福岡夢の探訪記

福岡夢の探訪記


 ☆1日目 2005年8月15日(月)

 福岡空港11時半着。
夢野久作の孫の杉山満丸さんと、私の友人のOさんに迎えていただいた。
 満丸さんの車でまず香椎を案内してもらう。高速道路に乗っていく。想像していたより福岡はずっと広い。香椎宮の鳥居が海の中に見える。元の海岸線は埋め立てられて変わっている。香椎潟は松本清張『点と線』で男女の心中死体が見つかる場所であり、また久作が流れ着いた空き瓶を拾って「瓶詰の地獄」の着想を得た場所である。
 杉山農園のあった山を反対側の山から見せてもらう。住宅地とゴルフ場が全部農園だったそうだ。茂丸が資金を出し、久作が購入した4万坪ともいうこの地所を、杉山龍丸はインドの砂漠緑化のために全部売ってしまった。 この経緯は満丸さんの著書『グリーン・ファーザー』に詳しいが、同題の演劇にもなっている。
 そして農園の跡に向かう。斜面に住宅が立ち並ぶ。杉山邸があったあたりは病院の敷地内で入れない。作業用の狭い門から当時をしのばせる木立だけを見ておく。
 杉山一族の夢の土地。世界文学の傑作『ドグラ・マグラ』が生まれた地。

 続いて近くの和白潟まで連れて行ってもらった。博多湾の海岸はほとんど埋め立てられているが、ごく一部ここだけがラムサール条約によって保護しようという運動があって、今のところ野鳥の楽園なのだそうだ。入るところは町工場の敷地のような一角しかなく、人影もない広大な場所だった。
 香椎駅や香椎小学校を車で過ぎる。農園から小学校への道は線路が一番近く、「木魂」の構想はここから得られたのではと思う。

 香椎宮の裏の不老水という名水に寄る。そして香椎宮行く。かなり古い神社。朱色に塗った建物と緑の木々の対比が美しい。
 満丸さんによると、神社ができるのはよい水に恵まれている場所だそうだ。また、西洋的な考えだと植林は水を奪い沙漠化を進行させると最近まで教えていたとのこと。 龍丸はインドの青年が来ると日本人は森を大切にしていたと神社まで連れてきていたそうだが、実に日本的な考え方である。
 近くのラーメン屋で昼ご飯。ちゃんぽん。

 九州大学の脇を通ったとき、「空飛ぶパラソル」の事故現場だと説明を受けた。鹿児島本線だが、既に高架になっていた。
 箱崎宮は八幡神社。海まで続く参道がすごく広い。御鎮座一〇八〇年とのこと。境内は大修理の工事中で少し落ち着かない。いろいろ奉納されていて算額もあった。
 満丸さんはここで結婚式を挙げたそうだ。 安い結婚式場を探していた奥さんが見つけてきたのが偶然にも杉山家と縁の深いこの箱崎宮だったとのこと。

 九大医学部の隣に玄洋社の菩提寺、崇福寺。玄洋社社員の墓は一画にまとまってあって名簿も石に記されていた。中心には杉山茂丸の盟友、頭山満の墓。右には大隈重信暗殺未遂犯来島恒喜、左には女性ながら興志塾塾長として豪傑たちを育てた高場乱が眠る。
 中呉服町にある杉山家の菩提寺、一行寺。代々の杉山家の人々が眠るお墓は一つだけ離れた場所にある。お墓にお参りする。ここでも念願が果たせた。

 そして櫛田神社。大好きな「押絵の奇蹟」の舞台。ここには本当に来たかったので大感激する。さすがに奉納された押絵はなかったが、十数メートルもある大きな山笠が飾ってあった。力士が奉納した力石も多数ある。近くに町屋が再現されていてそこも覗く。

 県立図書館に出す書類書いてもらうために筑紫野市二日市の満丸さんの勤め先の高校まで行く。吹奏学部の顧問をしておられるとか。ご著書にサインももらった。
 そのそばに久作の祖父の三郎平が長崎−門司と福岡−鹿児島の交通が交差する要所に立てたという敬止塾の跡地を見せてもらった。立派な碑は茂丸が父親をしのんで立てたものだった。

 大宰府も近いがあまり興味ないので行かず。後から気づいたが久作が龍丸に大黒天の像を見せて天皇とは何かを語った(→こちら)観世音寺がこの近くだった。
 電車でOさんと博多まで戻り夕食。


 ☆2日目 2005年8月16日(火)

 PCに入っている「本パラ痛快ゼミナール」(テレビ朝日制作/2002年2月24日放送)の映像(15分間)を見る。杉山龍丸の業績が要領よくまとまっている。最後に女の子が水を飲むところは香椎宮近くの名水だ。

 県立図書館に電話してから出立。コンビニで詳細な福岡の地図を買う。
 櫛田神社。宿からそんなに遠くない。境内で「押絵の奇蹟」と『ドグラ・マグラ』読む。裁縫女学校のモデルとなった場所が櫛田神社の隣の町屋ふるさと館のところにあったそうだ。
 水車橋渡って中洲にちょっと入る。ビジネスホテルの脇に今でもちゃんと飢人地蔵があってかなりびっくり。「押絵の奇蹟」のヒロイン井ノ口トシ子の家がここにあった。正木と若林の会話に出てきた吉塚うなぎ屋本店も店構えだけ見てくる。

 再び櫛田神社から参道を通って大博通りへ出る。ここにも大きな鳥居がある。港側にちょっと行ったところの店屋町の喫茶店カフェ・ブラジレイロに入る。1934年から。元々は東中洲河畔にあったそうだ。店は新しいが古い写真が飾ってある。久作の行きつけだと満丸さんに教えてもらった。メニューの洋食がハンブルグ・ステーキやミンチカツレツであることが老舗の拘りか。鶴見俊輔『夢野久作 迷宮の住人』を読む。

 明治通りに出て九大医学部まで歩く。県庁の真向かいで行政の中心地といったところ。九大医学部付属病院に入る。外来の人も出入りしているので全然問題なし。建物自体は新しい。精神科の病棟にも近いところに「ねむの木」という喫茶室があったのでここでお茶。『ドグラ・マグラ』読む。

 九大前の細い道を箱崎宮まで歩く。その近くに県立図書館があり、郷土資料室で杉山文庫の夢野久作資料を閲覧する。
 私はかなりイレギュラーな形でお願いしてしまいご迷惑をかけたが、おそらく次の手順を踏むべきだと思う。
 1)福岡県立図書館に連絡して杉山文庫の目録を送ってもらう。
 2)閲覧したいものの承諾申込書を書いて図書館に送り返す。閲覧者の自己紹介と閲覧の目的が必要。
 3)図書館から杉山満丸さんに送って承諾をもらう。
 4)図書館と閲覧者が交渉して閲覧する日を決める。

 この日に閲覧した資料は以下のもの。
 No.18「ドグラ・マグラ1」、「お通りがかりの御方様」から始まるはしがき。丸善の原稿用紙に黒インキで書かれた肉筆。実際には破棄されて使われなかった部分である。何とこのファイルには5種類の違ったはしがきだけがつづられていた。
 No.29「大下宇陀児江戸川乱歩会見印象記」。宇陀児に連れられて池袋の乱歩邸を訪れたときのこと。断片。
 No.37「不明原稿」、時代もので蕎麦が題材。ユーモラスなタッチ。
 No.39「ゴージャン・ノット倶楽部」、断片しかないが、新聞記者が主人公の活劇探偵もので語り手が女性。犯人は南京政府により送られた娘娘蛇(ニャンニャンター)という女装の青年。
 No.57、メモ帳。表紙がぼろぼろで全体がばらばらになりかけたものがそのまま出てきてちょっとぎょっとした。文芸春秋の手帳。猟奇歌のようなものも書いてある。「自殺しても悲しんでくれる者が無い だから吾輩は自殺するのだ」「馬鹿にされるやつが一番出世する だから自殺する者が特別だ」「何べんか自殺し損ねて生きてゐる 助けた奴が笑ってゐる」等々。普通のメモ帳らしくいろいろ書き込んであるが、とてもでないが全部は読み取れない。青筋が浮き出た男の横顔は自画像だろうか。
 No.184、スケッチブック。福岡風景など。緑の多い田舎めいた景色。
 No.209、夢野久作宛手紙。春秋社や松柏館の『ドグラ・マグラ』出版に関わる手紙。他にも文藝春秋、松竹キネマ、謡曲界などの編集者からのもの。川田功からの手紙が何通か。『狂人の解放治療』書き直しのための助言で、非常に長文のものも含まれていた。
 図書館が閉まる19時の前に今日のところはお仕舞いにする。

 箱崎宮の参道を博多湾に向かって歩く。国道3号線と交わるところに巨大な鳥居があり、さらに湾ぎりぎりのところにももう一つ小さなものが立っている。博多湾はかなり埋め立てられているのに、神社に遠慮してかここだけ狭い範囲の海岸線は昔のままの位置にあった。ちょうど博多湾に夕日が沈むところだった。龍丸は西向きの神社は南インドのヴィシュヌ神殿と共通すると指摘していた(→こちら)。

 バスで天神まで行く。地名の由来になった水鏡天満宮見る。ここが博多どんたくの元締め。
 隣に福岡市文学館、またの名は赤煉瓦文化館があるが、肝心の外壁を修理中。展示は既に時間が過ぎて終わっていた。どの道、私の琴線に触れるものではない。
 ここにきてようやく普通の観光ガイド本を入手。晩ご飯を屋台で食べる。博多ラーメン。
 帰りを歩きかけたが、バスに乗ったらホテルの前まで行けた。


 ☆3日目 2005年8月17日(水)

 祇園駅から地下鉄乗って姪浜へ。福岡市の中心から西側で結構遠いところ。今は住宅地だが、当時は事件が起こるのに格好な田舎だったのだろう。
 線路に沿って長柄川まで歩く。川の脇に興徳寺のうっそうとした森が見えた。この辺にはたくさんの寺があるが一番大きいのはここ。興徳寺は禅宗の寺だが、そこの開祖は留学僧で、宋の滅亡のときに逃れて日本に戻ってきたそうだ。呉青秀とまんざら共通点がないわけでもない。絵巻物を伝えた如月寺のモデルはここではないか。境内の石に座って『ドグラ・マグラ』の姪浜の部分読む。
 川に沿って降りていく。河口で対岸に確かに石切り場があった。ここで怪人物がただ一回姿を現して、呉一郎に絵巻物を与える。
 今では背景にマリノア・シティの観覧車が見える。対岸には渡らず。

 バスで早良区の博物館前まで。だんだん路線バスの使い方がわかってくる。
 博物館の常設展は太古から近代まで充実。邪馬台国論争でお馴染みの「漢倭奴国王」の金印の実物が見られる。太古からこの地に文明の営みがあったことがよくわかる。香椎宮、箱崎宮、住吉神社といったお馴染みになった神社の成立は相当古い。福岡では寺より神社が強いのは何でかと思っていたが、当然ながら神社の方がずっと古くからあったわけだ。元寇や貿易など外交の最前線でもあった。各時代の人々の暮らしに関する展示が多い。博多の工芸品に興味があったのだが、押絵は残念ながら少ししかなかった。博多の都市化について扱ったところで大正時代のカフェが再現されていたが、モデルはブラジレイロだそうだ。この内容で入場料200円とは何とも安い。

 隣の福岡市立総合図書館。新しく大きな建物。郷土資料室には久作の作品もかなり並んでいる。郷土資料の人物のところには野田美鴻『杉山茂丸伝 もぐらの記録』と杉山満丸『グリーン・ファーザー』が並んでおいてあった。館内閲覧のみではあるが、久作『近世快人伝』の初版本が置いてあったのはびっくり。
 ここにも杉山家の資料は置いてあるのだがただいま整理中。聞いてみたところ、公開の目処は全然立ってない、来年度中も無理とのこと。何とかならないものか。

 西新まで歩く。修猷館高校。久作の母校、というより福岡の数々の人材がここから巣立っている。校舎は真新しいが、レンガ塀は古いものだろうか。

 地下鉄赤坂で降りて舞鶴の玄洋社記念館。小さなビルの二階。要予約。館長さんが迎えてくれた。杉山茂丸関係は少しのみ。頭山満のものは多いし、玄洋社関係者のものも当然多いが、孫文の書、明石元次郎の画、北一輝の遺品の仏像などにはびっくりしてしまう。私でもかなり驚いたのだから、近代史に興味のある人なら宝の山だろう。
 玄洋社が実際にあったのもこの近辺でNTTの前に碑があるのを教えてもらって、そこも見てきた。
 大名町の端っこを通る。夢野久作出生地の小姓町の今の町名。ただ龍丸によると、祖父三郎平は住吉の近くに住んでいたのに、どうして久作の出生地がここだということになっているかは疑問だそうだ(→こちら)。

 バスを乗り継ぐ。警固一丁目から薬院大通。そこから博多駅方面に向かい住吉神社。ここも大きな神社だが、1日目2日目には行きそびれていた。福岡市文化財の能舞台があるが、ここでは久作も舞ったらしい。この近くに祖父三郎平の家があって、久作が幼い頃を過ごした。
 「瓶詰の地獄」読む。「鉄槌」もF市が舞台なので福岡の話か。

 そこから博多駅へ向かう住吉通りの右側、中国南方航空が入っているグリーンビルの前に高場乱の人参畑塾跡の碑がある。散々今日見た頭山満の字だった。
 博多駅前でOさんと落ち合い食事。

 宿に戻って「砂漠を緑に 緑の父−杉山龍丸の軌跡」(九州朝日放送制作)の映像(45分間)見る。満丸さんの学校や杉山農園の跡地が出てくる。満丸さんが寮の一室に大量に保管していた資料は今は公的施設である図書館に移っている。インドでなくなった杉山農園と同じ光景に出会うシーンはやっぱり泣ける。


 ☆4日目 2005年8月18日(木)

 チェックアウトするので荷物をより分ける。まだ読んでなかったものを読む。
 「山羊鬚編集長」、呉服町の博多湾を見下ろす博多ビルディングとか、箱崎宮とか出てくる。主人公の記者が差出主不明の人力車に乗っていく場面など、土地勘があると面白さが断然違う。
 少し遅くなったが出発。祇園駅のロッカーに荷物を預ける。

 櫛田神社にちょっと寄り、中洲を歩く。博多人形会館というのがあったので中を見る。伝統工芸と思っていたのにかなり新作がある。久作が創作童話の「豚吉とヒョロ子」の人形を見つけて買って帰ったという逸話があったが、融通無碍なのが博多人形なのかも。他にも乱歩の「押絵の奇蹟」評に感激した久作が博多人形に署名して送ったことや、東京でプラスチック成型の事業をしていた龍丸がプラスチック製の博多人形をつくろうとして失敗したことを思い出した。

 吉塚うなぎ屋で早めの昼食。うなぎ丼の特。実にうまかった。正木教授の好物らしいが、久作の好物でもあるのだろう。
 「空飛ぶパラソル」、事件が起こるのは二つとも箱崎。主人公の記者は結婚して香椎に住むようになった。初期の作品でもありかなり自分を投影している。

 川を渡る。上川端商店街に山鉾をそのまま飾っているぜんざい屋があるので入る。
 『犬神博士』、成人した犬神博士が住むのは箱崎宮の地所。最初の方でチイたちが巡査に捕まるのは中洲あたり。中盤の木賃宿でのバクチ以降、官憲と玄洋社の大衝突は直方。
 直方は炭鉱町で、他にも『ドグラ・マグラ』の第一の事件の千世子殺しと、「骸骨の黒穂」で出てくる。

 中洲川端から地下鉄で県立図書館。閲覧の続き。
 No.208、夢野久作宛書簡。
 森下雨村水谷準延原謙、上塚貞雄、滋岡透ら編集者からの手紙。
 江戸川乱歩から三通。 博多人形の礼状。 春秋社探偵小説選集への収録についての手紙。このときは「押絵の奇蹟」を採っている。あともう一通はよく読めないが「近世快人伝」の感想らしい。
 甲賀三郎からの茂丸逝去の哀悼の手紙。
 No.210、同じく。
 大下宇陀児より六通。 九州行くという手紙や帰京後の礼状。 池袋に転居したら乱歩も近所になったこと。 『ドグラ・マグラ』出版のお祝い、等。
 佐左木俊郎からも数通。”千枚のもの”の出版の話が出てくる。新潮社の書き下ろし探偵小説全集に入れようとして稿料の点でうまくいかなくなったらしい。新たに六百枚という注文で書いたのが旧作を直した『暗黒公使』。
 小栗虫太郎から、”夢の野にすむ獏ならぬ九州男 大舌吐きてえど川干すらん”という狂歌が添えてある。
 いやいや、凄いものを見た。
 箱崎宮の境内にちょっとだけ入る。

 地下鉄で呉服町まで。カフェ・ブラジレイロに再び。
 「悪魔祈祷書」のモデルは千代町の山内古書店だそうだが、本文中には明記なし。大学との距離の感じは確かにそれくらいだ。
 「少女地獄」、「何んでも無い」の臼杵及び白鷹医師は九州帝国大学医学部耳鼻科出身。「殺人リレー」では、バスが博多から箱崎と香椎の踏切を通って折尾まで走る。事故が起こるのは香椎の踏切。「火星の女」は県立高等女学校だが具体的な地名はなし。ノッポで不器量な”火星さん”は、あまりに頭が大きくて”地球さん”という仇名がついた久作自身のことではないかという説があった。

 中洲まで歩いて夕食。長浜ラーメンとめんたいこ。上川端商店街で買い物。
 最後の最後に櫛田神社の境内を通り参道を大博通りまで抜けて祇園駅へ。
 地下鉄で福岡空港。20:40発羽田行き。飛行機の中で『ドグラ・マグラ』の残り。帰りの電車で「白髪小僧」を読む。
 0時半帰宅。


 今回の旅行は杉山満丸さんや福岡県立図書館を始めとする福岡の方々に大変お世話になりました。厚くお礼を申し上げます。いろいろと資料を提供してくださった久保さん@谷底ライオンもありがとうございました。


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