先日めでたく百歳を迎えられた著者の短編集。
渡辺啓助の作品集は今も『聖悪魔』(国書刊行会:1992)と『クムラン洞窟』(出版芸術社:1993)が現役である(→作品目録)。この三冊の内容は殆ど重ならならず、それぞれ収録作に特徴がある。『聖悪魔』は<薔薇と悪魔の詩人>と評された初期作を中心に据えるが、戦後の作も一部収録。『クムラン洞窟』は1960年頃に発表された秘境小説。今回の『ネメクモア』は今まで殆ど触れられなかった戦争直前から戦後の作品で構成されている。
渡辺啓助は<新青年>作家としての印象が強く、例えばアンソロジー収録作でも二十作中の半数の十作が1929年の処女作「偽眼のマドンナ」から1937年までの作品で占める。人気俳優岡田時彦の名義で発表された処女作。そして弟温の死亡後に水谷準編集長に発破を掛けられて執筆した一連の作品。このころの作風はやはりインパクトがあり代表作とされるのもこの時期の作品である。
だが、渡辺啓助は何と言っても百歳、現役最長老の探偵作家である。七十年以上の作家生活の中で当然作風の変遷もある。十年にも満たない初期作だけで渡辺啓助を語ることに異議を唱えたのがこの『ネメクモア』の編集方針である。
「深夜の獣魂病者」はまだ初期作に近い味。獣魂病とは突如けだものが取り憑いたように暴れ出す発作を起こす病気。映画を題材にしての男と女の駆け引きが深夜の殺人を呼ぶ。
「オルドスの鷹」と「西北撮影隊」はともに直木賞候補作となりながらも長らく入手困難であった作。従軍記者としての取材の成果だが、その国策小説的な面が影響したのだろう。今読むとモンゴルで畜産や農業を指導する日本人への無条件な礼賛などはやはり違和感がある。だが、前者はオルドスの乾いた風土の中での姉と弟の対決が強い印象を与えるし、後者は共産軍指揮下の女学生たちには作品の表面的なメッセージを超えた華やぎがある。
「魔女物語」が戦後作の原点になったという。死を目前にした伯父は三十五年間開かなかった風呂敷包みを語り手に託す。それは伯父を振った相手から預かったものだという。恋愛事件の回想、湖上の美人の思い出はあまりにも瑞々しい。伯父の死後に包みを開けた語り手は消えた女の真情を知る。男と女の思いのすれ違いはここまで極まるものなのか。
「空飛ぶエプロン」は、空襲の爆風の後に舞い降りてきたエプロンの中から出た手紙についての空想。語り手の女友達は決して守られることのない逢い引きの約束の返事を投函するが。明るい雰囲気の小品。
「ミイラつき貸家」は、表題通り埃及学博士の死後にその遺族により出された貸間の広告。主人公はその広告に釣られ家を見に行き、アカシアの樹に登った少女に出会う。差し出された裸足の肉感。結末で全く対照的なミイラと対比されることになり、初期作のような鮮烈な味わいを残す。
「山猫来たり住む」で、男は隣に越してきた女に山猫という仇名をつける。薄い壁越しに気配は感じても実際に会うことのできない相手に好奇心はそそられる。強引に押し入った部屋で彼が見つけたのは一枚のヌード写真。日常からの逸脱が意外なハッピーエンドにつながる。
「モンゴル怪猫伝」は、群馬県の地方都市の事件。駅前の中華料理屋の看板娘は大陸から引き上げてきた彼女を追ってきたというモンゴル猫を大切にしていた。一方、ドサまわりの劇団が演じるエロ味がかった化け猫ショーの大当たりが続いた。ところが化け猫の着ぐるみを着た役者が本番中に射殺されるという事件が起こった。女の魔性が猫の魔性と渾然とする。
「聖ジョン学院の悪魔」で、主人公の男子学生は遠目に憧れる女生徒の周りの陰に感づく。今は空家である神学博士の屋敷に謎を解く鍵を求めて忍び込んだが。「聖悪魔」の聖と悪との二面性にまたも立ちかえった。
「背なかの愛情」で、バラックで暮らす男は隣に住むはずの女の存在を彼女がベニヤ板の壁にもたれかかったときのふくらみで感じ取った。乱歩「人間椅子」の系譜を引く触感恋愛小説。
「黒衣マリ」のヒロインは盲目の女性。アルバイトで彼女の話相手になった男は彼女の言うままにパチンコ店まで付き添ってついにはお払い箱になった。家から一人抜け出してパチンコ台に向かうマリ。一方、店の経営者に談判していた男は思わぬ事件を引き起こす。女の真っ直ぐな意志は周囲を引きずり込む。
「水着ひらめく」で、駅の行列でトランクを頼まれた男は預け主の女が現れないという不可解な目に合う。ろくに目もくれなかった女のことを考えつづけた男は次第にその女に引かれていくが、残されたトランクの中からピストルを発見する。手掛かりを追ってとある旅館に辿りついた男はある対面を果たす。女の何気ない一言が男に与えた衝撃。日常に引き戻された男は女を心中に巻き込むのを避けようとする。忘れがたい一編。
「キュラオソの首」とは、宣教師の乾し首のこと。不気味なその品が男女間の恋愛遊戯の小道具にされる。悪趣味でもあるが、生きている男女の業の方がなお深い。
「女レスリング奇譚」はSF仕立て。主人公の月賦屋は、国民の貧困も構わずに月旅行をぶち上げた首相を暗殺することを決意する。女レスリングを見物する首相を付け狙うが。熱に浮かされたような結末。
「もとすり横町の洋裁店」は三人の若い娘が開いた店。その店に暗雲が襲う。だがそれを最終的に振り払ったのは屋上の物干し台にへんぽんと翻る洗濯物であった。
「腹話術師の恋」で、不眠症気味の語り手は深夜自分の住むアパートのいさかいに耳を澄ます。隣合せの部屋に住み同じ製薬会社に務める研究員と宣伝マンの腹話術師は仲が悪かった。特に腹話術師が研究員の妻をモデルにしたとおぼしき人形を操るに及んでは。やがて起こった惨劇。だが語り手の意識の中では全てがぼんやりとする。人間と人形の境目もまた。
「寝衣(ネグリジェ)」で、通勤途中で見かけて恋した女が偶然に隣家に住んでいることを知った男は幻灯機仕掛けで彼女の生活を盗み見る。つつましかった彼女の寝間着が浴衣からネグリジェになったのを見た男は恋人の存在を感じとる。やはりいきなり飼い出してすぐに死んで埋葬されたカナリアにはどんな意味が。男はある結論に至り愕然とする。
「吸血鬼一泊」は、桃源社『地獄横丁』(1975)の解説で中田耕治が収録もされていない本編を逐一引用しそれへの思いを切々と語り、国書刊行会『聖悪魔』では収録作の掉尾を飾った。イタリア観光中に水害によるホテル難のために若い女性と一夜の部屋をともにすることになった老教授の戸惑いと静かな喜び。
間違いなく作者の到達点の一つである。
「消しゴムお蝶」は幼い日の恋の思い出。消しゴムをくれた蝶子は作者の転地療養中に転校し別れ別れになった。身辺の整理をしてその消しゴムが昔ながらの色つやで出てきたときの驚き。「僕は、哀しさのあまり、それにチーズでも、のッけて喰べてしまうかと思ったくらいだ。」最後の一文にこもる万感。
装丁に負けず中身も読ませる本であった。
なお、タイトルの『ネメクモア』とは啓助のとある作品の一節から取った「私だけを愛して」という意味のフランス語だそうだ。
版元では重版しない方針だそうなので、入手したい方はお早めに。