辻真先『悪魔は天使である』

辻真先『悪魔は天使である』



 私にとっては因縁の作家である辻真先。その東京創元社からのハードカバー書下ろしは『犯人』『世紀の殺人』に続く三冊目。

 
江戸川乱歩を思わせる探偵小説の伝説的大家、天城俊策とその一家が太平洋戦争下の名古屋で遭遇した事件。
 天城俊策は探偵小説とも怪奇小説ともつかぬ日本に稀な作風で、彗星のように現れて探偵文壇の寵児と化した。昼なお暗い土蔵の中でペンを運ぶという噂など数々の伝説にも彩られた。
 ところが昭和十八年、天城の旧作は内閣情報局により全て絶版処分を受け、新たな作品の掲載も禁止された。糧道を絶たれた天城家の一家四人、俊策と嫁の明子、孫の佳樹と小夜子は名古屋に移住する。 佳樹と小夜子は隣家の娘の速水瑠璃子や、佳樹の親友の復員した隻腕の刑事五百村洋と戦時下の青春を送ることになる。
 発表の場を絶たれた天城俊策だが、今の世だからこそ書くべき新たな長編の構想を立てる。この時代の日本だからこそ成立する探偵小説でそれが書かれることにより小説から現実世界への復讐がなされるものだという。俊策は天城ファンである五百村にどんな構想だか当ててみろと挑戦する。
 一方、俊策は元新聞社論説委員の旧友丹波勝利が名古屋で帝国議会の選挙に立候補することになり反体制的な立場の彼の応援を買って出た。作品を発表していないとはいえ天城俊策の大衆的な人気は今なお物凄いものがあり、脅威を感じた政府寄りの対抗陣営はさまざまな卑劣な手段に出る。俊策の作風を逆手に取った猟奇的な内容のビラまで撒かれたが……。

 名古屋という街は乱歩が四歳から十八歳まで暮らした場所であるが、それよりも辻真先にとっての郷里という印象が強い。『急行エトロフ殺人事件』などでも戦前の名古屋への愛着は語られた。そんな背景で懸命に生きる若者たちがいつしかいとおしくなり、後半に殺人事件が起こるとかなりつらく思える。戦災や震災に紛れて事件が起こったり容疑者に赤紙が来て出征してうやむやになってしまったり事件解明には困難も多い。
 天城俊策は乱歩をモデルとしていても重ならない部分が多く、単に借景という感じもあったが、それでも真相が明らかになると乱歩も扱ったとある仕掛けに落ち着くという趣向になっている。乱歩的な探偵小説の異常さと作者の青春ミステリーの資質がいま一つ絡み合っていない嫌いはある。だが、この時代だからこの状況だから起こり得た犯罪という狙いはある程度は果たされたように思う。傑作とまでは言えないが、充分に面白かった。

 ところで、私が高校時代に出会い耽溺した作家が江戸川乱歩と、誰あろうこの辻真先であった。まだ、ソノラマ文庫にしか書いていないころに『仮題・中学殺人事件』『盗作・高校殺人事件』『改訂・受験殺人事件』の三冊を読んで乱歩とはまた違った意味で驚愕した。
 辻真先が大人向けのミステリーを書き出し、推理作家協会賞を取り、次第にメジャーになっていく過程を見守った。そして1980年代の新書戦争に巻き込まれ作品の質をどんどん落としていくのも。辻作品により本格を見る目を養われたのに、その基準からどうにも評価しようがない場所に作者が転落していくのを目の当たりにする辛さ。
 本書の後書きにNET書評についてこんなことが書いてある。「しばしば惨憺たる批評を目にします。「腐った」「死んだ」「殺された」「合掌」(これはうまい!)エトセトラ。生前葬をやってもらった気分になっております。せっかくだから香典おくれ。」
 私の頁も見てくださったのかもしれない。確かにこの手の台詞が全部書いてあったような。
 NETが1980年代にもあればあんな狂乱の時代でもなんとか作者にファンとしての思いを伝えられたのではないかと夢想してしまった。また現在、作者がこの作ぐらいのレベルを保って新しい試みをしているようなら、元ファンとしてはまた見守り、応援していきたいとも思った。

 初期三部作と『天使の殺人』『ピーター・パンの殺人』が近々創元推理文庫に入るそうだが、これらは文句なしの傑作なので多くの人に読んでほしいと思う。


→冒頭
→辻真先目次
→読書日記
→表紙