渡辺剣次編『13の暗号』

渡辺剣次編『13の暗号』



 とっておきを読んでみる。1970年代に編まれたテーマ別アンソロジー、13シリーズの一冊。密室、暗号、凶器、続・密室とあるが、入門書として適切な上に今でも珍しい作品が取り上げられており絶妙の編集である (→こちら)。

 江戸川乱歩「二銭銅貨」が最初の収録作。言わずと知れた乱歩のデビュー作。日本の探偵小説の歴史はここから始まった。 一枚の二銭銅貨が練り薬の容器のように捩れて開いて、その中から出てきたのは「南無阿弥陀仏」の六文字を複雑に繰り返した暗号文。 高等遊民である主人公はそれを五万円を奪った紳士強盗が仲間に送ったものだと考えて、その隠し場所を解く。 意外な結末に至るまで間然するところがない名編。 暗号自体が世界的な水準で見ても高レベル。ただ裏の意味が導ける手がかりがもっとあってもよかったかも。

 甲賀三郎「アラディンのランプ」は悪徳弁護士手塚竜太ものの一編でちょっと珍しいもの。 金庫破りの名人を自認する男は、手塚の罠にかかって脅迫されて、焼け落ちた屋敷の地下にある厳重な金庫を破らさせられる。 初読。 奇妙な状況がアラビアンナイトみたいだが、筋が割れると納得がいく。 出てくる暗号は窓板式の初歩的なもの。
 手塚竜太ものは国書刊行会の『緑色の犯罪』(1994)で「ニウルンベルクの名画」と「緑色の犯罪」が読める (→作品目録)。

 水谷準「司馬家崩壊」では、付近一帯の大地主が六十歳の誕生日の夜に誰にも見届けられず不思議な死を遂げる。 憎みあう二人の甥がお互いに足を引っ張ろうとしたがために、それが病死ではないことが明らかになった。 ところが主治医は地主が死の直前に飲み込んでいた黄金の玉に着目するよう主張する。 再読。奇妙な遺書がかなり強い印象を残す。作者の虚無的な死生観が前面に出た一種の到達点とも言うべき作品である。
 水谷の作品はちくま文庫の『怪奇探偵小説名作選3 水谷準集 お・それ・みを』(2002)によって多くのものが読めるようになった (→作品目録)。

 海野十三「獏鸚」は帆村壮六ものの一編。 帆村が入手した密書に書かれていたのがこの「獏鸚」という言葉。これは一体何を意味するのか。帆村は上半身が獏、下半身が鸚鵡の珍獣の絵まで描いて頭を悩ませる。 初読。 水谷準<新青年>編集長が次号予告で奇妙な語感となるよう付けた仮題に、海野はそれに見合う内容を書いたのだそうだ。何ともユーモラス。 暗号小説としては面白いところに目をつけたと思うのだが、処理があまりスマートでないような。
 同じシリーズの『13の凶器』に収録された「点眼器殺人事件」がバカミスの極致みたいに言われてブレイクしてしまったが、こちらだってかなりのもの (→作品目録)。

 大阪圭吉「闖入者」は、暗号ものというよりダイイング・メッセージもの。別荘に到着したばかりの画家が頭を打って死んだ。残されたのはちょうど描きかけていた富士山の風景画が一枚。ところが画家がいた部屋からは富士山は見えはしない。見える部屋にいた画家の妻は夫が同じ部屋にはいなかったと主張する。 この謎を大月弁護士が解き明かす。 再読。何というか驚くべき解決ではあるのだが、これではミステリー的な感興は乏しい。
 大阪圭吉の作品のかなりのものが創元推理文庫の『とむらい機関車』『銀座幽霊』(2001)にまとめられた (→作品目録)。

 木々高太郎「虫文字」は極短い掌編。大洋丸に乗って日本に向かっている夫が妊娠している妻に送った電報は誤植だらけだった。待ちわびる妻を他所に大洋丸では奇怪な事件が起こっていた。 志賀博士登場。初読。暗号ものとして大したことはないが、短い中でも人の思いを感じさせてしんみり来る。
 作品の多い著者であるが、この作品は朝日新聞社版全集にも収録されておらず、ここでしか読めない (→作品目録)。

 岩田賛「風車」では、宝くじを当てた父親がそれを寄付するか使うかを賭けて子供たちと知恵の勝負をする。父親は娘の婚約者が娘に押されっぱなしで物足らない思いをしていたが。 初読。暗号は作りすぎ。ホームドラマ風でほのぼのはする。
 岩田の作品はアンソロジーでそこそこ読める (→作品目録)。

 九鬼紫郎「暗号海を渡る」では、古道具屋で骨董ものの書棚を買った男がその中に一冊のノートを発見した。そこにはある不幸な女性の思いが連綿とつづられていた。 戦地から託された糸が括り付けられた穴の開いた缶の蓋。これこそが今は亡き恋人が彼女に巨万の財宝の在りかを示すために残したもののはずだった。 初読。 暗号はちょっと複雑だが古代ギリシアで用いられたものだという。 読むものをぐいぐい惹きつけて洒落た結末に持っていく。
 この作は九鬼のものでは面白い方。アンソロジーにもそんなには収録されていない (→作品目録)。

 仁木悦子「粘土の犬」は、暗号ものでもダイイング・メッセージでもない、他に類例が思いつかない異色の作品である。 男は金のために冷酷に恋人を絞め殺す。その現場には女の連れ子である盲目の子供が居合わせて偶然にもその手が男に触れた。 事件は迷宮入りしてそれから四年後、男はたまたま盲学校の生徒がつくった作品展を見に行くがそこに少年の作品も展示されていた。それは異形のものに押し潰される粘土の犬だった。 再読。 作者のものはあまり読んでいないけれど、これは異様なまでに迫力がある突き抜けた傑作である。

 火野葦平「詫び証文」は”江戸川乱歩さん。すみません。”と小説が書けない謝罪で始まる。腰が抜けて寝込んでいる筆者を慰めたのは甥が持ってきた十三編の小説だった。これを元に筆者と甥はある賭けをする。 再読。いかにも作り事、という話であまり好きになれない。
 作者は「糞尿譚」で芥川賞を受け『麦と兵隊』でベストセラー作家になった。本作は作中にある通り<宝石>の編集を引き受けた乱歩の依頼によって書かれたもの。怪奇幻想系の作品がわりとアンソロジーに収録されるが、私の好きなのは「亡霊の言葉」。

 佐野洋「三億円犯人の挑戦」は、乱歩「二銭銅貨」の書き出し”あの泥棒が羨ましい”を意識して始まる。主人公の週刊誌編集者は他のパトロンがいる愛人から借金をつくって男としての鬱屈を抱えていた。そんなとき三億円事件についての特集記事を続けていた編集部に競馬の出走表を使った暗号が届く。三億円事件の犯人も競馬ファンではないかと言われていた。 これは本物の犯人が送ってきた挑戦状ではないのか。編集部は色めき立ったが……。 初読。何とも辛辣な落ちでさすがにうまい。「二銭銅貨」に対するオマージュとしても気が利いている。

 幾瀬勝彬「紙魚の罠」も乱歩を意識している。旧友のうちに遊びに来た国文学専攻の助手は、天井裏に隠されていた古文書を見せられる。どう読んでも意味が取れない文字の羅列は暗号としか思えない。これはひょっとして埋蔵金の在りかを示すものではないのか。 初読。 登場人物たちの人生においては何とも重苦しい事件。 乱歩の名前が一度でも出てくれば乱歩小説と言えたのに微妙なところ。惜しい。

 鮎川哲也「砂の時計」は、読者への挑戦が入ったダイイング・メッセージもの。人気バンドのテノール歌手が殺され、死体は砂時計を握り締めていた。現場に居合わせた推理作家はそれから幾種類もの解釈を引き出して見せるが……。 初読。作者らしい機知にとんだちょっと小味な短編。

 刊行後三十年近く立ったが、これでしか読めない作品も多い今でも貴重なアンソロジーである。 戦前作家から始まり当時の最新作まで網羅されているのはバランスがいい。途中から乱歩に対するオマージュ集みたいな編集になっていて編者の敬愛の念が伺える。

 これを読んだので試しにNETで検索してみたら未入手だった『13の凶器』を見つけて注文することができた。嬉しい。


→冒頭
→渡辺剣次目次
→読書日記
→表紙