本巻は怪奇篇だが、怪奇小説・怪談とSFをまとめ、さらに九巻目の少年篇、十巻目の補遺篇に収まりきらなかったものも収録されている。
怪奇小説には案外と読み残しが多かった。
「蜃気楼」では、赤ん坊を火事の中に置き忘れて亡くし罪悪感に駆られる男が友人に連れられ蜃気楼が見えるという北国の温泉に気分転換に行く。そこで友人に聞かされたのはなお陰鬱な話であった。
小品というような長さでありながら作者らしい大仕掛けが無造作に使われているのが贅沢の極み。
「人間華」は妻の死に瀕して医師である夫が愛の形を残そうとしてとった行動。
なぜか命が燃え尽きそうな妻を横目に夫は冬虫夏草など異様な植物の研究をしていた。
その努力はぎりぎりで実を結ぶのか。友人の医師が立ち会うのはなんとも凄まじく幻想的な最期。
作者は人間の愛はその人間が生きているときだけに通用する現象だと説く。
そうすると死に対峙しての行動は果敢ないものであっても、そのあがき自体が生きるということなのかもしれない。
「手相」ではカフェのヴァイオリン弾きの少年が恋人である踊り子の少女の母親に初めて会うことになる。母親は手相見であり少年の将来に不吉な予言をする。仲を裂かれるかと思ったときに少年はある決意をするが……。
不気味な雰囲気。運命は変えられるか否かがテーマ。少年少女が主人公だからこういう結末になったが、そうでなければどうなったかわからない。
「雪女」は地方の旧家に伝わる雪女の伝説とそれを描いた絵にまつわる話。それを見る者は目が潰れるとの詞書がついて厳重に封印されていた絵を
寄宿していた日本画家が一瞬だけ垣間見て異様な行動をとるようになる。
デビュー作「達磨峠の事件」とともに<宝石>の新人賞募集に投稿され江戸川乱歩の高い評価を得たが、単行本収録まで活字にならなかった作品だという。
あまりにも普通すぎたデビュー作と比べたら、乱歩的な異常心理と特異な医学現象を扱った本作の方が後の風太郎をよく予告している。
「笑う道化師」の舞台は地方回りの曲馬団。空中ブランコの軽業師の三角関係が殺人までに発展する。笑い茸の中毒から危ういところで回復した男は今度は笑いの発作を異様に怖れるようになる。
空中ブランコの実演中での命のやり取りが緊迫し、そのきっかけとなったあるものとの落差がまた凄い。
「永劫回帰」の語り手は異様な情熱に捉われ心身の変調を感じる。
ふらふらと旅に出てある光景に出くわしたときにそれは最高潮に達する。
非常にスケールが大きく神話的。海外の異色作家系の短編にありそうだ。
「まぼろし令嬢」では色好みの実業家にその娘が命懸けの諌言をする。だが、そのとき娘は既に死んでいたとしか思えない奇怪な状況。
医学的トリックはともかく、令嬢の思いを考えると暗然とする。
「うんこ殺人」は、タイトルのインパクトが凄い。アンチ・ミステリもしくはウンチ・ミステリの竹本健治『ウロボロスの基礎論』で取り上げられたこともある。
内容は「いなか、の、じけん」風の珍事をダンテの『神曲』の地獄巡りでさばいたもの。
ちょっと悪趣味。
「万太郎の耳」では、若い実業家が愛する娘に自分の成功の秘密を打ち明ける。彼は世界のあらゆることを音楽として聞き分ける特異な耳を持っていたのだ。彼の耳の前にはどんな老練な商売人も手の内をさらしたのと同然で、また女性の愛がどれだけ純粋かも判断できるというのだ。
全く無駄がない完璧な短編。強力な武器であるものが意外な弱点を持って破滅へつながる怖さ。
「双頭の人」の青年医師は美しい婚約者を持ちながらも醜い女医の知性の光に惹かれていく。彼が女医に幻のように美しい女性の面影を感じ取るのはなぜか。
あまりにも皮肉でなおかつ直截的。
「呪恋の女」では、ある青年の持つ暗い秘密に恋人の女性が肉薄する。青年がどんなときでも七時までに帰宅しようと急ぐ理由。
青年の家にいつの間にかにいるらしい怪しい老人と淫蕩な美女は何者なのか。
これも医学ネタ。初期の作品のうち、ミステリー系統のものはよく練られているのに怪談系統で特に医学ネタのものは素材をそのまま投げ出しているものが多いようにも思える。
「畸形国」で、美しい女優の宝珠富貴子は醜いせむしの富豪を夫としていた。その広壮な屋敷には大勢の片輪や不具者が使用人として雇われていた。富貴子は守銭奴の夫が何事かに大金を投じているのを察知し、その場所に無理やり連れて行かせるが……。
畸形国の描写は乱歩の『孤島の鬼』や『パノラマ島奇談』のような味わい。醜いものと美しいものが倒錯する瞬間。
「黒檜姉妹」は、隔絶した村に調査に入った医学生二人が見たもの。黒檜家は村の宗家で高齢の当主と二人の孫娘がいるはずだが、使用人の他はここ十年近く会った村人がいなかった。満月の晩に彼らを襲ったのは姉妹のうちのどちらなのか。
特異な状況を元に精神と肉体の相克をテーマにする。こちらの先入観はたやすくひっくり返してくれる。
「蝋人」では、奇怪な死に方をした男の遺書を友人が読むとそこには神宮の森の大楠のうろに仮宿する異形の兄妹との交流が書き綴ってあった。
その妹は骨が柔らかくなる奇病にかかっていた。異様な触感の娘に彼は激しく惹かれていく。
忍法帖の忍者を思わせる異形の肉体。さらに切支丹ものでもあり、後に時代小説で切り拓いていくテーマをここで先鞭をつけていたことにもなる。
普通でないものの悲しみはここでも色濃い。
「万人坑」の舞台は中国。
自分の婚約者を襲おうとした使用人を斬首した大家の若旦那はそのために死刑宣告を受けた。だが、使用人は死ぬ間際に言っていた。自分は死なない、首を切られても生き返る、今度はお前のような美男子になって生き返ってやると。
中盤の悪夢がもの凄い。再生人間同士が甦っては殺しあう輪廻の渦。まるでドラッグの幻想のよう。
「青銅の原人」では、老博士に純粋培養された天才がとある犯罪を企ててその真の姿を晒す。完璧な英才教育による超人は人間の範囲外の怪物、知恵ある原人であった。
序章だけという印象だが弩迫力。この主人公を元にもっと長いものを書く意思はあったらしい。実現しなかったのは残念だが現代ものでは難しかったのだろう。
これ以降は擬似イベントもののSF作品。
「二十世紀ノア」では、核実験の影響で日本に放射能の雨が降り続く。
水害による家屋の流失、農業の壊滅。そして原子病が蔓延し、やがて新しい人類が出現する。
セックス&ナンセンス篇『男性週期律』の「男性滅亡」(1955)などと同じ終末ものである。この世界観は恐ろしく暗い。
「冬眠人間」では、研究のために青春を失った医学士がそれを取り戻そうという卑小な目的で行った人工冬眠がいつしか大流行を引き起こす。
それは現世で不幸な人々が先を争って未来に逃亡を図ることになり、人類の衰亡にまでつながっていく。
同じタイトルで違う内容のものが二本も少年篇『笑う肉仮面』に収録されている。本編がいちばんストレートな内容。よほど作者にとって興味ある題材だったのだろうか。
「臨時ニュースを申し上げます」では、国籍不明機がモスクワを核攻撃したとの臨時ニュースが流れる。Y県の湯ノ杖温泉ではさらに台風の襲来とともに吊り橋が落ちて陸の孤島と化す。滞在していた東京の評論家たちは入ってくる不確かな情報に右往左往。
実に皮肉で意地が悪い。この時代の日本全体の右往左往振りをこの箱庭のような地に凝縮させたもの。
「1999年」は四十三年後を予測した未来小説。
どれだけあっているか外れているのか。作者の空想力を楽しむもよし。
だが、本作でよく出てくるフレーズ、人間は過去未来、永劫にかわらないかもしれない、は風太郎史観を貫くものである。
以下は少年もの。
「あら海の少年」では、漁師たちをいじめる海の暴れ者べんけい丸がゆうれい船に出会って沈没してしまう。
少年たちの知恵と勇気が悪者を退治する海洋ものの一編。
「ぽっくりを買う話」は、赤いぽっくりがほしい女の子がおじさんと知恵の勝負をする話。
ほとんどとんち話。あまり風太郎らしくないな。
「びっこの七面鳥」は、クリスマス用にもらってきたびっこの七面鳥がものを言ったり地面の上に十字架を描いたりする謎。
一郎少年、もと子、書生の島田が出てくる「なぞの占い師」(1953)、「摩天楼の少年探偵」(1953)と同じシリーズ。
一郎少年の推理は例によって大人顔負けに鋭い。
「エベレストの怪人」は、エベレスト登山隊を雪男の群れが襲う。それを追っていった青年隊員は危機に陥るが……。
小品ながらなかなか途方もないアイディア。少年ものだけにしておくのはもったいなさすぎるが、他ではちょっと使えないか。
「とびらをあけるな」では、黒ゆり党という秘密結社が蛇を使って金持ちの家の少女を誘拐していく事件が相次いでいった。小太郎の妹の雪江もさらわれ、小太郎は友人であるくずやの少年の勇吉とともに黒ゆり党の秘密を探ろうとした。
かなり長めのもの。少女向けミステリだそうだが、二人の少年の方が活躍する。悪人の持つ武器が進化を逆行させて人間を猿や蛇に変える光線というのは凄い。
残りは補遺。実話雑誌に載ったもの。
「無名氏の恋」では、男爵家の血筋は引くものの家庭では細君に縛り付けられ会社でもこき使われていた男がバスの事故をきっかけに蒸発を図る。そんな自分でも受け入れてくれるであろう愛人がいるからこそ思い切った行動にも踏み切れたのであったが。
意外な結末ではあるが、今となっては現実味があるかどうか。
「私のえらんだ人」は、消極的な医科大学の助手と見合いに飽きてきた重役令嬢が一冊の本を目印にお見合いをしての珍談。
仕掛けはまるわかりだけれどすれ違いの挙句のニアミスの結末はユーモラス。
怪奇小説については、面白いものとそうでないものとの落差が結構大きい。練りに練り上げられたものが面白いのは他の風太郎作品と同じ。医学ネタの素材を放り出したようなものには今読むと落ちがわかるものがある。解題にある著者の言葉などを読むと、特に怪談については作品との距離を測りかねていろいろ模索していた様子も伺える。山風のような練達の士にしても怪談を書くのはそれなりの気構えがいる難しいことのようだ。