角田喜久雄『底無沼』

角田喜久雄『底無沼』



 最近刊行された短編集。1922年のデビューから1960年代に筆を置くに至るまで、著者の長い作家生活から選りすぐった作品ばかり。必然的に傑作と言われるものは既に他で読んでしまっているので、初読は五編のみ。

 先ずは初期作。
 「あかはぎの拇指紋」は、ある狂人の遺書が語る慈善家の死の真相。凶器の短刀に残された血染の指紋は兇盗あかはぎのものだった。だが、しかし。意外な結末で落とす掌編。

 「底無沼」は、たった二人の人物の対話のみで綴られる恐怖劇。降りつづける雨を背景音に緊迫は徐々に高まる。一転した破局には肝が冷えるものがある。短い枚数を生かし切った秀作。

 「恐水病患者」は、自分が狂犬に噛まれて発病まで間もないと悟った男が、自ら死刑になるために犯した犯罪譚。だがうまくやりすぎたために警察も裁判所も自分を疑ってくれない。裁判長宛てに思いを訴える投書をした男。だが皮肉な運命が。同じような話が
ノックスにあって乱歩が紹介していたが、なんと角田の方が早い。

 「秋の亡霊」では、主人公は大井町の製菓工場の大煙突に突き落とされた死体の新聞記事に驚く。それは六年前の同じ季節に自殺した従兄と同じ死に方だった。ニュース写真の「秋の女」に手掛りを見つけた彼は、大井町に引き寄せられまたもや煙突に飛び込む男を目撃する。残された遺書のキチガイじみた味がいい。

 「下水道」の冒頭で、女主人公は大雨のさなか下水道に自ら身を投げて地下に吸い込まれる。彼女にそんな行動を取らせたのは彼女の恋人が殺されその死体が消失した不可解な事件にあった。地底の人外境で彼女はある邂逅を遂げる。 春陽文庫<探偵CLUB>の表題作にもなっているが、それで読んだときまだこんな凄いのが未読で残っていたのかと非常に驚いた。一応は謎解きミステリにもなっているが、そんなものをすべて投げやる破壊力がある異形の一編。

 「蛇男」は怪奇短編。アパートの隣の部屋に住みついた「何か」の気配を男は感じる。やがて起こった悪夢のような出来事。果たしてどこまでが現実でどこまでが妄想だったのか。戦前によくこんな話が書かれていたものだと感嘆せざるを得ない。

 これ以降は戦後の作。
 「恐ろしき貞女」の女主人公美沙子は、不幸な空想に耽りそれを無常の喜びとする少女だった。姉高子の不慮の死に対してもその空想を広げ、周りの男どもを翻弄していく。夢野久作「少女地獄」の姫草ユリ子の眷族はこんなところにもいた。

 「沼垂の女」は、作者が終戦の年に新潟に近い沼垂に行ったときのことを、決して二度とは行くまいと思いつつ振り返る。雨宿りにと誘われた女の家で聞かされたこと。戦後の混乱期の一場面を切り取った佳作。アンソロジーに収録された回数が極めて多い。

 「悪魔のような女」で、田崎神父は胸を病んだ石狩波枝という女に頼まれ懺悔を聞きに行く。彼女の告白したのは、不思議な情熱に取りつかれ二人の男女を死に追いやった顛末。その信憑性を疑う神父に波枝はあることを告げるが。異常な心理の描写が熱に浮かされたような凄みをもたらす。

 「四つの殺人」では、辻本家に田舎から奉公に来たとし子は、生来魯鈍なたちで夫妻からいつも愚図、馬鹿と怒鳴りつけられていた。そんな中で三つになる男の子と、奥さんの弟の盲目の青年はとし子にやさしかった。だが、とし子が悪いわけでもないのに辻本家に不幸が相次ぐ。そして。 無垢の純粋さ悲しさと訳知りの大人の汚さを鮮やかに対比させる。

 「笛吹けば人が死ぬ」で夕刊新東洋の記者明石良輔と岡田警部は三井絵奈という少女と出会う。彼女の義兄を探す二人に絵奈は「笛を吹くと人が死ぬよ」と言う。やがて彼らの目の前で事件は起こった。ある完全犯罪を描いた探偵作家クラブ受賞短編。

 「顔のない裸」では、主人公の青年が会ったこともない叔父の死を知らされる。戦中に南方で傷を負い、復員してきても身内と連絡を取ろうともしなかった叔父は意外な財産を隠し持っていた。いったい何故。死者の過去を探るうちに辿りついた真相には戦争の陰が重くのしかかる。

 「年輪」では、テレビの座談会「古い浅草を語る」の司会をした記者のもとに吉原大火のことを聞きに女子大生が訪れる。なぜそんなものに興味を持つのかと不審に思いながらも記者は彼女を自分の七十六になる伯母に引き合わせる。大火の火元となった吉原遊郭は心中した棟梁一家の恨みをかっていたという。 六十年に渡ろうとする秘密はどういう形で決着するのか。 しみじみ味わい深い好編。

 角田の作品には本当に外れがない。端正なものは極めて端正だし、変なものだって久作虫太郎に劣らぬものを書いている。器用過ぎる嫌いがあるのか。
 本書の刊行が今後の再評価につながることを祈ります。


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