ミステリー文学資料館編『「ぷろふいる」傑作選』

ミステリー文学資料館編『「ぷろふいる」傑作選』



 ミステリー文学資料館編の探偵雑誌アンソロジーの第一弾。
 <ぷろふいる>は、戦前の雑誌の中で<新青年>よりもなお専門的な探偵雑誌だったという。1933年5月創刊、1937年4月終刊、通巻48号。本拠地は京都・神戸だが東京にも支社を置いた。 井上良夫の評論が掲載されたことでも知られる。

 甲賀三郎「血液型殺人事件」は初読。珍しい上にわりと佳作では。
 帝大医学部の教授の相次ぐ変死の真相を全てを知る医学生が語る。 死んだ二人の教授の間には遥か昔からの因縁があった。そしてそれは語り手自身にも絡んでくる。科学にのめりこみながらもなおも深まる情念の渦。密室の物理的トリックはこの作者ならではのもの。

 角田喜久雄「蛇男」は、この作者の戦前の代表作の一つである怪奇短編。<ぷろふいる>での創作はこれ一つきり。蛇年の年頭に読み返すのも乙なもの。

 夢野久作「木魂」は、鉄道ものアンソロジーぐらいにしか取り上げられないが、私的に好きなものの一つ。主人公の意識の流れを読んでいて堪らなくやるせない気分になる。こうなるだろうと予想させる結末に向けて否応もなしにまっしぐら。ああ。

 海野十三「不思議なる空間断層」では、ある男が友人に自分の夢の話を語る。夢の中で最初は自分の不実な恋人を、続いては親友の奥方を誤って射殺してしまった。さらに夢の中で行われた裁判で予審判事が男に向かって述べた陳述。
 これは初読。十三にも久作を思わせるこういうキチガイめいた味の話の系列があるようだ。

 蒼井雄「狂燥曲殺人事件」は、作者のデビュー作。<幻影城>の<ぷろふいる>特集でも再録されていた。
 複雑な家族関係の家にて起こった一家の当主の死。首を刺された傷の深さにもかかわらず出血が殆どない不可解な状況。家族の誰もが怪しげに見える中、若き法医学者はさらなる悲劇を探り当てる。
 この犯罪の手法のうちアリバイトリックの方しか覚えていなかったが、毒殺トリックの方はおそらく世界初の新機軸では。ちょっと複雑過ぎて筋が通っているのかどうかも読みきれない。だが、作者の後の長編での活躍を予測させうる力作である。『船富家の惨劇』が有名だが、<ぷろふいる>にも『瀬戸内海の惨劇』を連載した(→作品目録)。

 西尾正「陳情書」は、作者の処女作だが、発表即発禁になるという不幸に見舞われた。
 場末の淫売宿で自分の妻そっくりの女を垣間見た男。生活にやつれ果てていた妻とは別人のように殊の外美しく装っていた。妻が不貞を働いていると思った男は、浮気相手とにらんだ男の周囲を見張る。そして逢瀬を尾行し、着飾った妻を追い詰め激しく殴打したが……。ドッペルゲンガーものの怪奇幻想短編。熱に浮かされたような書簡体が効果をあげている。
 この作者は戦前戦後にかけて怪奇短編ばかり二十数編を書いており、今も数編をアンソロジー等で読むことができる。結構独特の味わいがあり、記憶に残る作家である (→作品目録)。

 西嶋亮「鉄も銅も鉛もない国」は、おそらく中世ヨーロッパの架空の国を舞台とした寓話めいた話。隣国との戦争に敗れたその国の王城での怪異。王妃は毒気に当てられ昏倒し、片耳をそぎ取られた王の骸は蓮沼に沈められた。犯人とみなされた王妃は群集の前に引き出され処刑された。それから三十年後、ある老鍛工の述懐。
 ミステリーとしての体裁は整っていて佳作の部類。でも作者が何を言いたかったのがよくわからない。
 作者は特異な作風で注目されたが、<ぷろふいる>以外に執筆することはなかった。<幻影城>に処女作の密室ものが再録されている。(→作品目録)。

 大阪圭吉「花束の虫」は今回が初読。圭吉の短編は各種アンソロジーに必ずと言ってもいいくらい収録されるが(→作品目録)、まだまだ傑作がこうして埋もれているんだなと思うと嬉しくなる。
 劇団のオーナーが房総の別荘地の断崖から突き落とされて死亡した。その現場を遠くから目撃していた被害者の夫人と農夫は、犯人は小柄な男で激しい格闘の後あっさり被害者を崖下へ投げ落としたと言う。矛盾に満ちた犯人像。「白妖」や「闖入者」の大月弁護士が隠された企みを見抜く。お見事。

 酒井嘉七「両面競牡丹」もまたドッペルゲンガー奇談。初読。小唄と踊りの若師匠は、買い物に出かけた三宮の「でぱあと」で自分そっくりの娘に出くわし衝撃を受ける。それから数日後に弟子入りしてきた大家のご隠居さんはなんだかいわくありげだったが……。こちらは不可解な題材を合理的に解決している。お師匠の語りの文体がなんとも美しい。
 作者は四年足らずの作家生活で飛行機を素材とする航空もの、日本情緒あふれる長唄もの、神戸の貿易商社員としての日常から生まれた身辺ものの三系統、十編あまりの短編を書き残したという。<幻影城>No.33で特集が組まれており、アンソロジーと併せて数編が読める(→作品目録)。

 小栗虫太郎「絶景万国博覧会」も印象深い話。万国博という近代の明と江戸の遊郭の暗が鮮烈に対比される。今でもみなとみらいなどで観覧車を見るとこの話を思い出す。

 木々高太郎「就眠儀式」は大心地ものの初期短編の一つ。精神分析を題材にしたものを今読み返すととっても面白い。この手のものをもっと書いてくれて欲しかったとも思う。でも、それでは木々は大家になれなかったか。

 芦辺拓による解説も依頼された枚数の三倍を費やしたという力作。
 ちなみに<幻影城>No.7(1975.06)の<ぷろふいる>特集の内容は以下の通り。

 こちらも今見ると豪華な内容。1935年10月号から<ぷろふいる>の編集長だった九鬼紫郎直々の回想記が貴重である。
 1936年12月に<ぷろふいる>編集部を東京に移す。誌名も公募して<探偵倶楽部>と改め刷新するはずが、新雑誌は出ずにあえなく終刊となる。当時大きな版元だった春秋社が1936年11月から<探偵春秋>を発刊したのが脅威になり、また社の内部事情もあったらしい。
 その<探偵春秋>も<ぷろふいる>終刊後にすぐ休刊し、九鬼は<ぷろふいる>の息の根を止めるためだけに発刊したのかと慨嘆している。
 雑誌が潰れるときの話はいつも哀しい。


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