夢野久作特集

夢野久作特集


 夢野久作とはどんな作家なのでしょうか。一人にして一つの分野をつくりあげたことだけは間違いありません。私は夢野が好きでその作品を全巻読破しました。しかし、それでもよくわかりません。相手が巨大過ぎるような気もしますが、その実体へ幾分なりとも切り込んでいきたいと思います。

 夢野久作[明治二二−昭和一一]
 怪物的国士と言われた杉山茂丸の長男として生まれる。複雑な家庭環境に育ち、長じては様々な職を転々とする。幼名直樹。改名泰道。筆名の由来は、デビュー作となった『あやかしの鼓』を投稿前に父親に読ませたところ、「ふーむ、夢野久作が書いた小説ごとあるねえ。」夢野久作とは、放心者または夢想者を意味する博多地方の方言である。

 久作にとってその父親の存在は非常に大きなものでした。微視的には個人的環境から巨視的には国家的環境まで。特に当時の日本は、大陸進出、軍国化へと傾斜していく転換期でした。

 また、彼は最後まで九州を根城とし、それが作品の素材を与えました。第一に福岡は九州の文化の中心地であり、能、芝居、押絵などの芸能が発達したこと。第二に筑豊炭田を控え、炭坑夫、或いは玄洋社の壮士の活動があったこと。第三に農村は前近代的な村で土俗的であったこと。そして、第四に北九州は大陸への玄関口であったこと。

 それから、幾つか通読すればわかることですが、彼の作品には顕著な特色があります。まず、一人称。それもただの一人称ではなく、二人で会話しているのに一人分の声しか聞こえてこない、言うならば独白体、これが多いのです。その延長とも言うべき書簡体をも合せると、全作品の三割がこの特徴的な文体で書かれていることになります。次にカタカナと踊り字の多用。これらにより久作の文体は、美文とはまず絶対に言えないんだろうけど、効果的なものになっています。

 そして、キチガイまたは発狂を扱った話がやたらに多いこと。これは全作品の四分の一です。まあ、これは九州に住んでいたこととは関係ないでしょうね。九大の精神科に取材に行ったという話はありますが。

 さらに、久作には駄作がありません。あるとしても極く少数です。また、注文に従わず勝手な枚数、内容の原稿を書くは、原稿料ゼロの雑誌へ傑作を送りつけるはの奇行で知られています。これは、郵便局長と能の教授という職を持ち、経済的な安定があったからこそできたことですが、久作はいつも書きたいものだけを書きたいときに書いてきたのです。

 テキストは、現代教養文庫から傑作選全六巻が出てるし、角川文庫からもかつてはたくさん出ていて、私は古本屋で七冊集めました。創元推理文庫版日本探偵小説全集第四巻は誠に破格な構成です。金をかけたくない向きには、市民図書館に三一書房版全集全七巻が揃っています。

 さて、これから個々の作品を見ていくわけですが、幾つかのテーマで分類してみました。とは言うものの、夢野作品は数文字の言葉で言い尽くせるほど生半可なものじゃなく、分類というのもあくまで便宜上のものであることを予め御了承ください。


 【童話】
 『白髪小僧』
 彼のほぼ最初の作品です。藍丸国国王がこの世に一番に生まれた石神の呪いで白髪小僧にされ、偽の王が君臨、その王妃の位を巡る妖異と騒乱の物語。書物の中の書物、物語の中の物語、夢と現実が複雑に錯綜します。完結すれば非常に面白い作品になったと思われますが、なぜか未完のまま出版されました。一説には彼は童話という形式に限界を感じ、それが『ドグラ・マグラ』の構想につながったと言われています。
 この作品の後にも彼が記者をしていた<九州日報>家庭欄に幾つも短い童話を書いていますが、ちょっと評価しかねるので、パス。興味のある人は全集の第七巻をどうぞ。


 【能】
 『あやかしの鼓』
 恋に破れた鼓造りの名人がその思いを籠めた鼓。その音色は相手ばかりでなく、造り主にまで禍をなした。それから百年、あやかしの鼓とそれに魅入られた人々の間に惨劇が繰り返される。
 この作品には推理小説らしきところはまるでありません。どちらかというと怪奇幻想小説の分野ですが、完全にそうだとも言い切れません。なんなんだろうね、一体全体。確かにこれはいみじくも茂丸の言ったように夢野久作が書いた小説以外の何者でもありません。

  他評論「能とは何か」等。


 【土俗】
 『いなか、の、じけん』
 日本じゅうどこの村でも起こりそうな(一昔前なら)事件ばかりを集めた連作ショート・ショートです。軽いコント風から陰惨至極まで全二十話。「一ぷく三杯」は凄絶な傑作!

  他「笑う唖女」「巡査辞職」「骸骨の黒穂」等


 【大陸・海洋】
 「死後の恋」
 浦塩(ウラジオ)の町にて、白軍の兵卒だったと称するキチガイ紳士の語る革命秘話。僚友リヤトコニフの身上話と宝石に魅せられた彼は奇怪な運命に直面する。ロマノフ家の滅亡の真相。そして凄惨の美を湛える死後の恋とは。

 『氷の涯』
 哈爾賓(ハルビン)駐在の日本軍に公金十五万円の拐帯事件が発生した。文学青年の一等卒上村は、暇を持て余し、事件に興味を抱く。そして次第次第に渦中に巻き込まれていく……。
 本来なら人畜無害な人物に超記録的な罪名すべてが押しつけられる。個々の事件の謎は解けても真犯人の姿は匿名性の霧の彼方に溶け込んでしまう。これは、デビュー作『あやかしの鼓』に既に見られ、『ドグラ・マグラ』へと受け継がれていったテーマです。
 そして、上村と国籍不明の少女ニーナの逃避行。彼らが目指すのは氷の涯。
 最後の二ページにより夢幻の気が醸し出されます。

  他「焦点(フォーカス)を合わせる」『爆弾太平記』「難船小僧(S・O・S BOY)」等


 【地獄】
 「瓶詰の地獄」
 孤島に漂着した幼い兄妹。二人は助け合って健気に暮らしていった。しかし、南海の楽園が地獄と化す日が来ようとは……。
 海岸に流れ着いた三本の麦酒(ビール)瓶の中から出た手紙を並べただけ、僅か十五枚程度の掌編ながら、夢野の代表作に真っ先に数え上げられます。この作品だけは創元版を立ち読みでもするなりしてぜひお読みください。未読の人にはこの衝撃は絶対にわかるはずがないのだから。

 『少女地獄』
 三人の少女の地獄への道行きを描いた連作中編ですが、最初の『何でも無い』が面白い。
 誰からも愛される看護婦姫草ユリ子は実は病的な虚言癖の持ち主だった。彼女は自分の空想が生んだ虚構の天国のエンジェルだった。だが、一つの嘘を隠すためにまた一つの嘘をつき、それがさらに次の嘘を呼ぶ。嘘の無限地獄の果てには破局が待っていた。

  他「キチガイ地獄」


 【押絵】
 『押絵の奇蹟』
 これについては<愛の城砦>13・14号を参照してください。私は『ドグラ・マグラ』の次にこれが好きです。美しく、はかなく、そして悲しい。いい話とはこういう話のことを言うのです。
 (未読の方は次の段落をとばしてください。)
 だけど、見方を変えると(僕のような天の邪鬼でも本当はそうしたくはないんだけど)、この話は「瓶詰の地獄」と全く同じストーリーになってしまうという……。この辺が夢野久作の怖さ、凄さなんでしょうな。


 【炭田】
 『犬神博士』
 大昔に読んだときはさほどとも思わなかったけれども、今回読み直してみてその不明を恥じた次第です。トンデもない話だなあ、まったく。
 天下の奇人、犬神博士が自分の身上を語り出す。
 おカッパ頭の美少女チイは実は男の子。大道芸人の両親に連れられてエロ踊りを踊ってまわる。チイの鋭い目はなんでも見透す。インチキ賭博の仕掛けから大人社会の馬鹿さ加減まで。
 福岡では、炭田の利権を巡り、官憲派と玄洋社の壮士との間に一触即発の緊張が高まっていた。(この辺『血の収穫』みたい。因みにハメットの方が二年早い。)ひょんなことで台風の目となったチイは、持ち前の超能力を発揮して八面六臂の大活躍!
 そして……。炎の中を走り去ったチイは、その行方が知れない。筑豊の危機が回避されたかどうかもわからない。チイと犬神博士との落差もまるで埋まらない。
 ないない尽くしの結末も何もかもを含めて、なにやらしたたかさを感じさせる作品です。

  他「斜坑」等


 【キチガイ】
 「狂人は笑う」
 二編入っているけど、前の「青ネクタイ」が凄い。どれだけ凄いかというと、あまりにも凄すぎて説明できないほど凄い。だからこの項はこれでおしまい。

 「縊死体」
 この話も本来なら右に同じなんだけれども、野暮を承知で紹介してみましょう。
 恋人が途方もなく美し過ぎたので絞め殺してしまった男。死体を廃屋の鴨居に引っかけてきて、いつ見つかるか、いつ見つかるかと楽しみにして夕刊を読んでいる。ところが背広男の縊死体発見の記事。驚いた男は夢中でその廃屋に駆けつける。そこにぶら下がっていたのは、紛う方ない自分の死体だった。茫然とした男の背後から女の声が聞こえてくる……。

 「木魂(すだま)」
 俺は今日こそ間違いなく汽車に轢き殺されるのだぞ……。そういう予感を抱きながら線路を歩いている男の心象風景。相次いで亡くした妻と息子のことを考えているうちに、遂に自分自身も轢かれてしまう。人間の発狂に至るまでの過程を堪々と描いていくなんて夢野久作以外にはできますまい。

  他『一足お先に』「怪夢」等


 【猟奇歌】
 これはいうなれば探偵短歌で、最初に探偵誌<猟奇>に掲載されたのでこの名がついたとのこと。いくつか採録。



 【畢生の大作】
 『ドグラ・マグラ』
 初稿『狂人の開放治療』はデビューの年、大正十五年には既に着手されており、出版されたのは昭和一〇年。彼の一一年間という決して長くはない文筆生活の内の少なからぬ時間がこれに割かれています。千二百枚の大長編ながらその作品内時間は僅か一日。或いは一瞬。驚異的な密度としか言いようがありません。
 推理小説としては、精神科学応用の犯罪、即ち暗示による発狂事件を扱っています。それを側面から支えるのが、“心理遺伝”“胎児の夢”“脳髄論(脳髄は物を考えるところに非ず)”等の理論の数々です。その面白くかつ非常に説得力のあること。精神病院を告発した阿呆陀羅経“キチガイ地獄外道祭文”なぞ今日でも十二分に通用する内容です。不幸なことに。
 精神病棟の第七号室で目覚めた主人公は、今挙げたような論文やら事件の調書やらを読み進めます。自分の名前を求めて。こうして古今未曽有の完全犯罪の全貌が徐々に明らかになっていきます。
 事件の裏面には、MとW、二人の博士の讐々綿々たる暗闘がありました。二人の学者の意のままに操られる主人公。ところが、一切を把握しかつ支配しているはずの二人さえもが、がっぷりと四つに組んだまま身動きが取れなくなってしまう。その滑稽さ、虚しさ、哀しさ、不条理さ。
 そして……。正午の号砲(ドン)と伴に全てが崩壊し、主人公は七号室へと還っていくのでした。


 昭和一一年二月、前年に死去した父の後始末のために上京したところ二・二六事件に遭遇する。三月、来客と対談中急死。四七歳だった。久作の死後間もなく日本はあの泥沼の戦争に突入していったのである。



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