山田風太郎『信玄忍法帖』

山田風太郎『信玄忍法帖』


 山田風太郎の忍法帖の再文庫化は講談社文庫でなされたが第一期完結で終了してしまった(→こちら)。 その後を継いでこうして河出文庫での刊行が始まった。実にめでたいことである。

 本書は風太郎忍法帖第八作。『八陣忍法帖』とのタイトルで<講談倶楽部>に1962年5月号から12月号まで連載するが未完。1964年3月に現タイトルで講談社刊。 『忍法忠臣蔵』と『風来忍法帖』という傑作の間に入る。

 三方ヶ原の戦いで徳川家康を完膚なきまでに打ち破った甲州武田軍団が突如進軍を停止して撤退した。かねてから病が重いと噂された武田信玄が病死したのか。真相を探れとの下知が服部半蔵擁する伊賀忍者九人衆に下る。
 死に瀕した信玄は自分の死を三年間隠せと命じて没した。 血気盛んな若大将、四郎勝頼が信玄の後を継ぐにはそれだけの猶予が必要だというのだ。
 この大秘密を守るのは、 武田二十四宿将真田源太左衛門綱信の弟、源五郎昌幸。配下の忍者、猿飛天兵衛と霧隠地兵衛。そして川中島の合戦で討ち死にしたはずの大軍師、山本道鬼斎。
 だが、徳川の忍者は強敵揃いで、 信玄が残した影武者七人も一人また一人と倒されていく。

 徳川の忍者が一話一話あの手この手で攻めてきてそれを武田側が守るという話なので作者得意の連作短編集とも読める。
 徳川忍者の忍法は例によって奇天烈だが、迎え撃つ側が後の大物たちの父親なのでなかなか敵わない。
 剣聖上泉伊勢守、後の金山奉行大久保長安、風摩忍者の統領風摩小太郎など風太郎ワールドの名脇役たちも次々登場。

 忍者同士の攻防は最後までもつれるが、歴史の流れは別のところで動き出してしまった。 昌幸や道鬼斎の必死の思いもどうすることもできず、 長篠の戦に赴く武田軍団の姿が何とも悲しい。


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