山田風太郎『戦艦陸奥』

山田風太郎『戦艦陸奥』



 本巻は戦争編。 風太郎作品の殆ど全てが極限状況であるが、それはやはり作者本人の戦争体験に由来するものだろう。 自ら戦うことはなかったものの身近に感じていた悲惨極まりない戦争。そして信じていた全てが崩れ去った八月十五日。

 「戦艦陸奥」は、よく知られた爆沈事件の山風流解釈。 かつての軍艦白馬の事故との因縁を持った海軍軍人の子弟たちがまた陸奥に乗りこむ。 消え失せた清純な女学生は娼婦として姿を現した。悲痛な恋の結末が閃光として炸裂する。
 あまりにも悲しい顛末。だが、これが真実の方がまだ救いがあるかもしれないと思わざるをえない現実。

 「潜艦呂号99浮上せず」の潜水艦乗りの海軍中尉は、 新宗教の教祖の孫娘からの求婚をきっぱり断ったところ八月半ばでの死を予言される。 彼自身は合理性科学性を重んじながらも周囲からの神がかり的精神論に絡めとられるのを感じる。
 激しい水圧に押しつぶされるように滅した合理主義思想と個人の尊厳。 果たして戦後のこの世の中は中尉の慟哭を実現しているのだろうか。

 「最後の晩餐」はゾルゲ事件に材を取る。 日米開戦の直前に世間の乏しい食糧事情をよそに開かれた外国人や各界有名人たちの食通の会。 その旺盛な食欲が食い尽くしたもの。
 恐るべき晩餐がその後の時勢の予兆となる。こうやって日本も列強に食い尽くされたのか。

 以下三作は敗残兵たちの愚行を描いた孤島もの。
 「裸の島」で、十人の兵隊と将軍と参謀が流れ着いたのは民間人の夫婦二人だけが残った島だった。そこでの七年の生活で個々の人間性は剥ぎ取られる。 一人しかいない女を巡っての悲喜劇は孤島での生活の終焉まで続く。
 こんな小人数の集団こそが社会の縮図か。作者の冷徹な描写はまことに容赦がない。結末もこれでは全く救いにならない。

 「女の島」での漂着者は怪我人を含む三人の兵士と看護婦七人と慰安婦五人。ただ一人のつかいものになる男を慰安婦側と看護婦側が取り合って悶絶させる。
 どういう経緯で書かれたのかは知らないが、「裸の島」と見事に対になる話。浅ましいのは男も女もみな同じ。階級職業による貴賎も関係なく。

 「魔島」でガダルカナル島のジャングルをさ迷う七人の日本兵は共食いの魔境から辛くも脱して原住民の棲む部落に迷い込む。 そこは美しい女と美しい風景と天然の黄金とに恵まれた楽園のような場所だった。だが彼ら日本兵がそこに妄執を持ち込む。仲間割れで一人また一人と減っていき、悪夢のような終結を迎える。
 理想境と人間獣の対比が鮮やか。風太郎には珍しい秘境探検ものでもある。

 以下より戦後が舞台となる。
 「腐爛の神話」では、巡査がひとりの売春婦を更生させようと懸命に努力するが彼女は梅毒で倒れる。 二人の最初の出会いは彼が神風特攻隊員として死の出撃に赴く前の晩だった。
 八月十五日を境に全く破壊された価値観に殉じながら戦後に生き恥をさらした者への愛惜が 極めてストレートに語られる。

 「さようなら」では、ペスト騒ぎで人影が消えた地区に二人の老刑事が歩み入るが、そこに戦時中の町並みが甦えっているのに気づいて唖然とする。その大仕掛けはある人物の意図によるものだった。 そして戦後十年後に再現される空襲。
 怨讐もなにもかもを超えた男女の愛の最終章。「さようなら」の一言に込められた重さを感じて粛然とせざるをえない。

 「狂風図」は、八月十五日を迎えようとする若者たちの青春群像。信州伊那に疎開していた医科大学の学生たちはソヴィエート参戦に衝撃を受けた。愛国的なリーダー大鳥と虚無主義者の鏡との間に一触即発の緊迫感が漂い、 それに下宿の娘葉子を巡ってのさやあてが拍車をかける。 玉音放送の直後に事件は起きた。
 自らの体験がかなり入っている。日記を読むと風太郎は愛国者の立場に近かったようだ。この作品では全てが崩れ落ちた八月十五日を通しても変わらなかった思いに焦点を当てている。

 「黒衣の聖母」で、男は終戦直後のまだ焼け跡が残る東京である女と出会う。 学徒出陣で別れた恋人の女学生の面影があるその女は、 凄いほどの美貌で神秘な清純さがあったが娼婦でしかも一児の母だという。 明るい中での彼女の清らかさと闇の中での愛欲の獣とでもいうべきふるまいの激しい落差。 男は彼女の虜となるがあまりにも無惨な破局が待ち構えていた。
 聖母と娼婦の二面性の裏に隠されたもの。 最後の遺書の「さようなら」という言葉が刃物のように突き刺さる。 この結末はいくらなんでも悲しすぎる。 失った青春への挽歌ともいうべきロマン溢れる初期代表短編。

 『太陽黒点』は、
廣済堂文庫版が初読でそれ以来の再読となる。
 冒頭では終戦後十五年、世田谷のお屋敷町でのパーティーにアルバイトの苦学生が紛れ込む。同じ年頃の若者たちの生活のあまりの豪奢さに彼は鬱屈を持つ。 その日の日記に彼は書きつける。「誰カガ罰セラレネバナラヌ」
 その後、彼を中心にした青春小説あるいは恋愛小説めいた展開が延々と続く。 読んでいる最中は何でこれが戦争ミステリーなのか、あるいはミステリーでさえあるのかという疑問が生じてくる。だが、それは結末に至って氷解する。犠牲者はまた「さようなら」の一言のみを残す。
 タイトルの意味は本文中には明示されていない。太陽に生じたごく僅かな変動が気象に一大変化を及ぼす、あるいは大いなる輝きの中に混じる目に見えないほどの陰りという意味であろうか。どちらにしても成り立つ。 構造と最後に明かされる動機から同時代の中井英夫『虚無への供物』(1964)との共鳴もどことなくうかがわれる。
 前代未聞の構想と細心の描写によって支えられた超絶のミステリー。

 この巻はかなり深く重かった。 特に詳しくは触れられないが『太陽黒点』の結末で作者の戦争に対しての激しい怒りが吐露される。こんな直截的なのは小説では他に見たことがない。
 国家が合法的に個人を抹殺できる手段こそが戦争。 小説家山田風太郎を創ったのは戦争であった。


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