山田風太郎『戦中派焼け跡日記』

山田風太郎『戦中派焼け跡日記』


 山田風太郎の戦後日記。『戦中派不戦日記』として既に公開された1945年の日記にそのまま続く1946年の日記。この年、東京医学専門学校三年生、二十四歳。

 故郷兵庫県養父群関宮町の叔父の家で新年を迎える。1月1日、「詔書発布。悲壮の御声。日本史上空前の暗黒の年明けたり。」
 1月10日より帰京。途中の大阪駅や東海道線の列車内での凄まじい様子。翌11日、ようやく三軒茶屋の下宿に帰り着く。
 1月17日、省線電車の中で浮浪児が食べ物をねだるが、答えてやるものがなく暗然とする。「こういう経験をしながら、黙って傍観していなければならぬという記憶は、重なるにつれて人の心を、ほんとに冷淡にしてしまうであろう。」
 1月30日、天皇制は絶対護持すべきと記す。

 2月3日、小説に関する思いを演説形式で記す。自分が書いているものはニュー講談、漫才だと言う。
 2月4日、「言論の自由」についての長文。真の自由の時代が来たのならどんなに嬉しいかと思いつつも懐疑的にならざるを得ない。「日本は決して「自由」も「平和」も獲得していない。客観的情勢は冷酷に、日本の行く手に暗い寒々とした墓場を示している。」
 2月16日、「どうしても、自分が四十才、六十才になった姿を想像する事が出来ない。三十才になった姿さえも描くことが出来ない。俺は近いうちに死ぬのではないか?(略)日本も死んだ。俺も生命に未練はない。」

 3月8日、新聞紙上で進歩党の候補としてある男の名前を見て、4年前沖電気の工員だったときに町会長だったその男から受けた無礼な仕打ちを思い出して憤怒の思いをつづる。
 世間は総選挙。試験期間。そして春休みに入り茨城県石岡の友人松葉の実家に行く。

 4月6日、関宮の叔父の家に帰郷。
 4月10日、新選挙法での初の投票日。田舎の投票風景の寸評。
 晴耕雨読の日々が続く。
 4月30日、「本日、「戦犯」東條以下二十八名起訴報じられる。愈々人類的喜劇始まる。復讐。――が、その手段は?というと膝も萎えるようである。」

 5月1日、「妖教」と題して友人小西から聞いた話が書いてある。「潜艦呂号99浮上せず」(1953)にある海軍士官が新宗教の教祖の孫娘からの求婚を断った話の原型である。
 5月2日、田舎を発って上京する。
 5月5日、自由党総裁鳩山一郎がマッカーサー司令部より追放される。「これではあの選挙の意味が全然空気のようなものになる。」「これが吾々の自由の正体である!」
 5月6日、新宿でA級戦争犯罪人二十八名の護送車とすれ違って愕然とする。「彼等が残虐極まる戦犯であることを、今疑うものは一人もいないが、もう十年たつと、やっぱり日本の英雄たちに帰るから、輿論とは笑うべきものである。」
 5月8日、「探偵小説雑誌<寶石>創刊号を買ってくる。乱歩がもう大先生扱いにされている。確かに乱歩には異常の才がある。しかし彼の有名なのは初期の本格探偵小説よりも後のエログロの病的世界描写なので、その中には『鏡地獄』とか『蟲』とかいうような名作も少なくないが、しかし余りに絢爛大規模の情景になると筆遣いに息の切れるのが認められるようである。ポーそっくりのトリックを使うのは感心しない。」
 5月10日、母と父が生きている夢を見て。「もし、俺が将来小説を書いたら、おそらくそれは「冷酷なる文学」と称せらるるべきものであろう。……しかし、文学は、全ての人の胸に、俺が今見たような夢、今描いたような幻想の境地、静かな追憶と涙と宗教的な幻となつかしさ、そういう世界へ引き入れるものが一番高い、ほんとうのものではあるまいか? ……いや、俺はもう醒めてしまった。俺は全ての感情を生物学的に計算して、結果は零と出たような、皮肉と諷刺と暗澹たる冷ややかさに満ちた文学しか書けない。」
 5月19日より、探偵小説『雪女』を書き始め、翌日草稿成る。

 6月7日、上京以来転々とした下宿の場所が書いてある。現在まで十ヶ所。
 6月19日、補欠選挙の政見発表演説会を聞きにいく。日本共産党の野坂参三の演説を事細かに記し、「彼らの発表する政見を聴くに、かくのごとく幼稚なる思想にて八千万の国民を果たして率いうるやと首傾げざるを得ぬこと多し。」

 7月1日、ビキニ環礁にて米艦隊の原子爆弾実験。「原子力が世界文明史に刻める歴史的足跡の中、半ばは日本の国土に印せらる、実験動物ともいうべき今回の七十余隻の艦艇の中には戦艦長門、巡洋艦酒匂含まれたり。これを光栄というべきか。ああ何たる惨憺たる光栄ぞや! 日本人唯茫然として他の星の物語を聴くがごとく、この運命的実験の恐ろしき、真相を知悉せざるもののごとし。」
 7月15日、「探偵小説『達磨峠の事件』『眼中の悪魔』腹案成る。」
 7月23日、「乱歩『湖畔亭事件』読、事件の大ぎょうなるに似ず悪作なり。」
 7月27日28日で、『達磨峠の事件』書く。
 7月31日、「乱歩『お勢登場』『人でなしの恋』読。小型ながら見事也。」

 8月2日、乱歩の初期短編について、「これらを再び読むに乱歩の頭脳、馬鹿に出来ざるを感ず。而して彼の頭脳の如何に健康的なるかを感ず。乱歩の妖麗なる世界をもって人その本質となすも実は逞しきその一面に過ぎず。この故に余は彼の幻想が余りに巨大となる時少しく息切れを認むるなり。彼はポーのごとく本質的の病者に非ずして健康人なれば也。」
 8月9日、「民主主義とは敗戦に依り米国より与えられたるものなるが故に反感を覚えるが、真似目に考える必要がある。徳川三百年の人類史上無比の太平は何を生み出したか、何も生み出さない、かかる野蛮の太平も人類史上稀有である。その根本原因は民衆の独立の精神の欠乏にある。」
 8月15日、「復讐記念日。」
 8月21日、「町で探偵小説雑誌<寶石>求む。横溝正史の『本陣殺人事件』面白し。」
 8月30日、「偉大な教育者は決して嘘をつかない。頑是ない幼児に対して一般の教師や親が用いるような浅はかな「方便」を用いない。ペスタロッチがそうであり、吉田松陰がそうであった。」

 9月2日、「マッカーサー元帥が日本人大衆を心服させたことは認めなくてはならない。この程度に占領国民に尊敬の念を抱かせればこれは歴史上稀有の好成績といわねばならぬ。――ああ、東條を愛慕い、マッカーサー元帥を愛する矛盾せる「愛すべき」日本人!……しかし、今の状態では東條を愛する心の方が、その声の全く聞こえないに拘わらず、マッカーサー元帥を愛する心よりも、その声の高らかに叫ばれるに拘わらず、もっともっと深い神秘なものがある、これは僕のドグマでは決してない。」
 『達磨峠の事件』の書稿及び『眼中の悪魔』の腹案。
 9月13日、子供の頃好きだったことがある絵、歌、剣道のことを振り返り、「その中学の末期から文学というものに興味をもって、小説みたいなものを書き出し、中学生の受験雑誌に出して当選して嬉しがったりした。これは聊か病こうこうに入って今でもちょいちょいくだらぬものを考えついてなぐさんでいるが、これも、漸く自分の心の主人公の位地を滑りつつある。――人間には色々な時代があるものだ。そうして、自分は結局、何の趣味もない、また自分の職業にそれほどの愛着もない凡凡たる「お医者さん」になるらしい。」

 10月4日、<寶石>を求めて、「こういう本を読むと、探偵小説というものに全生命をかけた人々が存在するのに一驚せざるを得ない。世の中のことは総て無益なことであるから、こういうことも馬鹿にするいわれはないのみならず、智慧の遊びに耽溺するという意味で賢いことかも知れないが、理屈はさておき僕はどうしても探偵小説などに全生涯を捧げる気がしない。如何に平凡なる医者でも医者の方がよっぽど立派な人生だと思う。しかし乱歩が「探偵小説を愛好するのは論理を愛する心である」というのは真実である。なるほど僕は「論理」を愛する! 遊戯的に。」
 10月5日、あらゆるものに対して興味を失ってしまったと書き、「恥を知らぬ人間ほど始末に終えぬものはない。人類中での最強者は恥を知らぬ人間である。」
 10月25日、「江戸川乱歩『悪魔の紋章』読、くだらなし。」

 11月11日、「青年の魂の空白時代といわれる。空白にもなろうではないか。総てが壊れたのだ。空白というより、二十才までに成長した魂そのものがどッかへ飛んでいっちまったのだ。」
 11月14日、「岩谷書店より、九百二十円送り来る。この八月頃、投稿せる探偵小説『達磨峠の事件』四十六枚の原稿代也。一枚二十円の割。クダラヌ作品也。」
 11月24日、関宮に帰郷。
 11月26日、叔母の使いで河江の伯父の家に行ったら、「伯母に、あさって寿子ちゃんにおムコさんが来ると聞いて一寸あわてる。えらいところに風来坊来たもンだ!」
 11月28日、田舎の結婚式の様子。準備が間に合わなかった上に、停電まで起きててんやわんや。

 12月4日、関宮に戻る途中で、「江戸川乱歩『柘榴』求む、十五円也。内容『柘榴』あんまり構造が典型的で話がうまく仕組まれすぎて感銘少なし、『白昼夢』『火星の運河』小品『双生児』『二廃人』大したことなし、『蟲』昔読んだときほどの感銘なし、やはり一番面白いは『心理試験』か。乱歩は犯罪心理学、指紋、夢遊病、あらゆる犯罪のタネを相当よく研究し利用しつくしている。しかし利用にすぎない。一作一作世界の探偵小説界空前のトリックといったものが少ない。第一人者乱歩にしてしかり、日本人の素質の限界か。」
 12月6日、「探偵小説腹案 @眼中の悪魔(暗点の応用) A半陰陽の応用 B空中より振る□ C東京のガス制度の応用。」
 12月8日9日、関宮より帰京。鉄道事情はまだまだ酷い有様。
 12月15日から17日、探偵小説『離弦荘事件』書く。
 12月21日、「探偵小説はもとより余技なり。余は、生涯探偵小説を書かんとはつゆ思わず。歴史小説、科学小説、諷刺小説、現代小説、腹案は山ほどあり。唯、今は紙飢饉にて新人の登場容易ならざる時代なれば、現役作家といえば、江戸川、大下、海野、木々、水谷、城、角田、渡辺等十指に達するや否やの人数なる探偵小説界に医学的知識を利用してその十一人目に加わらんと欲するのみ。<寶石>さえ続刊さるれば『離弦荘事件』の当選するは確実なりと自信す。『眼中の悪魔』『黒檜姉妹』の腹案熟しつつあり。」

 風太郎の敗戦の次の年の一年は、打ちのめされた日本とともにした年だった。戦後の風俗に馴染めず、かと言ってアメリカやソビエトへの復讐がそんな簡単に成せるとも思えず、身の内には虚無の風が吹く。 医者になって身を立てようと学校に通い、その一方で多くの書に親しむ。初めて手を染めた探偵小説で原稿料を得る。
 探偵作家としての本格的活動は次の次の年から。


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