論創ミステリ叢書より。ついにこの作家の作品集が出ることになろうとは。内容がどうこう以前に感慨深いものがある。上巻の帯に<乱歩が怖れた男>とあるが、何とも端的なコピーである。
山下利三郎は、江戸川乱歩のデビュー作「二銭銅貨」が掲載された<新青年>に先輩作家松本泰の「詐欺師」、ルパンの訳者保篠龍緒の「山又山」とともに「頭の悪い男」が掲載された。利三郎は先の<新趣味>での二回当選という実績が認められての抜擢で、この時点では甲賀三郎や角田喜久雄や横溝正史よりも評価されていたことになる。<新青年>を読んだ乱歩は、「山下君の作が最もあなどりがたいものに思われた」との感想を残している。
その後、利三郎は<新青年>で計四回も乱歩とライバルのように並べて作品を掲載されたが、作家としての技量の差はどうにもならず消えていった。
『探偵小説四十年』の昭和二(1927)年の休筆期の放浪に関連して、乱歩の故人に対する回想が載っているが、これがしみじみと物悲しい文章である。
利三郎の作品は1990年代まで読めるものが<幻影城>に採録された「頭の悪い男」しかなく、近年ようやくアンソロジーにも数編入るようになって(→作品目録)、この度は作品集刊行という快挙である。
本名は山下平八郎。1892年に四国に生まれ、幼いころから京都に在住する。詳しい経歴はわかっていない。1927年に休筆中の乱歩が京都に立ち寄ったときに何くれとなく世話をする。1929年、作家として身を立てるために東京に上京するが、一向に芽が出ず失意のうちに引き上げる。1952年死去。
第一巻は1929年の断筆までの作品。
乱歩の作品といっしょに<新青年>に掲載されたのは、「二銭銅貨」と「頭の悪い男」、「一枚の切符」と「小野さん」、「恐ろしき錯誤」と「ある哲学者の死」、「二廃人」と「裏口から」である。これらを単に比較したら作家としての格は歴然である。だが、驚いたことがあった。
以前アンソロジーで読んだ利三郎のデビュー作「誘拐者」が乱歩の「黒手組」(1925)に似ていて驚いたのだが、他にもそんな作品があったのである。「詩人の愛」の着想は「人でなしの恋」(1926)と同じもの。私は後者がとても好きで高く評価していたのだが、これだけ似た話が三年前に書かれていたとなるといささか割り引かないといけないかもしれない。また、「ある哲学者の死」の設定も「赤い部屋」(1925)に似通っている。ただこちらはその執拗さの点で乱歩のオマージュである岡田鯱彦「四月馬鹿の悲劇」により酷似してしまっている。
谷崎潤一郎の探偵趣味が強い短編を読んだときにもあまりに乱歩そっくりで驚いたことがあるのだが、勿論乱歩の方が真似ている。いくら天才と言えども全く孤高ではありえず、先行するものに何かしらは負っているのだ。利三郎の存在も乱歩が乱歩になるための糧にはなっていたわけだ。
さて、利三郎には二つのシリーズものがあった。一つは私立探偵春日とその助手渡辺が登場するもので、これが「誘拐者」「詩人の愛」「夜の呪い」の三編。古典的な探偵譚で手堅いが、枚数制限のためかキャラクタに味がないのが残念。
もう一つは中年の小学校教師の吉塚亮吉を主人公とする「頭の悪い男」「第一義」「素晴らしや亮吉」「亮吉何をする!」の四編。第一作の印象が強烈だが、基本的にはそそっかしい男がちょっとした事件に巻き込まれ右往左往するユーモアものである。
ただこれが「素晴らしや亮吉」では奇怪な密室犯罪を見事に解いてしまうので、キャラクタにぶれが大きすぎる。また、奇怪至極な心象風景が描かれたこともあるので、単純なユーモアものとも言いがたい。
「ある哲学者の死」は、割と探偵小説的な話だった。同好の士が集まったサロンでの談論風発が思わぬ悲劇を引き起こす。「赤い部屋」などのサロンものの先駆作。
単発作品でもユーモアやペーソスを効かせた話が多いが、ただ小説としてあまりうまくない。
「君子の眼」は、天井裏のねずみが妾殺しの目撃者となって警察の不手際をくさす。発想は面白いがこれでは探偵小説にはならない。
「小野さん」は、巡査の小野さんが刑事になりたくて日々手柄を立てる機会を狙っている。公園の裏手で叫び声を聞きつけた小野さんは格闘の跡を見つけて大奮闘するが。落ちは容易に想像できる。
「虎狼の街」がユーモア系統では一番面白かった。名医佐山先生が映画花形(キネマスター)憧憬熱にかかった資産家の令嬢を見事に治癒させる話。令嬢は女優になりたくて、京都の映画村へと向かう。だがそこは女優志願者を虎や狼のような不良青年が待ち受ける街であった。令嬢の受けた仕打ちにはかなり笑えた。
ペーソスものでは貧しさに絶えかねた男をよく主人公に据える。
「裏口から」の主人公は、開いていた邸宅の裏口から注意しようとして入って、そこで強盗を行おうと考えが変わる。だが、そんな彼の前に現れたのは幼い少女だった。
人が罪を犯そうとする魔の一刻とそこからの救いを描いて興味深い。
「愚者の罪」では、死んだ子供の入った箱を列車に置き去りにした男が刑事のような男に追われて逃げ惑う。悲惨な話を悲惨なままに書いただけの話である。
因縁ものとも言えるような、登場人物が運命に翻弄されてその回想を聞かされる話もいくつかある。
「藻くづ」「流転」「仔猫と余六」など。結構つくりすぎ。それでいて身も蓋もない落ちがつくこともある。
注目すべきことはSFの先駆的な話が複数書かれていること。
「模人」は、ロボットのことで、それが普通に使われるようになったらどんな出来事が起こるかをユーモラスに描いたもの。
「地球滅亡前」は、いつか必ず来る地球の滅亡に対して霊魂の形での火星への移住を考えた男の話。
「朱色の祭壇」は、初めての連載もので断筆前の最後の作品になった。力は入っているのだが、いまひとつ趣向がはっきりしない。
第二巻の創作は1933年に今までの筆名を捨てて本名で再出発してからのもの。この時期の作品に長いものや趣向を凝らしたものが多かった。
「横顔はたしか彼奴」では、ガラスの研究で有名な博士が毒死して、その姪と駆け落ちしようとしていた男性が逮捕された。彼はすぐに証拠不十分で釈放されたが、残された事件の謎を解くために懸命になる。
タイトルが古臭いと連載中にも腐されたが、その上に内容ともあまり合っていなかった。真相は毒の性質を何重にも利用したもの。その記述が正確なのかどうかは専門家でもないとわからないようなものだが、もし本当に正しいとしたら評価に値する。
「運ちやん行状記」は、探偵小説の戯曲をユーモアものでやろうとした試み。ごく他愛無いもので探偵小説とは言いがたいが、まあまあ読める。
「見えぬ紙片」は、出版社の社長が外国のものと思われる奇怪な短剣で殺されその現場に妙な書き込みがある紙切れが落ちていた。語り手の新聞記者は警察に隠してその紙切れを拾う。難航する事件の解決に署長は中国奥地で軍事探偵をしていた楠見の助力を仰いだ……。
語り手の軽率さや暗号の解き振りがあまりにいい加減なのとで読むのが辛くなった。
ところが最後に明かされた犯行の背景は伝奇的な物語を手際よくまとめられていて、かなり面白く読めた。小栗虫太郎の影響も指摘されている。
「小奈祇の亡魂」で、主人公が招かれたところはある秘密結社が悪人を裁こうとしている場所だった。強欲な男が妻として身請けした芸者を責め殺した罪で告発されるが。主人公とともに状況がわからず読んでいたのでこんな展開になるとはと驚いた。結末の落ちはない方が異様さが強調されてよかったのではないだろうか。
この時期にも古くからのシリーズキャラクタの吉塚亮吉も使っている。「歳末とりとめな記」はコントだが、「野呂家の秘密」は長さもあって読ませる。村から孤立して屋敷に籠もっていた男が変死した。囲っていたはずの妾が失踪しており、容疑はその女にかかったが行方が全く知れなかった。教職を退職して寺に滞在していた亮吉がその事件に興味を持つが、作家と称する男が野呂家の秘密を握っているとうそぶいていた。
謎解きとしてそれほど意外性があるものではないが、ある程度異様な状況を書くことに成功している。
随筆・評論の部の方はキャリアが長いだけに分量がある。関西方面での雑誌・同人誌には大概寄稿していたようだ。<探偵趣味>、<探偵・映画>、<猟奇>、<ぷろふいる>、<探偵文学>、<月刊探偵>、<真珠>等々。
高山彦九郎を題材とした映画の脚本を書き上げながらも原作者としては別人の名前がクレジットされたこと(「私と彦九郎」)、当時話題になったツタンカーメン王の呪いを題材に百三十七枚の小説を著したところ国枝史郎が十年前に書いた話と同じだと突っ返されたこと(「呪いと怪死」)などユーモアを交えて書いてはいるが、やはり不遇な人だったという印象が付きまとう。