探偵趣味の会編のアンソロジーの四巻目。この巻は昭和3年(1928年)の年間傑作選。探偵趣味の会の台所事情が苦しくなったためにこれが最終巻となってしまった。
江戸川乱歩「悪夢(芋虫)」は、『陰獣』で復活した乱歩が送る問題作。須永中尉は戦争のため四肢を切断され口もきけず耳も聞こえなくなった。妻時子はそんな廃人とたった二人だけで暮らしていた。人間とも思えない夫に縛り付けられる窮屈さから、時子はいつしか夫を逆にいたぶるようにもなった。
二人だけの生活はそれが全世界であったが、やがてそれにも破局が訪れる。
廃中尉の遺書、「ユルス」の三文字は人間の悲しさをしみじみと感じさせる。
平林初之輔「動物園の一夜」は、食い詰めて文無しになり上野動物園で一夜を明かそうとした男の冒険譚。折しも潜伏していた秘密結社の首領の青年と関わりを持つ。
さほどたいした話ではないが舞台が動物園というのはなかなかよい。作者としては並のレベル
(→作品目録)。
橋本五郎「海竜館事件」は、辺鄙な田舎町の旅館に起こった騒ぎ。時期外れに二組の客が来たと思いきや、各々が主人に自分にこの旅館を売ってくれと掛け合う。それもせいぜい五、六千円の物件に一万、二万というとんでもない値付け。主人は長の逗留客の当麻青年に相談を持ち掛けるが。宝探しと思わせて人情話で落とす。初読。作者のものとしてはちょっと物足りない
(→作品目録)。
久山秀子「隼のお正月」では、隼一統はお秀の住まいの海浜ホテルでお屠蘇を回してから散会して初仕事に出かける。新年早々高山刑事に付け狙われるお秀だが、見事に鼻を明かす。
小品。初読。これで手軽に入手できるものは全部読んでしまった
(→作品目録)。
ちょっとさびしい。
城昌幸「運命の抛物線」は、つきに見放され最後の頼みの綱の元へ行こうとした男が目撃した光景。初読。魅せられる心理はわからないでもないが、落ちが丸見えでいただけない。ここでしか読めない珍しい話ではあるが(→作品目録)。
小酒井不木「見得ぬ顔」では、富豪山岸の殺害犯人として川村という主義者が起訴されたが、被告は予審の自白を否定して無実を訴えた。庄司弁護士はこの公判を熱心に傍聴していたが、見知らぬ女が尋ねてきて自分はこの事件の真犯人を知っていると語る。初読。この作者には珍しい裁判もの。人が人を裁く難しさがよく書けているが結末はちょっと外している。
甲賀三郎「樟脳の煙」は作者得意の二重三重のプロット。本所孤児院で相次いで起こった奇妙な事件。遂に殺人にまで発展したときそれは三木家の宝石盗難事件とつながった。殺人現場の第一発見者となり手柄を立てようと必死な巡査は
奇怪な手紙を受け取る。
初読。作者も作中の盗賊も、例によって鮮やかな手際である。
水谷準「夢男」では、作家の木島は銀座のカフェでひとりの青年と知り合う。青年は自由自在に夢を見るという特技を持ちしかもその詳細を夢日記に記録していた。木島は夢日記を預かりその内容に驚嘆するが、ある符合に気づかされる。
初読。割と面白く読めただけに結末はもう少しどうにかならなかったものか。うまく着地が決まれば作者の代表短編にも匹敵したであろうに
(→作品目録)。
大下宇陀児「盲地獄」では、盲目の男が姦夫を殺そうと策略を巡らす。自分が勘が鈍い振りをしつつ、密かに勘を研ぎ澄ます。綿密な計画、そして大胆な実行。だが、……。初読。
タイトルがこうであるせいもあってかなり不気味な雰囲気。でもきちんとした倒叙推理小説になっているので驚いた。
瀬下耽「古風な洋服」は、職場の友人が土曜日ごとに古風なモーニングを着ていづこかへ出かけていく不思議。打ち明けられた秘密は哀切極まりないものだったが、聞き手も無傷では済まない。作者が評価されているのは幻想味の強い短編においてだが、こういうものも悪くはない
(→作品目録)。
妹尾アキ夫「凍るアラベスク」では、美しい女教師が製氷所の事業主から突然呼び止められ愛の告白を受けるが、その直後に両者とも失踪を遂げる。初読。この趣向は乱歩よりもこちらの方が早かったのか。
作者は翻訳や書評が主な業績だが、1925年ころから創作も書き怪奇・幻想小説が多い
(→作品目録)。
角田喜久雄「ひなげし」では、浅草公園を歩いていて博徒の争いに巻き込まれた主人公は姐御と呼ばれた美女に救われる。幼き日の友人と面影が似た彼女の形見にひなげしの押し花一つ。だが、彼女の正体を悟ったときに愕然とする。奇妙な味というか何というか。
海野十三「電気風呂の怪死事件」は、電気風呂の男湯での感電騒ぎの最中に女湯で客が殺され、さらにその天井裏の隠し部屋で三助まで殺されていた事件。
本作が海野の<新青年>デビュー作だが、横溝正史によると文章は他人にすっかり書きなおされているはずだ。そのせいか猟奇性が強調されるが海野らしいすっとぼけた味がない。
横溝正史「劉夫人の腕環」では、「私」は神戸の民国人協会で「偵探判奇案」という出し物があるのを友人の泰にせがんで見に行く。一座の座頭の劉夫人は五匹の蛇がとぐろを巻く腕輪をしているのが目を引いたが。初読。たいした話ではないが、当時の神戸の国際都市ぶりが覗えるのが興味深い。
夢野久作「死後の恋」は、裏塩の町で日本の兵士が露西亜人のキチガイ紳士から聞かされた話。同僚の持つ宝石に目が眩んだ彼は恐るべき体験をする。
ロマノフ王朝の終焉はこんな場所でなされたという革命秘話。
夢野は1926年に「あやかしの鼓」が<新青年>の懸賞に入選してデビュー。このころはもう彼独自の作品をばんばん発表している。
山本禾太郎「小坂町事件」は、迷宮に入りかけた老夫婦殺しの事件調査報告書という形式。継続捜査の主任は老夫婦の娘と縁談が持ち上がった低脳の男に目をつけるが彼も仕事中に不慮の事故で死ぬ。その男が言い残した「青い火赤い火」は何を意味するか。初読。地味であるが堅実な印象。
作者は夢野と同じ1926年の<新青年>の懸賞に「窓」で入選。初期の頃は特に裁判記録や捜査記録形式の犯罪小説を得意とした
(→作品目録)。
全16編中既読が5編。この巻は大家のものでも初読のものが多くわくわくしながら読んだ。殆どのものが水準以上をクリアしているが、それでもさすがに乱歩「芋虫」と久作「死後の恋」に敵うものはない。
この全四巻のアンソロジーは日本探偵小説の第一の興隆期を知るためには最適の内容だった。春陽堂にしかできない好企画である。少々値段は張るが、好事家にはお勧め。