山口雅也『奇偶』

山口雅也『奇偶』


 山口雅也の久々の長編はかなりの問題作だった。
 推理作家の火渡雅の手記。神奈川県の狛浦原子力発電所の爆発事故辺りから作者の周囲に不安な気配が漂い、世界貿易センタービルに旅客機が激突した九月十一日を境に異世界に突入していく。ちょうどその晩取材のために訪れていたカジノで、クラップスというゲームにおいて福助という名の小人のプレーヤーが六のゾロ目を四回連続で振り出すという信じがたい奇蹟を目の当たりにする。
 翌日、作者は小人と一緒にいた男が渋谷の街中でサイコロ型の看板に打ち倒されて死ぬ現場に立ち会う。三つ転がった巨大なサイコロの出目は全部が六だった。その直後に作者は右目から出血して視力を失う。

 世界が壊れていく不安感がとてつもなく濃い話である。 ニューヨークの事件など世相的な背景とともに、 右目の視力を失って作家としてやっていけるのかという雅の焦燥。 自分がなぜこんな目にあわなくてはならなかったのかという呻き。

 タイトルは奇妙な偶然の意味の造語。奇数と偶数の意味でもありサイコロを象徴的に示す。 そして本作のテーマは偶然。
 ユングのシンクロニシティ。
南方熊楠の曼荼羅図。 量子力学の不確定性原理。 探していた箇所の本のページを示してくれる「図書館の天使」。 心理学・哲学・物理学・民俗学などからありとあらゆる偶然に関する事項が抜書きされる。
 そして後半、舞台は「奇偶」という名の易を基本とする新興宗教教団に移り、そこで不可解な密室殺人事件が起こる。

 ミステリーとしての評価は極めて難しい。ネタを割らずに評することができるかという意味でも、この作品を是とするか非とするかにおいても。

 偶然というのはミステリーにとって実に根源的なテーマである。
 ミステリーにおける多くの怪事件が偶然が重なっての産物だったりすることもあるし、またすべての糸を握る知能犯がいても自分の犯罪から偶然の仕業を排除することは普通はできない。対する探偵の立場にも多くの偶然が天佑として手を貸したりも、また妨げたりもしてストーリーをつくっていく。
 作者としては登場人物よりもより悩ましい。偶然の扱いを間違えるとリアリティーがないとの非難を浴びる。 一方で小説中に導入されたら絵空事である それ以上の偶然が現実で起こる場合もある。
 偶然は危険である。あまり根を詰めて考えすぎると彼岸へ持っていかれかねない。

 印象でしかないが、この作者は彼岸へ行く一歩手前でとどまったという感じがある。それがよかったのか悪かったのか。
 こんなのミステリーじゃないと切り捨てるのは簡単だ。でもそれもあまりしたくはない。
 竹本健治がかつて『匣の中の失楽』で触れたネタをまさか本当にやってくれる作品が出現しようとは。
 山口雅也の技量ならこのままの結末でなく、もっと妥当な決着をつけることもできたのでは。
 いろいろな思いは尽きない。


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