山田風太郎『柳生十兵衛死す』
山田風太郎『柳生十兵衛死す』(上・下)
毎日新聞に1991年4月から連載し、1992年9月に単行本化。
『柳生忍法帖』(1964)『魔界転生』(1967)に続く柳生十兵衛三部作のいわば完結編。作者晩年の室町ものに属し、おそらく最後の長編でもある。
山城と大和と伊賀との接点に近いあたりの木津川の河原で発見された柳生十兵衛の死体。抜き放たれた刀身は血に塗られ、その脳天には明らかな刀傷が。柳生ノ庄の家臣たちは驚愕する。わが殿を斬れるものなどこの世にあるわけがない。しかも奇っ怪なことに潰れていたはずの左眼が開かれ、開いていた右眼が閉ざされていた。
江戸時代慶安の柳生十兵衛三厳と室町時代応永の柳生十兵衛満厳が時空を超えて入れ替わり立ち代り戦い続ける大長編。二百五十年の時を超える原動力となるのは、能。元江戸城お抱えの能楽師金春竹阿弥は、柳生ノ庄のほど近くの大河原村、先祖世阿弥の終焉の地で、謡曲「世阿弥」をつくっていた。その能が完成し、芸が極まったとき、竹阿弥と世阿弥が、十兵衛三厳と十兵衛満厳が入れ替わる。
慶安の世では、元女皇月ノ輪院の周囲に父後水尾法皇、紀伊大納言頼宣、張孔堂由比正雪が絡む陰謀が。室町では将軍足利義満の四男青蓮院義円が小坊主一休を目の敵にし、さらに南朝の残党が暗躍する。
前二作でどんな危機をも乗り越え、登場人物の誰もが死のうとも唯一死ぬことを許されなかった孤高のヒーロー柳生十兵衛。本作は冒頭で示された十兵衛の死に様目指してまっしぐらという印象がある。
そもそも本書の十兵衛たちは最初から妖怪めいている。慶安の十兵衛は新陰流の奥義離剣の剣水月を会得し、殺意を持ったものに己の分身を見せる。室町の十兵衛は陰流の使い手で、敵の目から自分の姿をかき消す技を持つ。
その上、両者は絶対死ぬような状況で時を超えて入れ替わった。本人たちも過去の未来の世の中に現実感がない。周りからは化け物じみて思われてしまう。現実感がないから恐怖心もなくて時の権力者相手にしっちゃかめっちゃか。目前の危機からは時間移動で逃れ得ても、両者を巡る状況はどんどん悪い方向へ。
そして、柳生十兵衛に死が見舞う。こうでしか有り得ないという形で。
絶対死ねない主人公というのも悲しい存在だが、絶対死ぬとわかっている主人公もどうにも悲しい。作者としては十兵衛に決着をつけたかったのだろうし、それを果たすだけの迫力の作ではあるのだが。
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