春陽文庫<探偵CLUB>
春陽文庫<探偵CLUB>
春陽文庫が廃刊するという噂を聞いた。旺文社文庫が消え去ったような道を辿るのだろうか。
<探偵CLUB>はそもそも春陽文庫65周年記念の企画だったわけだが、これが消えゆく前の最後の輝きとなってしまったのか。
【註】
春陽文庫は廃絶しません。春陽堂書店営業部の福田佐知子さんからメールをいただきました。
ご迷惑をかけた方々にお詫びいたします。 [1998.08.31]
春陽文庫は昭和6年の創刊。何が凄いといって、この<探偵CLUB>の殆どが名作再刊シリーズと角書きにあるように、かつての既刊書からの再刊であること。例外は、最後の2冊のみ。
昭和30年代生れの私には春陽文庫の栄光の歴史など窺い知るすべもない。横田順彌『日本SFこてん古典』には、「戦前の春陽堂文庫は、漱石、竜之介、藤村、ドストエフスキー、ツルゲーネフ、モーパッサンなんかの作品をそろえた、岩波文庫にも劣らない内容をもったきわめて格調高い文庫だった。」との一文があるが……(第43回『科学童話』という名のハチャハチャ)。大衆文化の面でも大きな足跡を印したのは間違いことであろう。
では、<探偵CLUB>全18巻の内容をばご紹介。
1.森下雨村『青斑猫』
元本は昭和11年。雨村は博文館の<新青年>の初代編集長であり、江戸川乱歩を見出した名伯楽。
自動車の中の死美人。追い詰められる二人の青年。発狂した老検事と彼らの因縁とは。事件の端緒は三十年前に遡る。令嬢と不良娘の活躍が根深い悪意の正体を暴いていく。
軽妙な快作。題名と内容に殆ど何の関連もないのがいかにも昔の探偵小説らしい。
2.小酒井不木『大雷雨夜の殺人』
『大雷雨夜の殺人』「愚人の毒」「メデューサの首」「人工心臓」「謎の咬傷」「烏を飼う女」「抱きつく瀕死者」「雪の夜の惨劇」「好色破邪顕正」
元本は昭和11年。初めてお目にかかった作品が多くて嬉しい。まあここで初読の話は作者の代表作から落ちること数段の出来だが。
表題作は不木のホームタウン名古屋を舞台にした中編。南洋帰りの記憶を失った男はなぜ殺されたか。
医学博士である作者の本領が出ているのがSF先駆作の「人工心臓」や毒殺ものの「愚人の毒」。そして「メデューサの首」では元医師が自分の犯した過ちを語り、「謎の咬傷」では世にも怪奇な凶器に犯人の情念がこもる。
3.甲賀三郎『妖魔の哄笑』
元本は昭和8年。これまた昔の探偵もの。戦前に乱歩と並び称された作者の面目躍如。
主人公は気弱な勤め人か、はたまた有能な田舎警部か。列車内での惨死体発見。長野、東京、大阪と舞台は広がる。バラバラ死体と悪漢一味。加えて黒眼鏡の女の暗躍。複雑極まるプロットにはらはらどきどき。悪漢の首領がいかにもという憎々しい怪人物なところもよい。
4.大下宇陀児『金色藻』
元本は昭和11年(初刊単行本が昭和9年新潮社)。
女優の家に窃盗に入った男が裁判中に法廷で射殺された。一方その女優もその日のうちに取り巻きの死体を残して失踪する。そして事件の鍵を握る怪紳士を追えば追うほど死人の山。
こうした派手派手しい筋立てでありながらも、主人公の新聞記者と悲惨な境遇の姉弟との共感とか子供同士の友情とかにも筆が費やされたりする。いかにも人情派と言われる作者らしい。
5.横溝正史『殺人暦』
『殺人暦』「三本の毛髪」「丹夫人の化粧台」「髑髏鬼」
元本は昭和7年。正史の博文館編集者時代の中短編集。
表題作は、5人の男女を付け狙う復讐鬼と義侠の怪盗との対決だが、結末が腰砕け。「丹夫人の化粧台」と「髑髏鬼」は凄味があってなかなかよかった。金田一耕助登場遥か以前の作ではあるが、正史らしい味わいは既に醸されている。
6.松本泰『清風荘事件』
「清風荘事件」「男爵夫人の貞操」「毒杯」「翠館事件」「赤行嚢の謎」「一羽墜ちた雁」「暴風雨に終った一日」「宝石の序曲」「謎の街」
元本は昭和8年。
これが出たときは凄いびっくりしたものです。作者は乱歩以前からの探偵作家。自ら<秘密探偵雑誌>なる専門誌を発行したこともある。探偵小説史に名前がはっきりと残っていたが、今までその創作を目にする機会はありませんでした。
でも、遂に読んでみての感想は……。これじゃあ残らなかったのも無理がないと痛感させられました。どうも作風がつかみどころがないというか、何が言いたいのというか。
本書は松本泰作品がまとまって出版された最後の一冊になることでしょう。
7.佐左木俊郎『恐怖城』
『恐怖城』「街頭の偽映鏡」「錯覚の拷問室」「猟奇の街」「或る嬰児殺しの動機」「仮装観桜会」
元本は昭和11年。佐左木俊郎は新潮社の社員として書下ろしの新作探偵小説全集(昭和7年)の編集を手掛け、自らも長編『狼群』で参加しながらも、完結間際に病によって三十二歳の若さで倒れた人物。その全集を初出とする主な作品としては、甲賀三郎『姿なき怪盗』、大下宇陀児『奇蹟の扉』、夢野久作『暗黒公使』などがあります。
この人も随分長いこと名前だけを知っていて作品に触れる機会がありませんでした。表題作等いかにもゴシック趣味といった作品名が載っていますが、中身は全然そんなことはなく、農民文学・プロレタリア文学に近い作風です。『恐怖城』は、北海道の開拓村を舞台の虐げられたものによる復讐劇。人間の哀しみを感じさせられはするがどうにも古臭い。他では「街頭の偽映鏡」の気違いめいた味がちょっといい。
8.水谷準『殺人狂想曲』
元本は昭和7年。水谷は、森下雨村、横溝正史、延原謙に継ぐ<新青年>第4代編集長であり、都会的で洗練されたメンズマガジンを演出した。探偵小説の実作では短編によいものが多い。
この巻の中編3編は、扇情的な大衆探偵小説。表題作はファントマの翻案。読めば面白いことは無茶苦茶面白いのだが。こういうものよりも水谷準の代表的短編がまとまった作品集が読みたかったな。
9.江戸川乱歩『恐怖王』
元本は昭和11年。大乱歩の巻にしては、何とも奇妙な選択。特に表題作『恐怖王』は乱歩先生の通俗長編のうちでも最低の最低レベルと言い切ってもいいだろう。せめて明智小五郎が出るやつを持ってくればいいのに。
乱歩を知ろうと思って、この本を初めて読んで、私にはよくわからないと悩んでいたれんさん。誠に災難でした。もっとよい本が他からいくらでも出ています。初心者の方は御用心ください。
10.城昌幸『死人に口なし』
「死人に口なし」「燭涙」「復活の霊液」「人花」「もう一つの裏路」「三行広告」「大いなる者の戯れ」「間接殺人」「操仕立因果仇討」「想像」「見知らぬ人」「二人の写真」「その暴風雨」「怪奇の創造」「都会の神秘」「神ぞ知食す」「夜の街」「切札」「殺人淫楽」「ジャマイカ氏の実験」「シャンプオール氏事件の顛末」「秘密を売られる人々」「七夜譚」「東方見聞」「薄暮」「妄想の囚虜」「鑑定料」「宝石」「月光」「晶杯」
元本は昭和11年。作者は城左門の筆名で詩人として知られ、城昌幸の名では<若さま侍捕物帳>などの時代小説も執筆。だが、探偵小説愛好家の記憶に最も残るのは、その珠玉のような短編の数々。星新一が城昌幸の作品に傾倒したところからショートショートという分野を切り開いていったのはよく知られた事実です。
この巻は、収録作の珍しさでも質の高さでも本シリーズ随一の短編集と言っていいでしょう。都会の闇の中で詩人が拾い集めてきた宝石の数々。鋭く抉り取られた人生の皮肉な一幕。堪能させられます。
11.夢野久作『超人鬚野博士』
『超人鬚野博士』「巡査辞職」「冥土行進曲」「近眼芸者と迷宮事件」
元本は昭和11年。この巻が一番売れたという噂です。表題作は角川文庫にも収録されなかったから、ちょっとは珍しかったかもしれない。でも今となってはちくま文庫の全集で容易に読めます。僕は最初はこの巻は買わないでおくつもりでした。
表題作『超人鬚野博士』は、久作の『ドグラ・マグラ』の次に有名な長編『犬神博士』と対になる作品。美貌の神童も異形の乞食もこの世に降臨した神の姿なのです。これを読んでなぜ犬神博士が犬を飼うのかようやく納得できました。
12.海野十三『赤外線男』
「盗まれた脳髄」「電気看板の神経」「幸運の黒子」「夜泣き鉄骨」「三角形の恐怖」「西湖の屍人」『赤外線男』
元本は昭和8年。表題作以外はすべて初読で、それが結構面白いので嬉しかった。
帆村荘六ものは、『赤外線男』に加え、「盗まれた脳髄」「西湖の屍人」の3編。「盗まれた脳髄」では不思議な病とSF犯罪に帆村が挑む。
「電気看板の神経」は奇怪なトリックと猟奇的な心理葛藤に独特の味わい。「三角形の恐怖」も人間心理を突いた犯罪を描き、余韻に謎を残したところもうまい。
13.浜尾四郎『博士邸の怪事件』
元本は昭和7年。作者は法律家にして子爵にして後の貴族院議員。
表題作は『殺人鬼』に先駆けた藤枝真太郎ものの長編ではあるのだが。不可解な情況設定はよいが、このトリックはちょっと勘弁してほしい。
「不幸な人達」は初読。小品ながら気が利いている。
14.角田喜久雄『下水道』
「蛇男」「ひなげし」「豆菊」「狼罠」「ペリカンを盗む」「浅草の犬」「三銃士」「発狂」「死体昇天」「密告者」「ダリヤ」「Q」『下水道』
元本は昭和11年。大正11年に十代でデビューし、平成6年に亡くなるまで長い作家人生を送った作者は、探偵小説でも時代小説でも春陽堂との縁が深かった。この巻はその初期の作品集。「蛇男」や「死体昇天」といった代表短編に加え、結構いいものが読めた。
表題作『下水道』のヒロインは、恋人の変死と死体消失に焦燥し、ある大雨の夜に憑かれたような情熱と共に下水道に身を投じる。地底に吸い込まれた彼女がそこで見たものとは。世界の軋みを感じさせられる。
さらに、角田喜久雄では、終戦直後に書かれた加賀美警部ものの短編が絶品だと言い添えておきます。
15.小栗虫太郎『完全犯罪』
『完全犯罪』「W・B会綺譚」「夢殿殺人事件」「コント(A)」「聖アレキセイ寺院」「コント(B)」「後光殺人事件」「寿命帳」「失楽園殺人事件」
元本は昭和11年。
鬼才のデビュー作『完全犯罪』はやっぱり弩迫力。さらに法水麟太郎ものの短編が4本まとまっている。これはこれは読みごたえがあり過ぎる。
「W・B会綺譚」は、とってもばかばかしかった。初読の「寿命帳」は異形の復讐譚だが残念ながら未完。
一冊で『黒死館殺人事件』以外の虫太郎を知ろうとするにはこの巻はまあまあの選択でしょうか。
16.木々高太郎『網膜脈視症』
「網膜脈視症」「就眠儀式」「妄想の原理」「ねむり妻」「胆嚢(改訂)」
元本は昭和11年。大脳生理学者である著者の初期短編集。医学趣味が強い。
「網膜脈視症」や「就眠儀式」では精神分析を用いて、大心池先生は事件関係者の心を読む。今回初読の「妄想の原理」と併せて、3編に登場。
「ねむり妻」は「睡り人形」(創元推理文庫『日本探偵小説全集第7巻/木々高太郎集』収録)の別バージョン。変態愛欲ものでありながら感動的。
17.江戸川乱歩『蠢く触手』
最後の2巻は、春陽堂以外からの出典。本作は佐左木俊郎の項で述べた新潮社の新作探偵小説全集(昭和7年)の江戸川乱歩の巻。乱歩はどうしても書くことができず、この巻は岡戸武平による代作と相成った。
岡戸武平は、新聞記者出身で、小酒井不木の秘書を務め没後にその全集発行に貢献。本作の執筆時には博文館の編集者だった。
読んでみれば、あまり乱歩という感じではない。特ダネ記事を抜こうとする新聞社間の争いに猟奇犯罪が絡む。人形、映画、バラバラ殺人と乱歩好みのネタではあるが。途中の死体玩弄場面がいかにも怪作「五体の積木」で名を残した作者らしい趣味の悪さ。
中身は何であれ、名前しか知らなかった作品が読めるようになったのはとっても嬉しいことであります。
18.江戸川乱歩・横溝正史『覆面の佳人』
今回初の単行本化の本作は、昭和4年、乱歩正史合作の新聞連載長編。実際は正史単独による執筆のようだが、これが無性に面白い。黒岩涙香以来の翻案小説の形を借りて、フランス巴里を舞台に子爵成瀬珊瑚、令嬢春日花子、女優綾小路浪子ら日本人名前の登場人物が大活躍する。波乱万丈。怪絶奇絶。謎の殺人鬼の正体の意外性も迫力充分。こんなに面白い物語を読んだのは本当に久々です。
<探偵CLUB>の、そして春陽文庫の、掉尾を飾るに相応しい傑作。
名作再刊シリーズ
探偵小説傑作選<探偵CLUB>
春陽文庫(春陽堂書店) 1995.01.25〜1997.10.10
執筆 [1998.02.20]
初出 <霧笛>27号[1998.03.15]
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