今回の目玉は連作「むかで横丁」の別バージョン。
1954年にSRの会の会誌<密室>で東西対抗の連作探偵小説が企画された。このときの東の作品は藤雪夫・中川透(鮎川哲也)・狩久による「ジュピター殺人事件」となった。
西の「むかで横丁」は宮原龍雄が「発端篇」を書き、天城一が引き継いで「発展篇」を書いたがある理由で撤回。ピンチヒッターとなった須田刀太郎が「発展篇」を書き、それに山沢晴雄が「解決篇」をつけた。この山沢の手際があまりにも秀逸で連作「むかで横丁」は伝説として後々まで語り継がれるようになった。
1994年に鮎川哲也が「新・幻の探偵作家を求めて」で天城と山沢を訪ねたのがきっかけになり、天城がお蔵入りさせた発展篇「朝の巻」が山沢の目に留まった。
山沢はこれに新たな解決篇「妖の巻」をつけた。ところが天城はそれに納得せず、別名義の高天原アリサで超解決篇「変の巻」を添えた。これらは甲影会により同人誌『新むかで横丁』(1995)+として刊行された。
天城が原稿を撤回した理由は、「朝の巻」を作者のホームグラウンドである学園に取って大学改革の内情を書き込みしたところ、不穏当なものになってしまって作者の職場での地位を揺るがしかねなくなってしまったということだった。作者がそこまで思うように確かにそのあたりの事情はよく書けている。天城らしい視点で大学を描写したのはこれくらいではないか。
また天城が山沢の「妖の巻」に異を唱えたのは、「むかで横丁 解決篇」で星影龍三を登場させた趣向が消えたことが大きい。今でこそ鬼貫警部と並ぶ二枚看板であるが、当時は「呪縛再現」で失敗して鬼貫にたしなめられる役でしかなく、「むかで横丁」での活躍がなければ鮎川哲也がその後に起用したかもわからないことだった。
経緯の説明だけでこんなに長くなってしまった。
両者の出来を比べるとやはり旧「むかで横丁」の方が迫力があるように思う。「新むかで横丁」の天城による発展篇は現場のむかで横丁の有様がわからないために舞台を学園に変えて書かれ、あまり事件自体の発展はない。それと比べると須田による旧「むかで横丁」発展篇では事件があれこれ進展し新たな殺人とともに伏線がばら撒かれている。山沢はそれを見事に拾っている。発端篇からの轢死体の首と胴体が別人だという鮮烈な謎に対する回答もこちらの方が優れているように思う。
「新むかで横丁」の解決篇に対して天城が星影龍三の登場する超解決篇を付けたくなるわけもわからないではない。ただこれをしてしまうとその前の解決篇まで脆弱に見えてしまう。
まあなんであれ読みたかった読めなかったものが読めるようになったことはありがたいことである。
巻末の「そして緋紗子は」では、「離れた家」の完結していない初稿が作中作として掲載され、砧順之介の息子が新たな探偵役として紹介される。
『砧最後の事件』でけりがついてしまったと思っていたが、まだまだ書く気がバリバリあるようで喜ばしいことである。