リングと文化功労者
(この文章は、朝比奈氏の随筆や、朝比奈氏についての各種出版物から知りえたエピソード、あるいは筆者が経験したエピソードを元にして、筆者が再構成したものです。史実に基づくようにしていますが、一部創作もありますのでご了承ください)
1984年から1987年まで、新日本フィルハーモニー交響楽団と朝比奈は、
史上初めてすべての出演者や演奏者が端役に至るまで日本人という布陣で、
ワーグナーの「ニーベルングの指輪」全4部を4夜にわたって演奏会形式で上演した。
基本的に夕方に開演し、1時間半の夕食休憩をはさんで午後10時前後までかかる舞台を都合4回こなさねばならない大舞台であった。
長男の千足は、
「親父、そんなことしたら死んじまうからやめろ」
と止めたが、朝比奈は
「新日フィルの(事務局長の)松原というにこにこしたのに騙されてなあ」
とうれしそうに言いながら取り合わなかった。そうはいうもののこの大曲の準備は大変で、
朝比奈は何度か楽員に弱音らしきことも言ったようだが、楽員たちが「私たちにまかせてください」といい、
また体調が思わしくなかった「ジークフリート」では、千足が指揮の補助をするなど、朝比奈をもりたてた。
結果として朝比奈は、すべての楽器をワーグナーの指示通りの数だけ準備して使い、1小節のカットもせずに、
本場での上演でも行わないような大規模な楽劇になった。朝比奈と松原は、
「夕食の休憩に出て行ったお客さまが帰ってこなかったらどうしよう」
と心配していたが、聴衆はほぼ全員後半も鑑賞し、エポックメイキングな公演としても大成功を収めた。
この公演の記録はすべてCD化されて、日本人のみによる本格的かつ完全版のリング上演記録として
1988年に限定販売されたのだが、このCD全集を購入した一人の政治家がいた。
それは当時の文部大臣であった中島源太郎であり、彼は、
「日本のクラシック演奏もレコード産業もここまでの発展を遂げたか……」
と感嘆しながらこのCDを堪能した。そして、このような偉業を達成する中心的な役割を担い、
かつ指揮界の長老である朝比奈を顕彰することができないか、文部省内での検討を指示したのである。
中島の在任中には顕彰は実現しなかったが、この懸案は受け継がれ、その結果ついに、
指揮生活50周年を迎えた1989年に朝比奈は文化功労者として顕彰された。
いわばヨーロッパ音楽の世界に日本人が確固たる地位を占めたことを政府が認めた瞬間なのだった。