山田風太郎『首』
山田風太郎『首』
→風太郎読書歴
初版第1刷1977年4月30日、第2刷1997年9月30日ということで、20年ぶりの重版というのがなんとも凄い。教養文庫の他の3冊を古本で入手して読んだのが、そもそも山風にはまり出した切っ掛け。長年の探求書を新刊書店で買えて、ブームのありがたみを心から実感。
「みささぎ盗賊」
既読。時代物。財宝を求め古墳を暴こうとした盗賊団の陥る罠。神秘譚と思いきや、復讐譚へ。そしてさらにまた一転。
「万人坑」
初読。中国時代物。下人の首を刎ねて死刑になる男の幻想。再生人間は果たして実在するか。因果の巡り巡ったその先は……。
「蓮華盗賊」
既読。印度時代物。千人の女を犯しその小指を切ると誓ったアングリマーラ。その兇賊すらも釈尊の虜となった。一方では祇園精舎を陥れようとする外道の尼僧の陰謀。こんな道具立てで本格推理を展開してしまう力技。魂の悪というものをも考えさせる。
「山屋敷秘図」
既読。切支丹もの。江戸の山屋敷に囚われたシシリア人伴天連ジョセフ・キアラは鉄と血の拷問に耐え抜き、牢番夫婦を改宗までさせる。ところが……。想像を絶する極限状況の果て。人間の聖性と堕落の両方を作者は見せ付ける。なんとも凄絶。
「降倭変」
初読。秀吉の朝鮮出兵。日本に背いて朝鮮方についた武士たちの末路を描く。こんな歴史にあぶれた者たちに着目するのがいかにも風太郎らしい。
「首」
既読。桜田門外の変で殺されて持ち去られた井伊直弼の首。その首はひょんな事から人手から人手へと転々と……。首一つが様々な立場の者の心に引き起こす動揺。
「怪異投込寺」
初読。美貌の花魁薫。彼女に纏わる人々。津軽候越中守。そのお抱え絵師寒河雲泉。画老人葛飾北斎。そしてまた遊女を葬る投込寺の墓守、鴉爺いの正体とは。
「姫君何処におらすか」
既読。切支丹もの。長崎に遣わされたプティジャン宣教師は生き長らえていた浦上の切支丹に狂喜する。彼は信徒を求め無数の島々を探し回る。ところがとある島の信仰はまことに歪みきった奇矯なものであった。三百人の信徒の中から彼らのマリアはいかようにして消失したか。信仰の持つ狂気を抉る凄絶極まる作品。
「天衣無縫」
既読。参議広沢真臣暗殺事件の迷宮入り。その妾おかねののびやか極まる娼婦性。
「斬奸状は馬車に乗って」
既読。秩父困民党の蜂起を背景に、馬車に乗る大人にも、奸をたたき斬る壮士にもなれなかった男の物語。以上2編が明治ものの先駆けとなる。
他で読めた話もあるが、風太郎の魅力を存分に伝える選択と言えましょう。
私個人の風太郎読書歴は、まず学生時代にやはり教養文庫中の2冊『誰にもできる殺人』『棺の中の悦楽』を読んだことに始まります。風太郎の現代ものの探偵小説に衝撃を受けました。特に連作短編集としての『誰にもできる殺人』。こんなことを考える者がいるのか、という仕掛けも勿論、作者の語る悪の魅力と存在感に度肝を抜かれました。
続いては河出文庫で『幻燈辻馬車』『警視庁草子』の2長編により明治ものの面白さに打たれました。私の好みは、登場人物がばたばたばたと死んでいく前者。その途方もない虚無感。
そして今回のブーム。廣済堂文庫で入手困難だった作品がどんどん出たかと思うと、今度はちくま文庫から明治ものが。世の中が風太郎に注目しているとしか思えないこの情況。
一方、まだ忍法帳だけは読んだことがありません。
風太郎の魅力は、私にとってはその圧倒的な物語の迫力です。
ぐたぐたに疲れたときによく元気づけに風太郎作品を読みます。もう物語に呑み込まれるしかありません。有無を言わさぬその心地よさ。
これだけの力を持つ作家は、作風は違うけど筒井康隆と井上ひさしぐらいしか思いつきません。語りのパワー、そして奇想天外な着想。
風太郎作品にはさらに戦中焼け跡派としての人間観、世界観が背景としてあります。作品全てに漂う虚無感。それと並立し得る突き抜けた生命力。風太郎の語る戦国も、明治時代も、実は太平洋戦争の戦中戦後そのものなのです。
→冒頭
→山田風太郎目次
→読書日記
→表紙