。
今回は松本泰が主宰した<秘密探偵雑誌>と<探偵文藝>である。前者は1923年5月創刊、9月終刊で通巻5号。後者はその後身で1925年3月創刊、1927年1月終刊、通巻23号(欠1号)。
松本泰はこれらの雑誌創刊以前から創作探偵小説を精力的に発表していた乱歩登場以前の探偵作家であった。
以前、若竹七海『海神の晩餐』(1997)の冒頭で松本泰が登場し、なんとマイナーなと苦笑したことがある。それ以前に春陽文庫<探偵CLUB>から『清風荘事件』(1995)が出たときに非常に驚き、また読んでみてあまりにも面白くないのでさらに驚いた。
だが、1920年創刊の<新青年>と1923年デビューの乱歩にとって、これらの雑誌と松本泰の存在は、松本泰の唯一の<新青年>登場作が乱歩の「二銭銅貨」と同じ号に掲載されたのが象徴するようにどうしても意識されるライヴァルであった。そして林不忘(牧逸馬)と城昌幸をデビューさせたのは特記すべき業績である。
本書の収録は掲載順で、最初の二編のみが<秘密探偵雑誌>掲載である。
松本泰の作品は『清風荘事件』復刊の頃までアンソロジーにも入ることも殆どなかったが、今はそれ以外にも数編読める(→作品目録)。今回収録された二作は泰が遊学していた倫敦が舞台で日本人青年が主人公である。
「P丘の殺人事件」では、坂口青年が寄宿していた引退した伯父が突然姿を消した。伯父の旧友コックス夫人は何かに脅かされ、その娘ビアトレスが誘拐された。パラメントヒルで殺人が起こり疑いは伯父にかかる。謎も犯罪もあるが、推理はない。主人公が右往左往しているうちに全てが解決してしまう。
「日蔭の街」では遊民生活で財産を使い果たした「私」が最後の百円をはたいた晩餐で見かけた令嬢を巡る事件に巻き込まれる。仏蘭西人の二人組が彼女を付狙う。殺された男のそばには彼女の持ち物の緋房の扇子が。
三回に渡る連載で中編と言える長さまでストーリーを展開。
異国情緒は味わえるが、結末が呆気なくて物足りない。
杜伶二「葉巻煙草に救われた話」は、「P丘の殺人事件」とともに<秘密探偵雑誌>の創刊号に掲載された二編の創作のうちのもう一方。夜汽車の中で巻き込まれたとある事件。これは実際にありそうな話だ。気が利いている。そして少し怖い。
牧逸馬・谷譲次・林不忘と三つの名前を使って書き分けた長谷川海太郎は、米国からの帰国後に松本泰の東中野の借家に弟地味井平造とともに棲み、松本夫妻主催の<英語研究会>で妻となる女性に知り合ったというくらい縁が深い。
後に『丹下左膳』で怪物的人気作家となった林不忘だが(→作品目録)、その名義でのデビュー作が『釘抜藤吉捕物覚書』である。作者が気合を入れて人物や設定をつくっていたわりにはあまり受けず全十三編のみだが、『半七捕物帳』と後の捕物帳をつなぐ役割を果たすという。今回収録の三編のうちでは初登場の「のの字の刀痕」のみ既読。捕物帳でも松本泰作品よりもずっと探偵小説のつぼを押さえている。特に「怪談抜地獄」は発端の怪談が印象的でうまく解決に結びつく。
牧逸馬名義の「夜汽車」は、在米中の見聞に取材した創作。詐欺に遭った話。小品。
深見ヘンリイ「ものを言う血」は、法医学の知識を使って組み立てた探偵譚。たたみ掛けるような切れのよさ。ただその元になる知識がどこまで本物かは不明。
城昌幸は詩人城左門の小説家としての筆名。<探偵文藝>の「秘密結社脱走人に絡る話」でデビューし数多くの作品を残す(→作品目録)。
本書収録の二作は既読。
「秘密結社脱走人に絡る話」は表題そのまま秘密結社からの脱走者とそれを狙う暗殺者の駆引きを三幕描く。どちらも一般市民に紛れ込んでいるところが味噌で洒落た寓話になる。
「シャンプオオル氏事件の顛末」は南洋旅行中の挿話。謎は謎のままで終り不気味な感触を残す。
大佛次郎は『鞍馬天狗』であまりにも有名。松本恵子夫人の親戚で、これまた天文随筆で有名な兄の野尻抱影とともに松本夫妻の雑誌に関わった。
「台湾パナマ」は、銀座で見かけた不審な行動をする男を追いかけての冒険。優れた探偵は群集の中から事件の気配を察知する。
ひねりはないがなかなかスマート。
中野圭介は松本泰夫人恵子の筆名。恵子夫人は倫敦滞在中に松本泰と結婚。以後夫の創作活動と出版活動を支える。クリスティや『若草物語』『あしながおじさん』などの少女小説の翻訳でも知られる。探偵小説の創作はあと一編がアンソロジーで読める(→作品目録)。
「万年筆の由来」は、失恋して大きな菓子折を一つと高級万年筆を一本儲けた次第。軽妙な小品。
江戸川乱歩と甲賀三郎の<探偵文藝>登場は一作ずつ。どちらも既読。
江戸川乱歩「毒草」は、依頼を受け、”この先輩の雑誌には一度は書かなければと、儀礼の心から執筆した”一編。当時は堕胎が犯罪だった。だがこの語り手の畏れの気持ちはそれよりなお深いところから湧いてくる。
甲賀三郎「愛の為めに」では、赤ん坊を預けた母親が名乗り出ないという冒頭の謎。預かり手の困窮した夫妻が私立探偵に依頼するが、探偵はその理由を綿密に考える。本格もので人情話というのは作者には珍しいのでは。
本田緒生はこのシリーズでは既にお馴染みの名古屋在住の投稿家(→作品目録)。「謎」は、行き倒れ直前の浮浪人の脳裏に映った光景。怪奇ものの系統。
古畑種基は小酒井不木の親友の法医学者。「指紋」は、伯林留学時の思い出という体裁で、筆者が解決した事件を語る。
本当に実話かもしれない。
南幸夫「くらがり坂の怪」は<幻影城>での特集で既読。人魂が出るという怪異を合理的に説明しつつ最後で含みを持たせる。
福田辰男「偶然の功名」は、江戸っ子の刑事と関西弁の質屋の若旦那のコンビ探偵の活躍。ユーモアもの。
米田華舡「白蝋鬼事件」は、蒙古のチムルイ王府の王妃の毒殺事件に北京市の名探偵李福順が出馬する。これはかなりの力作。異国情緒と不可能犯罪トリックが無理なく結びつく。今まで埋もれていたのが不思議。他の作品を読んでみたくなる。
今回収録の随筆陣の中で他に著名人は今日泊亜蘭の父親で画家の水島爾保布がいる。
松本恵子夫人の父、伊藤一隆も長編の翻訳で参加し、資金援助もしたと推測される。一隆は札幌農学校一期生で実業家・社会活動家。一隆についてはストラングル・成田さんの考察が詳しい(
→こちら)。
なお<幻影城>No.21(1976.08)の<秘密探偵雑誌>&<探偵文芸>傑作選の内容は以下の通り。